アメリカ-ニューヨーク日記

1999年4月7日(水):晴れ
 連休をとるので前日は遅くまで仕事をしてましたが、いつもと同じ時間に目覚ましに起こされ新入社員が食事をしてる中、久しぶりに私服で食事をとるのでした。成田集合13:50ということなので、かなり余裕はあるのですが、早めに寮をでました。寮を出た時点ではすっごく寒くダッフルコートを身につけてでたのですが、駅までの道のりでかなり晴れて暑くなりました。上大岡から成田空港第二ターミナルまで約3時間の長い道のりを越え、空港につきました。12時前についてしまい、空港をぶらぶらして、高い食事をしました。食事が終わると携帯に電話がかかりました。そしてメンバー集合。今回旅行をするきっかけになったのは、僕の友達の仕事が4月下旬から忙しくなるということで、安い時期で行くならいましかない。ということで誘われました。旅行会社はHISで3泊5日で9万円。ほんとは7万円コースで行こうと思ってましたが、女の子がいるので、あまりに安いホテルはちょっとということで9万円です。メンバーは友達と同じ職場の男の子とその彼女(以前一緒に釣りへ行ったことがあるので、はじめましてじゃない)、友達、僕の4人。食事をしていないということだったので、2度目の昼食へ。税関で3回「ピンポン」なって金属探知されました。16時20フライト予定でしたが、なんと1時間遅れで出発。そして長い長いフライト。ホントに長い。スチュワーデスに「コヒー」を頼んだ時も、「ウォーター」を頼んだ時も「コーラ」がでてきて、前途多難をうたってました。日本で後悔してない映画を見て、食っちゃ寝、食っちゃ寝の家畜生活12時間の上、アトランタにつきました。1時間遅れで到着。そして恐怖の入国手続き。グループと違うところに並んだのが運の尽き、"Can you speak English"に"No"と答えてしまい、通訳さん呼ぶのに30分近くまたされてしまいました。"Yes a little."と答えればよかったのですが、"No"と答えた瞬間、だんまりされてしまい、通訳さん来るまでやな空気がながれてました。辛かった。そして、またもや税関で30分ピンポン、エディマフィーみたいなおっちゃんに金属チェックされて、ちょっと怖かった。アトランタは天気が良くてすっげー気持ち良かったのですが、ゆっくりする時間などみじんも無くなってしまいました。そして国内便のゆったりした旅。夜中になって綺麗な夜景が現れニューヨーク到着。旅行会社のおっちゃんが来て、荷物をとりました。友達のトランクはヒビが入ってました。買ったばっかりだそうです。さすがアメリカ、トランクの扱いもアメリカチック。ホテルについてクレジットカードが必要となりました。クレジットカード持ってるのは僕だけでした。ホテルの別途費用はみんなここから取られるそうです。そしてしばらく旅の疲れを癒して、夜の11時、危ない危ないと思いつつ夜の街を歩くのでした。とりあえず食事しようということで、怪しげなレストランへ。ここの食事の量がはんぱなくでかいでかいでかい、ただひたすらでかい。味は大味なので食べてくとだんだん飽きてきます。それでも気合いでたいらげました。他のみんなは"Can I take it out."でお持ち帰り。持ち帰ったが、食べてるところを見ることはなかった・・・。んで死ぬほど腹一杯になってホテルへ戻ってオフロ。水がでない・・・。と思ったらなんと右廻し。お湯は左廻しなのに。そしてオフロのお湯を抜いたら流れない。つまってる。なんだこのホテルは・・・。そして、暫くTVを見て寝るのでした。長い1日だった(実際長い)。

1999年4月8日(木):晴れ
 朝8:00起床。朝のニューヨークを楽しむため友達と2人で歩きました。ほんとぶらぶらしてるだけで目的無く歩いてました。で、9:00にロビーに戻り集合。朝食を食べにホテル内のレストランへ。チーズオムレツを食べました。そんなに大きくないのですが、妙にお腹にたまりました。昨日のでっけー料理が残ってるのだろうか?食事が終わって「いま、チェルシーが熱い」というのをTVで見たそうで、チェルシーに向かってひたすら歩きました。歩いて歩いて歩いてチェルシーあたりと思われるところへついたのですが、どー見ても住宅街。何が熱いのだろう?よくわからないし、ニューヨークっちゃーニューヨークな町並みですが、熱さは感じません。ていうか、すげー暑い。今日は妙によい天気で、夏です。さすがにダッフルコートは着てこなかったけど、トレーナー着てたのですが、耐えられずシャツ1枚になりました。なんでこんな暑いんだNY。てことでチェルシーに見切りをつけて、SOHOへ向かいました。「タクシーじゃんけん」スタート。負けた人は助手席で行きたい場所を伝える。女の子負けました。確かに助手席は怖いわ、黒人のおっちゃんだったら尚怖い。でも乗ってたのは優しそうなおっちゃんでした。princeストリートは通じず、springストリートで降りることになりました。で、SOHOはやっぱり芸術の街といった感じです。いい味だしてます。友達は昨日、土産屋で買った絵はがきを後悔してました。いいセンスの絵はがきがいっぱい売ってます。その中で、どこかで見たことあるぞという「Milk Drop」の絵はがきを見つけたので買おうと思いましたが、「2$50cは高いな〜。カラリオで作れるじゃん。」というのが頭によぎり、やめてしまいました。我ながらセコイ。ニューヨークって何故か「ニコちゃんマーク」だらけです。ニコちゃんマークは、僕の宴会芸でお腹に生まれたという切っても離れられない関係になってしましました。それで、この絵はがきも買おうかな〜と思いましたが、「ハンズで買えるじゃん」という言葉がよぎり、またもや買いませんでした。どーも、僕はその場で欲しいという気持ちを抑えてしまい、後悔するタイプです。前にグアム行ったときもお土産かわなすぎて後悔してました。反省は全くいかされずです。ところで、芸術といえば裸婦。モザイク無しの写真集がいっぱいです。女の子いるので、買いたい気持ちを抑えときました。その後、フリーの絵画館のようなところがあったので、入りました。鉛筆で丁寧に書いていて感動しました。天気が良いので喉も乾いたので喫茶店へ。コーラのMサイズは日本のLサイズ以上あります。さすがアメリカです。SOHOにあきてきたので、またまたタクシーじゃんけん。今度は彼氏くんが負け。ターバンまいたおっちゃんが止まりました。そしてセントラルパーク近くの美術館へむかいました。タクシーの中は妙に暖かく気持ちいいので睡眠。つきました。が、しかし、「木曜定休日」。ありゃりゃ、ついてなーい。別の美術館へ向かいました。途中友達が出店のアイスを買ったところ、どーみてもナッツチョコバニラアイスなのですが、杏仁豆腐の味でした。メトロポリタン美術館というゆうゆう有名美術館で、ヨロイなどを見てました。西洋のヨロイも東洋のヨロイもあり、なかなかカッコよかった。他にエジプトで発掘されたものなどを見て2時間くらいたちました。彼氏くんは大分疲れてたよーなので、セントラルパークでお昼寝。その間、僕と友達はマックへお買い物、セントラルパークを約1時間もあるいて買いにいきました。えっらい遠かった。で買って、タクシーで帰ろうと思ったのですが、まったく止まらず、乗車拒否。これが人種差別というやつか。近くに地下鉄の入口もなく、また1時間かけて公園に戻るのでした。疲れ果ててダブルチーズバーガーを食すのでした。でっかくてうまい。その後、暫し芝生で睡眠。だいぶ体力回復しました。ニューヨークは7時ですが4時くらいの明るさです。ワーナーストアでお買い物。バックスバニー自由の女神キーホルダーをお土産に買おうと思いましたが、名前入りなのでやめました。さすがに日本人の名前はありません。kenが羨ましい。そんで、ホテルに戻って2時間くらい睡眠してから、お食事。プラネットハリウッドという店で、ハリウッド映画グッズを見ながらお食事。ポークチャップを注文。んーうまい、うまい、アメリカの肉はうまいのー。で、友達がトイレもハリウッドなはずだというので、つれション。まったく普通のトイレでした。シャンプーをつけてくれる人がいました。チップめあてでした。1$わたしました。ションプちょろっとつけるだけで1$たー、いー商売。ストリッパーなら1$でかなりサービスするぞ!!とグアムを思い出すのでした。で、帰って、しょーもないサスペンス映画にはまってしまい(もちろん英語わからず)、睡眠は3時。おやすみなさい。

1999年4月9日(金):雨
 今日はガイドブックによると、グッドフライデーちゅー祭日のようです。8:30起床、昨日同様、マンハッタンをぶらぶら。すんげー寒い。なんだこの陽気の違いは。ちょっと喉痛くて風邪気味。こんな天気変わったら普通風邪ひくわ。で、途中雨が降ってきましたので、いそいでホテルへ戻り9時ロビー集合。雨も小降りになってきたので、出発。昨日は朝飯がだいぶ腹にもたれたので、朝食とらずに出発。まずは自由の女神を見に地下鉄へ。SUBWAYは怖い怖いといってましたが、やっぱ怖いわ。貝のようにおりたたまれて眠ってるおっちゃん。怖いわ。まーそれ以外は普通の電車かな。で、ガタンガタン揺れて終点到着。なかなか、いー町並みです。綺麗な公園です。そして、ちっこい自由の女神です。ほんと、手のひらに乗りそうなくらい小さい。そうです、遠いのです。フェリーに乗って島までいかないと、自由の女神らしさがでない。祭日なのか、すんげーこんでてフェリー乗る気しません。とりあえず写真とって、出店でホットドック食べて、喫茶店でモカ飲んで、また地下鉄に乗り、リトルイタリーへ。ついたのは、チャイナタウン。さすがに雰囲気が違います。東洋人がいっぱいいて、魚屋や八百屋がいっぱい。リトルイタリーは?と思って、街をあるいていると、ほんとリトルでした。どーやら、ノンビリしているイタリア人が、中国人にくわれていってるようです。どーみても、イタリーな建物の1階に漢字の連発。でも、イタリアらしさを求めてお店へ。はまきのお店に入りました。直径8cmくらいのはまき売ってました。その箱にあるはまきくわえたおばちゃんの写真がおもろい。んで、リトルイタリーを抜けて、またもやSOHOへ。途中雨が強くなってきたので、折り畳み傘をつかいました。こばらも減ってきたので、ZOEというレストランへ。Dayly Specialを頼んだのですが、いまいち。素直に友達お勧めハンバーガーにすりゃー良かった。そんでもってSOHOでお土産買い。とりあえず、英語版ガイドブックを購入。30年前のガイドブックが家にあったので、それと比べるのが、いとたのし、ということで買いました。んで、小物ショップに入ると、日本のものが輸入されているコーナーがありました。ドラえもん、鉄腕アトム、ヤッターマンなどなどのグッズがあり、なぜか、上履きや運動着袋がありました。まー、こんなところで日本のもの逆輸入したところでしゃーないので、何も買わず終了。で、タクシーで帰ろうと思いじゃんけんしたものの、タクシー全く止まらず。僕らがビショビショだからか、またもや人種差別かは不明。信号待ちで止まっているタクシーに声もかけたが「NO」だそーです。ありゃりゃー、ってことで、地下鉄で帰ることにしました。ホテルの近くのデズニーストアでお土産購入。とりあえず思い出をってことでTシャツ購入。女の子が風邪で気分悪いということなので、とりあえず集団行動終了。ホテルで30分くらい休んで、最後の計画をたて、友達と2人で行動。まずは地下鉄で1日フリーパス券を購入しようと思い「1DayFreePass Thicket Prease」というのだがしかし、こてこての中国人の販売委員におもいっきり睨まれ、英語で怒られる。もう1度同じことを言うが、「ない」と言ってると理解。しゃーないのであきらめる。まずは紀伊国屋へ向かいました。紀伊国屋は日本の本ばっか売ってました。店員も日本語で対応。ここで、日本語の本買ってもしゃーないので、英語のマンハッタン地図と、英語の日本アニメ雑誌を購入。その後、近くの教会でお祈り。そしてお土産やでTシャツ4枚購入。で、また地下鉄にのって、僕のおじいちゃんが昔働いていたチェルシーあたりへ行きました。ぼくのおじいちゃんは今から60年前くらいにニューヨークで、ヘアトニックの製造販売をしていたのです。エンパイアが建つ前の話しです。いざ239,7thAveへ。いってみると、ただの雑貨屋、なーんの思い出もなければ、痕跡もない。とりあえず写真を撮って、隣の店でペプシとまずいのど飴購入、ここでも法外な雑誌があり、買おうかなーなんて思ったけど、じっちゃんの名にかけて、いかんと思い、やめ。そして、また地下鉄でホテルへ戻るのでした。しばらくの睡眠後、最後のディナーへ。最後は金をかけようと重い、ヒレステーキ約30$。すんげーぶ厚くてうまい。いー思い出だ。うまい、うまい、うまい。で、なんだかんだとお土産買う機会がないので、コンビニで、チョコレート詰め合わせ購入。あーこれで、ニューヨークともお別れか。

1999年4月10日(土)〜4月11日(日):曇り/雨
 朝5:30起床。眠い、眠い、眠い。ロビー集合6:00。HISの現地のウンジャラ毛のおっちゃんが来ました。JFケネディー空港へ、途中有名な橋を通り、最後の観光。なんか、怖い黒人のお兄さんがいっぱいいそーな、一人で歩いたら、こりゃ死ぬなって街を過ぎ空港へ。まー例によって、ピンポン4回。次の目的地はポートラント(オレゴン)です。国内便なので、DutyFreeでお買い物はできないそうです。よって、売店で、しょーもなグッズ(鉛筆、ライター)購入。喫茶店で、サンドイッチ購入しゆっくりしてから、フライト。国内でも時差があります。到着まで2時間くらいかなーって思ってたら、6時間もフライトしてました。なんか、スチュワーデスもスチュワードもめちゃくちゃ、愛想よくて、やさしい人でいい便でした。こんだけ、やさしい人に英語教わったらすぐ上達すりんだろーなー、って思いました。乗客があまりいなかったので、シート使い放題。横になって睡眠。途中、アルプスの山々が綺麗に見えました。で、オレゴン到着。雨でした。外にでることはないですが、お土産購入できる時間が結構あったので、ぶらぶらしてました。ニューヨーク土産は当然ありません。みんなオレゴンオレゴン書いてあります。しゃーないので、USAと書いてある、ジッポ購入。彼氏くんは彼女いるにもかかわらず、モザイク無し本購入。僕も買おう買おうと衝動にかられましたが、なんかやな予感がしたので、購入なし。そして、またもやピンポン検査。おもいっきり「ピンポン」なってるのに、「OK」言われて素通り。「なんなんだ?」と思ったが、どーやら、近くのピンポンにかき消されたらしい。これで拳銃もってたら、どーなんだ?と思いつつも、ラッキーですりぬけ。そして、飛行機に乗るのだが、日本人だらけ。なんなんだ!オレゴンから愛の影響か!!しか〜も、後ろ座席は、すんげーうるさい、ブスな女子高生軍団。「ちょー、日本人だらけで、うざいって感じよねー。」と言ってました。おまえがうざいんじゃーボケー!!と思いました。「あー、やだー、離陸しちゃうよー、あーアメリカお別れだよー」と言ってました。日本人の恥じゃ、おまえなどさっさと日本帰れーボケ!!と思いつつも、大人はだまってみまもるのでした。さすがに、まえのシート(ぼくらの座ってるシート)、足でぐらんぐらん揺らしてる時は、殴ったろかと思いましたが、やめました。そして12時間のフライト。かなり疲れてたので、よく眠れました。食事はオレゴン風ステーキを食べたのですが、やっぱ機内食って感じ。昨日の味を忘れてしまう、いまいちな味だった。そして食っちゃ寝のすえ成田到着。成田は雨でした。荷物が見つかるまで約30分かかり、日本は丁寧なのかいなー?と思っていた、この時間、ある大変なできごとが。なななななんと、彼氏くん先ほどの本が見つかり、別室へ。彼女が冗談言ってるのかとおもいきや、ほんと捕まったそーです。そして、30分後、戻ってきました。カツ丼食べたそうです。というのは冗談で、ほんと狭い取調室へ行ったそうです。そこで、体をボコボコにされ、「こんなもんもってきて、いいとおもってんのかー」と摂関。これもウソ。でも狭い取り調べ室はほんと。そこで、エロ本開いて、「ん〜これくらいはOKかなー、はい、これOUT」と見せられったそーです。「君も子供じゃないんだからわかるでしょー、分かるよー、僕も男だからねー、僕もオーストラリア行った時は買ったよ。でも現地で捨ててきたよ。麻薬とかはやってない?まー君が向こうでやる分には問題ないんだけどねー」と、カバンの隅々までチャックされたそうです。そして指紋をとられ、「まー今回、はじめてということで、没収ということで勘弁するけど、今後しないよーにね。」って言われて触法されたそーです。いやー、いい経験してるわ。買わなくてよかった〜。んで、空港のラーメン屋で久しぶりの日本っぽい食事を。この経験談をさかなにお食事。帰りはリムジンバスで品川へ。品川につくと調度、快速が来ていたのでラッキー。家についたの19:30。気合いで選挙へ向かうのでした。場所も分からず、8時2分前ギリギリセーフでつき、最後の投票者になりました。ここで問題発生。迷子になりました。こんな近所で、しかも雨でビショビショ。こりゃニューヨークに一人にされたら死ぬなって思いました。


戻る 戻る

canbe@mva.biglobe.ne.jp