チュニジア日記

 ついに行っちゃいました。アフリカ!といってもほぼヨーロッパ的なチュニジアですけど。チュニジアに行くに至った経緯をご紹介いたします。僕の大学院の同期にチュニジア人のベンさん(ベン・ハマドゥ・ワリド)という人がいます。卒業してからもベンさんとはよく横浜で飲んでました。ベンさんと話ていて、いつかチュニジアに行きたいな〜と思っていました。大学院ではじめて「チュニジア」という言葉を聞いた時は「どこ?」って思ったのが本音です。その後、ベンさんのナツメヤシや卵料理、クスクスといったチュニジア料理を食べたり、チュニジアのスライドを見せてもらい興味を持ちました。今年の頭には研究室の同期会をチュニジア料理の店でやりました。最近ではサッカーでも耳にしますし、観光地としてもTVで取り上げるようになってきました。そんな中、ベンさんと一緒に飲んだ時に、夏休みで一時帰国をすることを聞き、「是非、来て下さい」と言われました。その時にはカナダ行きが決まっていたので、さすがに二ヶ月連続はまずいよなぁと会社に気を使うのでした。大学院の友達(カナダとは違う同期ね)に、この話をしたら是非、行きたいということになり、本格的に考えてHISへ行き、格安航空券の問い合わせをするのでした。自分の中ではこの時期10万円切ると思っていたのですが、それはエアロフロートでロシアに泊まった場合。そんな泊まる時間はないよ。その時点ではエールフランスの料金が出ていないので料金公開待ちということで保留にしました。行く気まんまんモードになったところで、ベンさんからメールが来ました。「会社の同期が来るから3人はダメね。」。まー、ダメと言われて強引に行くわけにもいかず諦めました。エールフランスの料金が出たってことでHISのお姉ちゃんから電話があたけどシカッティング。そしてカナダを満喫して、あー、また海外行きたいなぁ」なんて思ってたら、前回のエッセイにもあるあの事件。会社の同期の妹はグアムで足止めだって。友達のお姉ちゃんはハワイでの挙式を諦めて舞浜で挙式だって。そして、ベンさんの会社の同期は会社から「プライベートでも海外へ行くな」命令が出たそうです。当然、同じ会社のベンさんも出てるのですが、さすがベンさん、帰国は決行。帰国の数日前にベンさんと横浜で鼎泰豊の小籠包を食べながら再び「是非、来て下さい」と言われるのでした。翌日、HISのお姉ちゃんに電話して「まだ、予約は大丈夫ですか?」と聞くのでした。当然キャンセル待ちです。でも、この時期は揺れ動いているのでキャンセル相次ぎますとのこと。翌日「取れました」の電話。週末にはHISに足を運び航空券引換証をゲット。静岡在住の友達の分も金を払うのでした。あー、高いなぁ(涙)。余談ですがチケット購入の際、担当のお姉ちゃんがお休みで別の子が来ました。笑顔がめちゃカワイイ。次もHIS行こ〜っと。その後、ベンさんのお兄さんにメールを送るのでした。フランス語と英語と日本語(ローマ字)の混ざったメール(苦笑)。そして、国際電話。「アロー」の問いにフランス語で「アロー ムッシュ ミヤウチ ア ラパレイユ。 エスク ムッシュー ワリド、エラ?」と答える。たぶん通じてないけどチュニジア人でもフランス人でもないということは判ったみたいで、「ワリドー、ワリドー」という母ちゃんが息子を呼ぶ声が響く(笑)。一応、確認でベンさんに上記のフランス語を聞いてもらう。「ん〜、なんとなくわかるね」という曖昧な回答(苦笑)。そして、その後「問題発生」のメール。「二人はダメね、一人ね。」。もう航空券買ってるし無理無理〜。そんなわけで泣く泣くベンさんの家ではなく、ホテルに泊まることになるのでした。観光案内もしてくれないんじゃないかって、すんげー不安&ブルーになりました。フランス語圏ですよ英語圏でも難しいのに。しかも、イスラム教圏、無宗教の僕としては失礼な態度をとるんじゃないかと不安。原理主義な人もいるんだよねぇ。この時点でまだ有給申請してないし、辞めちゃおうかな〜とも思ったけど、キャンセル料半額は痛すぎる。この半額でアメリカ行けるって言ったら、今回のチケットがいかに高かったか判るでしょう・・・。そんなわけで前置きだらだらでしたが、不安いっぱいのチュニジア日記のはじまりはじまり。

2001年10月3日(水):晴天
 午前中は普通にお仕事をするのであった。旅行とは関係ないんだけど、会社の健康管理センターで血液検査をするので朝食は抜いて出かけるのだった。日本最後の昼飯はショウガ焼き。帰宅してシャワーを浴びる。旅行の準備は昨日終わったのですが、やっぱしカバンを背負えるものにした方がいいのではないかという疑問を抱いた。なにせ、ベンさんが相手をしてくれないとか、会えなかったなんて事態が発生したらバックパッカー生活をしなきゃいけないじゃないか。1時間くら悩んで、ベンさんを信じることにして、いつもの旅行カバンで行った。成田には6時過ぎに着いた。一緒に行く友達は海外旅行初めてくん。僕より2時間前くらいについて、行く前からビビっている状態。空港について友達が見送りをしてくれるっちゅーことで、一緒に行く友達をほったらかして(笑)、しばらくお話タイム。その後、日本最後のお食事。牛タン塩焼き定食。空港の飯は高い・・・。両替は日本じゃできない。でも乗り継ぎのパリでフランは必要でしょうってことで、2万円をフランに換金。保険に入るか悩むこと30分。海外旅行初めてくんは保険に入った。僕は楽観的に入りません。だって「死人に口なし」でしょ。死んだ時、誰が死んだって保証して、誰にお金払うの?あれって住所と電話番号書くだけだよ。受取人に証拠を渡さなきゃ意味ないじゃん。まだまだ時間が余っているのでコーヒーショップでカフェラテとガーリックトーストを食べる。出国審査を受けて、中でお土産の「人形焼き」を買っていよいよ出発。隣の席が綺麗なお姉さんであることを祈りつつ座ると、ハイ、おばちゃん・・・。スチュワードはいかつい兄ちゃん。席はキャンセル待ちなので当然真ん中。両サイドの脇は夫婦+赤ちゃん。そう、ステレオでわめき声が聞こえるのだ。子供も多くて、機内をドタバタ走りまくり。どんな教育してるんだ・・・。料理は「ジャパニーズフード」か「フレンチ」を選ぶかたち。僕はジャパニーズフードに。美味しいような美味しくないよーな。もう寝るしかないね。で、朝食のオムレツに起こされて、パリのドゴール空港につくのでした。

2001年10月4日(木):晴天
 パリ寒〜。全然、考えてなかったよ。朝の4時のパリ、そりゃ寒いわ。チュニジアの気候しか考えてなかった。電話で「暑い」って言われてたので、飛行機は長袖一枚っすよ。パリの空港の探知機はすんげー厳しい。ズボン脱がないと無理じゃん。まー、いつものハンディー探知機でチェックしてもらうのですが・・・。いったい何を探知したいのやら。コーヒーショップでタダでパンとコーヒーがもらえるとかでくつろぐ。ていうか、こんな時間に空いてる店ありゃしないので、ここで休むしか選択肢ないんよ。てことはさっき交換したフラン意味なしじゃん。どうやらチュニジア行きの日本人ツアー客がいるようでコーヒーショップは日本人だらけ。チュニジア14日間の旅だって。いーなー長い休みとれて羨ましいと、その時は思った。その時はね(意味深)。チュニジア行きのBゲートがどこにあるかさんざん悩みうろちょろすること30分。ようやくバスで行くことが判る。バスもかなり不安でいっぱい。ホントBゲート止まるのかよ〜。と思ってたら日本語アナウンス。さすがエールフランス。電光掲示板をチェックして予定のゲートに行くと、お姉さんが「Can you speak English?」てなこと言って、ゲートが変わったと伝える。変更されたゲートに行くと「チューリッヒ行き」と書いてある。ホントにいいのか?と思いつつもゲートの中へ。ここでまた厳しい探知機チェック。そしてロビーに座ること数分。何やら「席を移れ」の指示が出て。次に何やら叫んで「このゲートから出て行け」と叫んでいる。「何事?」全員がそのゲートから避難して、アーミー服に機関銃をもった人やお巡りさんが集まってきた。流石に本物の銃を見ると金○キューって感じ。後で判ったんだけど、どうやら引き取り手の無い不審物があったようです。その時はフランス語はもちろん、英語のアナウンスも聞き取れないのでパニック。テロ?爆弾?群衆の人たちが耳を押さえた。僕のほほを銃弾がかすねた。「・・・いる。」物陰に身を隠し、周りを伺った−。んなわきゃーない。なぜ耳を押さえたのかは未だに不明。僕の近くに紫色のターバンをして髭を生やしたおっさんがいて、その片手にもっているバッグが妙に気になってしょうがなかった・・・。そのおちゃんからは距離を置いたよ。飛行機につっこむ人たちがいるくらいだからねぇ。「もしかして」とか思うよ。保険に入ればよかったってマジで思ったね。で、結局何事も無く、再び厳しいチェックをされて1時間遅れのゲートイン。紫のおっちゃん、疑ってごめんよ〜。飛行機の隣の席には一人旅の学生。あんた、すごいねぇ。そして、チュニジア入国審査。ダメね。英語判らな〜い。泊まるところをひたすら聞かれる。でも、ベンさんの住所は判らないし。ホテルの名前も判らない。とにかく「My Friend」「My Friend」と繰り返して、電話番号を教えて、なんとかクリア。さーて、やっぱし空港にベンさんいないぞー(涙)。個人旅行の始まりか・・・。そこに先ほどの学生さん登場。とりあえず一緒に換金所へ。窓口で並んでいると、「デュッハ」。ベンさん登場。心晴れ晴れ。学生さんとお別れして、ベンさんのお兄さんの車でベンさんの家へ。チュニジアのビールを戴く。お母さん登場、奥さん登場、息子のジンくん登場、お父さん登場、妹さん登場、妹の旦那さん登場。なんで一人づつ登場するんだ?その度に、緊張の握手・・・。にしても、ジンくんはカワイイ。家族もみんなデレデレ顔で「ジンノー、ジンノー」って言ってる。ちなみに「ノー」はアラビア語で「ちゃん」らしい。その後、僕の観光先でアラビアン討論となる。僕がサハラに行きたいと言ったのがきっかけ。妹の旦那さんはサハラ派。お父さんはスース(地中海のリゾート地)派。アラビア語で討論されても参加できん。当の本人は置き去りに討論は進む。結局、時間も無いし、友達がスース派になったのでお父さんの意見を聞いてスースに行くことにしました。友達がスース派になったのは奥さんのひとこと「ヌーディストがいる」である。チェリーと旅はしたくないものだ・・・という僕も傾いたけどさ(苦笑)。そして家族全員でお食事。いーですねぇ、暖かい。クスクス(チュニジアのご飯?)とサラダデチュニスとタジン(卵のパイ包み)と魚料理を戴く。美味いけど辛い。お母さんが日本語で「もっともっと」と奨める。断れない・・・。食後はベンさんの予約してくれたホテルへ。安いホテルだけあって、小さいし、窓の外はクラクションでうるさい。チュニジアの人は我慢ができないようで、なにかとクラクションを鳴らすのです。ベンさんに1D(ディナール)=100円で換金してもらう。今回の旅は友達にはお金を持たせないで、僕が大蔵省を勤めることにした。で、ベンさんは帰ってしまい。結局、2人の個人旅行が始まるのでした。とにかく外に出て、半ズボンでメディナへ向かうのでした。これが大失敗。夕暮れで涼しくなってるし、誰も半ズボンはいてない。半ズボンはいてるのは僕ら2人だけ。「日本人」と2秒で判る格好。フランス門について記念写真を撮って、メディナのお土産街道を歩くと「ジャポネ」「こんにちは」「カワサキ」「ジャッキー」「さよなら」「カワサキ」「ナカタ」の嵐・・・。昔は「ジャッキー」がメインだったようだが、ジャッキーは日本人じゃないことに気づいたようで、最近のブームは「ナカタ」らしい。余談だが「ヤマカシ」とは言われなかった(笑)。グランモスクに着くとおっちゃんにからまれたので、へたれぶりを表し退却。バビブブルギバ通りの時計台と像を見てお帰り。帰り道で通りすがりのチュニジア人とコミュニケーション。一緒に飲みに行こうと言われるがさすがに断る。帰りの道で血だらけの人が鉄道警察に連れられている。その血をちょっと浴びてしまい、かなりブルーになった。「俺、こんな国にいていーのか?」と不安になる。ホテルに戻ると、ベンさんから電話があり、明日の予定を聞いて安心して寝る。長い一日だった。

2001年10月5日(金):曇天
 朝早く起きる。朝食を食べに行き、受付で朝食が付いてるか聞くが、別料金だという回答。うそーん。やめ。ベンさんから全く電話連絡が無い。まつこと数時間。やっと電話がきました。腹減った。ベンさんが迎えにくる前にポストカードを送る。10時にやっとこさ迎えにきた。なんの打ち合わせもないまま、ルアージュステーションに連れて行かれルアージュ(乗り合いタクシー)に乗せられる。嫌な展開だ。どうやら、ホテルを予約しただけで、ツアーは無いらしい。知らないおっちゃん3人と運転手、僕ら2人でスースへ向かう。約2時間タクシーに揺られスースのルアージュステーションへ。運転手がタクシーを紹介してくれることになっているのだが、紹介されたのがモグリのタクシー。10Dぼられる。黄色い正規のタクシーでいけば5Dくらいで済んだと思われる。なんかやたら、ルアージュステーションから離れるなーと思うと、ここスースじゃないじゃん。ポート・エン・カンタウイというリゾート地です。なんかやったらいいホテル。五つ星ってやつらしく高級感だしまくり。受付でシートを記入して、鍵を受け取る。ツインじゃなくてシングル2つ予約したらしく鍵が二つ。部屋へ行くとツインじゃん!ツイン2つ。「なんでやねん!」一部屋でいーじゃん・・・。まー、予約したらしゃーないってことで、諦めてリゾートを楽しむことにしました。しっかし、なんですかこの部屋は・・・。新婚旅行でくるとこっすよ。窓を開ければエアコンが止まる。閉めれば再びつく。トイレとお風呂は別。お風呂には洗面所の他に洗い物をするようなところがあり、これをトイレだと勘違いしてしまい、チュニジア人はどーやって大をするんだって悩んだ(爆)。ヨーロッパ人が主に利用している高級ホテルだ。こんなとこになんで男二人で来なくちゃいけないの・・・。あー、やっぱし砂漠へ行くべきだった。何はともかくビーチで海を見ることにしました。ベンさんの奥さんは下手ホメしてましたが、これならハワイやグアムの方がいんじゃないかって感じ。なんでリゾートしにチュニジアまでこにゃあかねん。だいたい、ヌーディストなんていないじゃん。下半身デブになったおばちゃんばっかやがな・・・。で、朝からていうか昨日の昼から何も食べてないので、海の家のようなとこでシーフードパスタとコーラを注文。普通に美味いけどチュニジアと関係ないよなぁ。そして、ホテルのプールで日光浴。やっとトップレスに出会えました。太めの奥さん・・・。このままではいけない。ビーチに戻り海水浴をしました、おばちゃんと・・・。友達は水着をもってきてないので、見てるだけ・・・。友達の提案で浜ぞいに歩いて、港まで行くことにしました。やったら距離が長い。「なげーよー」って言うと、すねてしまい、ひとりでスタスタ行ってしまう。ん〜、お子さまだ・・・。僕は現地の人と交流しながら歩く。途中、綺麗なお姉さんのトップレスが見られてちょっと満足まんぞう。マリンポートに着いて、ファンタを購入。英語は通じるので「How much?」で「3D」と言うので払うと、不服そうな顔で「OK」と言う。どうやら1本3Dって言いたかったみたいだ。そりゃガーリー(高い)やで。カナダの失敗を教訓に早めのお土産購入。ホテルに戻るとベンさんから電話があったとの伝言。公衆電話でかけようと試みるが使えない。部屋に戻ると、果物の山が机に置いてある。さすが高級ホテル。部屋から電話すると「なぜ二部屋?今からでも一部屋にした方が良い」といわれた。受付で交渉。あー、英語判らなねぇ。兄ちゃん早口すぎだよ。紙に値段を書かれてようやく理解できました。ステイ代を払えばOKってことでした。明日も泊まるし、友達も一人だと不安そうだし、払うことにしました。TVでドイツのクイズミレオニアがやってて見入る。お腹空いたのでホテルのバイキングへ。友達はハンズボンで行ったら、「半ズボンはダメ」と言われ戻ってGパンに履き替える。友達は、これにめちゃくちゃヘコタレてしまい食事が全然のどを通らず、早く部屋に戻りたいと言う。ん〜、バイキングなのにもったいない。まー、ぜんぜんチュニジア料理じゃないんだけどね。ウェイターも怖い顔してたから、めげる気持ちも判るわ。で、僕はさきほどの果物を食い過ぎた上にバイキングで食いまくったのでお腹を壊しました。水っす・・・。

2001年10月6日(土):晴天
 6時半起床、お腹の調子はすこぶる良い。朝食もアメリカンなバイキング。友達は昨日のことがあり食堂恐怖症になっているが、何事もなく、ばくばく食べてました。ホテルを出てタクシー乗り場へ。英語できないあんちゃんで、スースへ行きたいとガイドブックを見せるが、納得してくれない。数分後なんとか納得したようでタクシーに乗り込む。どうやら、そんな近くに行きたくないらしい。必死にスースより遠いモナスティールを奨めている様子。「土曜市をやっているから行くべきだ」とフランス語でいってるようです。でも僕は「ノン」と断りスースへ行くのでした。スースに着くまでの間、ずーっとモナスティールを奨めていた。ガイドでスースを見たが、なんか面白みにかけるんだよね。そこで僕の希望で「エル・ジェム」へ行くことにした。鉄道に行ってみるが、すでに電車が出たばかりで次の電車は6時間後・・・んなアホな。しかたないので、スースのメディナを歩き抜け世界遺跡のグラン・モスクを見てルアージュステーションへ行くのであった。ルアージュで交渉。行き先を叫んでるおっちゃんに40Dをふっかけられるが流石に断る。水を飲んで休んでいるとおっちゃんが近づいてきたので交渉。15Dで行くとのことでOKする。汚い車で荒い運転、シートベルトのはめるとこは壊れてて、警察を見るとベルトをお尻に挟んでるし。英語もできないし。でも気の良さそうなおっちゃんなので、そのままエルジェムへ向かうのでした。窓全開で風にうたれること1時間、ようやくエルジェムに着いた。戻りの時間を2時と決めて、おっちゃんと約束。降りると観光客相手のラクダ遣い登場。金取られると脳裏に浮かんだが、ラクダ乗りて〜という僕のマインドの方が勝ち。なにも考えず、なすがままに乗る。で、サングラスかけた別のおっちゃんが写真撮影してくれた。友達はのり気じゃなかったくせに乗る。僕より長く乗る。歩行する。そしてサングラスのおっちゃんがガイドブックを持ってきて押しつける。絵はがき、地図と順番に押しつけられ20D一気にぼられる。なんの抵抗もできない自分に嫌気がさす。ラクダ遣いのおちゃんは友達を乗せて円形闘技場まで案内するみたいなことを言ってる。このまま行ったらいくら取られるか判ったもんじゃないので、「ここからは歩いて行く」と説明。そして一人10Dづつ取られる。おいおい、俺ラクダに乗っただけで歩いてないぜ!なんて説明もできず20D払うことに・・・。ちょっと友達に嫉妬した。こんなとこで40Dも使ってしまった。まー、ラクダが高いのは納得ですが、サングラスのおっさん。あいつは殺すリストにエントリーだね。気を取りなおして、円形闘技場へ。カフェのお兄ちゃんがいろいろと説明をしてくれる。大分、人間不信になりつつある僕は、なんか信用できず、逃げるように円形闘技場に入っていく。来てよかった。やっぱ世界遺跡はいーわ。やっと、チュニジアを観光しているって気分になったよ。友達は夏ばてな感じ。円形闘技場を出るとカフェのお兄ちゃんによってかないか?と言われるが博物館に行くと言って断る。というか資金切れ。さっきのラクダに金使いすぎた。博物館の途中の銀行によることにする。すっげー簡単に換金してくれた。ん!ベン銀行よりかなりレートいーじゃん。1D=89円くらいだぞ。やられた。博物館の料金は円形闘技場の入場券に含まれるのですが、場所が離れている上に、壁画だけのへっこいとこだった。小腹が空いたのでさっきのカフェへ行くことにしました。人間信用しなきゃダメだと改めたのです。でも、さっきの兄ちゃんいないじゃん。しばらくすると来ました。チュニジアンサラダとコーラを注文。パンがやたら多くついてくる。夏バテな友達はコーラしか注文してないけど、パンも食べる。お兄ちゃんと話をして、やっぱいい人だったと気づく。冷たい水を持ち帰りで注文。カフェを出るとお土産屋のおっちゃんが「おひまならきてよね。」と流ちょうな日本語で言ってくるが無視。ルアージュ乗り場に戻ると、まだタクシーが来て無くて、さっきのサングラスのおちゃんが休んでいけというが、おまえの店などぜったい行かないわ!「おひまならきてよね」のおっちゃんのとこに戻り、コーラとファンタを注文してトイレを借りる。2時ジャストさっきのおっちゃんが来た。アラビア語で明日のチュニス行きも約束する。スースの市場を見てから、博物館へ。たいして面白くない。メディナでお土産買って、観光列車に揺られ、馬車に乗ってホテルに帰る。昨日と同じ夕飯。でも、気のいいウェイターで友達も安心。僕のことを「プレスリー」と言ったり、スープにビールをつごうとしたりとおもろいおっちゃんだった。ルアージュの風で風邪を引いたようなので早めの就寝。

2001年10月7日:晴天
 7時半起床。やや風邪気味。朝食。昨日食べられなかったオムレツを作ってもらい満足。朝の海を眺めてから、チェックアウト。タクシーを呼んでもらう。来たタクシーは昨日のモナスティールあんちゃん。お互い苦笑い。そしてあんちゃんの言った言葉は「ケロアンへ行かないか?」。モナスティールより遠いとこ。当然、断る。昨日、おっちゃんと約束したルアージュステーションで待つ。ひたすら待つ。まってる間、多くのチュニジア人がこちらをにらむ。ちらっと見て、「ジャポネ」と言う人も。視線が痛い。小汚いおっちゃんが握手を求めてくるが断る。次に友達が求められ、握手をしてしまう。おっちゃんがベラベラしゃべりはじめ、友達のもっていたペットボトルをはぎ取り、水を全てぶちまけられる。そして去っていった。な、なんすか今の・・・。周りのチュニジア人を見ると。頭に指を指している。万国共通「彼はキチガイだ!」のジェスチャー。納得。これに友達はかなりめげてしまった。ていうか、俺でもめげるわ、あんなんされたら。約束時間10分過ぎくらいに昨日のおっちゃん登場。嫌な予感はしてたんですよ。昨日のエルジェム行きは貸し切りなので15Dと一人3Dのところを5人分払ってるんですよ。チュニス行き貸し切りだと7D×5=35D払わされることになります。「他の乗員を捜せ」とフランス語で言って納得したようなのですが、このおっちゃん窓を開けて「チュニス」と小さな声で言って、「35Dは高い」と言うと、ニコニコして自分の名前を見せて「心配するな」見たいな顔をして出発してしまう。そしてチュニスに着くとしっかり35D請求。なんなんだこのおっさん。チュニス行きのルアージュなんていっぱいあるのに、わざわざおっちゃんを信じて待ってたのに、この扱い。許せない。信じた人に裏切られるとすっげー寂しい気分になる。ハンツァ(おっちゃんの名前)、あんた殺すリストにエントリーだよ。他の乗員を捜すのもあんたの仕事だってこと判ってるだろ。楽するな!「TAXIに乗らないか?」と言われるが、もう人間不信が抜けなくて断る。しばらく歩くことにする。でも荷物が重すぎるので、黄色いタクシーを自力で捕まえてベンさんの家に向かう。タクシーのおっちゃんは正規のタクシーのはずなのにいいけげんで乗り合いさせるし、メーター関係なしで8Dも請求してきた。ここで払ったらダメダメ人間リストにエントリーされてしまう。紙とペンで交渉。「メーターの初期値はこれだった。なぜこんなに払う。ガーリー、ガーリー。」と半額にさせた。ベンさんの家に入るとベンさんいない。お母さんが中に入れてくれて、お手伝いさんがビールをもってきて放置プレイ。2時間くらい放置されてベンさん登場。なんでも子供が風邪を引いたってことで朝から病院をかけづりまわっていたそうです。今日の観光は無理なのかな・・・。ベンさんのお兄さんの嫁さん登場。ベンさんの妹さんのお友達登場。綺麗な人たちです。握手握手。んで、お庭でみんなでお食事。魚美味い。今回のクスクスは野菜クスクスで、辛くなくて美味い。「もっともっと」と言われるがままに食べまくってしまいました。その後、ベンさんの友達とその奥様登場。アラビアンな会話が続く続く。このお友達がシティブサイド、カルタゴと案内してくれるらしいのですが、まだ昼飯は続くのです。4時過ぎっすよ。フルーツ、お菓子、ミントティーが出て、アラビアン会議は続く。やっとこさ出かけることになりました。もう夕暮れ。ベンさんの友達の車で、本日泊まる1日目と同じホテルへ行って荷物を置いてから、奥さんを家に送って、観光スタート。シティブサイトに着きました。ここは白と青の2色です。青いドアと鳥かごがチュニジアの象徴。とても綺麗な町です。まー、ここはメインじゃなくて次のカルタゴに期待だなぁと思っていると、ここの滞在時間やたら長い。ベンさんはお土産買いはじめるし、ベンさんの友達は並んでドーナツ買うし。ごちになったけどお腹いっぱいっすよ。やっとカルタゴについたって時は既に6時で観光時間を過ぎており閉門・・・。「日本人が来てるから入れてくれ」と交渉してくれて、ローマ劇場だけは入れました。遺跡見たかった・・・。ホテルに戻る途中。アメリカの報復が始まったというニュースがベンさんの友達の携帯に入る。え?俺ら飛行機大丈夫なん?やべ、保険入ってないぞ・・・。ホテルでニュースを見ると、ホント始まってる。僕は風邪をこじらせたので、水を買ってからすぐに寝ちゃいました。まー、僕らがあれこれ考えたところでどうにもならないってことは、カナダで経験済みっすからね。それにフランス語、アラビア語のニュース聞いても判らないしさ。

2001年10月8日(月):晴れ
 まだ不調。ホテルで朝食をとってから、メディナへ。1日目に行けなかったグラン・モスクを目指すのです。メトロに乗って行こうと提案するも、ビビリな友達は拒否。「宮内に任せるよ」と言われるが、ここでどうしても乗るって言ったらすねそうなので歩くことにする。グランモスク、シディ・ユセフ・モスクで写真を撮って、お土産タイム。フレンドリーなお土産屋があったので、そこで話し込む。お土産屋の青年の名前はワリド。ベンさんと同じ名前。知ってるアラビア語とフランス語、英語でいろいろ話をして「アミーゴ」と言ったら、「スペイン語がわかるのか?」と言われ盛り上がる。友達の誕生日プレゼントのお皿に名前を彫ってもらう。「すてきな名前だ。女か?」と聞かれる。「残念ながら男だと答える。」。ていうか「オカザキ(OKAZAKI)」って素敵な名前か?やっぱ、チュニジア人はいい人の方が多いね。人間不信になっちゃダメだと反省するのでした。帰りはどうしてもメトロに乗りたくて、友達の反対を押し切り乗る。乗り場は1日目の血だらけの男がいたとこ・・・。月曜日は通勤ラッシュですかねぇ。人がいっぱいいます。友達はどうもチュニジア人がいっぱいいると怖いらしいです。やっぱ満員電車。べつに乗ったからどーだってもんじゃないけど、なんか満足。ホテルの近くの駅で降りたのですが、反対側のホームは場所が違い迷ってしまいました。途中、手錠をかけられた2人の男がお巡りさんと歩いてました。本当に治安いいのかここ・・・。ホテルに戻るとメイドさんがベットメイキングしてました。カナダでもこんなことがあったなぁ。TVを見ると「イタリアで再びテロ(フランス語ね)」という文字が目に入る。今朝、ベンさんはアリタリアのイタリア乗り継ぎで帰ったので心配になる。まー、後でテロとは関係ないってことがわかるんだけどね。チェックアウトしてタクシーで空港へ。まだ出発まで6時間もあるよ・・・。3階のレストランでピザとコーラを注文。ピザめちゃ安い。お金の払方が判らず、出るに出られない状況。再びコーラを注文(苦笑)。店を出て、のどが痛いのでチュッパチャップス購入。子供が売ってるのですが1Dとか言いやがって、こんなガキまでぼるのか・・・。飛行機が落ちた場合を考えてハガキを送ろうと試みるのですが、切手を購入しただけで送ることはできませんでした。まだまだ時間も余っており、座ってボーっとしていると、チュニジア人が隣に座って、質問して来ました。いろいろ話し込んでいると、英語講座が始まってしまい、ingが付くと進行形だとか勉強させられてしまった。知ってるって・・・。歳を聞いたら23歳。って俺より5歳も若いんかい。こっちの人は老けて見えるなぁ。受付カウンターへ行くと、日本人発見。めちゃくちゃ発見。どうやらツアー客のようです。話を聞いてみると10日のツアーなのだが引き上げ勧告がでて3日で返されてしまったそうです。添乗員さんは、初日の14日ツーアーの人よりかなりかわいい。なんて思ってたら14日のツアー団体が来た。いました添乗員さん。そうなんです5日で引き上げ。行きも帰りも僕らと同じ飛行機でやんの。んなわけで羨ましいの前言取り消しね。行きのチュニス行き飛行機で後ろに座っていた人が話かけて来ました。新婚旅行だったそうだ。最悪ですねぇ。チュニジアは危険度2に上がってツアー客は引き上げだって。流石日本人、空港内でトランク開けてお土産つめてるおばちゃんだらけ。外国人が見たら何事かと思うぞな。んで、出国です。出国カード書を書けと言われ焦る。で、免税店に入ってビックリ。ディナール使えないとかぬかしやがんの。ここは、チュニジアちゃうんか!しかたないので、友達が初日に両替したフランでお買い物。まったく、なんちゅーところや。余ったディナールどないすんねん。日本じゃ替えられないし・・・。飛行機の隣の席は日本人男性。僕らと同じく個人旅行で来てようだ。連れの片方で、僕の友達同様、友達頼りで英語も分からないご様子。MD聞いて自分の世界入ってしまったので、何も話さないままパリへ着くのでした。

2001年10月9日:曇天
 パリです。寒いです。流石に報復後だけあってさらに厳重になっています。相変わらずチェックの厳しい探知機を通ってゲートへ。飛行機は30分くらい遅れましたが、飛びました。やっと帰れる。隣の席は日本人女性。なんか、「私はパリジェンヌ、むさい男とは喋らないわ」って感じでそくざに耳栓してたので、ぜんぜん話しませんでした。トイレの時の「すいません」と、戻ってきた時の「どーも」、荷物とってあげた時の「すみません」くらいしか声を聞いてない。トイレがやったら長くてちょっと心配になっちゃったよ、あたしゃ。それから、スチュワード。黒人のおちゃんで怖すぎ。でもなんか間抜けな感じがチャーミング。食事配るにしろ飲み物配るにしろ、なんか要領悪いんだよね。食事のジャパニーズフードは相変わらず不味い。隣の人は当然フレンチ。赤ワイン。んで、映画見ました。「CATS&DOGS」。けっこう面白いです。夏休みはAIをぬいて全米一位を獲得したファミリー向け映画。日本の公開は今週末。朝食後、「Only Joke」というドッキリカメラみたいな番組を見て、早くも成田到着。税関で初めてカバンの中身みられました。不信感あったかなぁ・・・。税関審査を通ってから、カバンを開けてお土産をつめると、「こんなところでカバンをあけるな」と注意される。俺はさっきのおばちゃんたちと変わらないじゃんと、反省・・・。帰りはバスで渋谷へ行こうと思うがめちゃくちゃタイミングが悪く、1時間待ち。えびす亭で角煮ラーメンを食べて寮に戻るのでした。駅からはタクシーで帰って寮へ。ここで問題発生。鍵がない。そういえば、もうかわないからって旅行カバンの奥に入れたような・・・見つからない。ドアの前でシャツやらパンツやらだしまくっても見つからない。やばい。と思ったところに、スペアキーがあることに気づいた。スペアキーで中に入って一安心。旅行カバンのポケットにあった。めでたしめでたし。

 そんなこんなのチュニジア旅行でしたが、結構おもしろかったです。ちょっと、自分に自信がついた感じです。毎回言ってますが、やっぱり英語は大切ですね。また、現地語をある程度覚えると、コミュニケーションがはかれます。「シュクラーン、ジャパニーズワード、ありがとう」って片言でもOK。人間、いい人も悪い人もいる、信じた人に裏切られるのは非常に辛いですが、人を疑って旅行すると全然、面白くありません。しっかし、サングラスのおっちゃんはマジむかつくわ。ていうか、断れなかった自分に腹がたつ。ルアージュのおっちゃんもしかり。ぜったい、ルアージュでチュニジアンコールドをキャッチしたよ。帰国してからだんだん、悪化ネット。まじ辛い。たんそ菌とか、へんなウィルスじゃないことを祈ります。次にチュニジア行ったら、サハラ砂漠へ行きたいと思いまする。

今回の旅の教訓「海外初めての人とは個人旅行をするな」

最後にベンさんの暖かいご家族に感謝します


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