インド日記

 お正月に駒ヶ岳で初日の出を見て来て、さらにハリーポッターなんて見たもんだから、眠い眠い。そんな2日の朝に携帯が鳴りました。着信番号無し。そーいうのはめんどいので出ない。何度も鳴りました。爆睡モードが解除されてから留守電を聞くと。「あけましておめでとー、電話でてくださいよ。メール見てください。」という台湾人の蔡(サイ)さんの声。え!国際電話かよ。さっそくメールをみると。「台湾の正月休み(2/9〜)に海外旅行をしませんか?」という内容(英語ね)。2/11は日本休みだし、気合いで「4連有給が取れれば行ける。」と思った。蔡さんの電話番号があったので、国際電話をかける。「△☆■◎△□」。留守番電話のようだ...。言葉の壁は厚い。メールには(1)ギリシャ(2)ネパールという選択。このご時世、ネパールは危ないでしょ。ってことでギリシャにしてもらおうと返信メール。ギリシャのスケジュールが来る。蔡さんは台湾のツアーを考えてるようで、そのツアーに行くには5有給取らないとダメらしい。「ちょっとそれは難しい」と返信。再度、国際電話をかけていろいろと話した。その結果、再度メールが来て「私はあなたのスケジュールに合わせてヨーロッパを諦める(←戸田奈津子みたいに上手く訳せって?)。私は考えている、次を。(1)カンボジア(2)インド(3)ネパール(4)中国。」。いずれにしろ、僕の有給申請と飛行機のチケットが取れるか否かにかかっていると連絡。会社が始まりさっそくJTBへ。やったら待たされた上に出てきたおばちゃんがやる気が無い。「カンボジア?カンボジアですか。ナニで行くんですか?」。アホか!誰が新幹線で行くか!飛行機だろ。航空会社決まってたらこんなとこ来ないわ。それ調べるのがあんたの仕事だろ!と、だんだん頭に来た。「直通は無いんですけど、どこもいっぱいですね。帰りはあるんですけど。」。帰りだけチケット取ってどないすんねん、ばばぁ!インドの状況を聞く。インドもネパールもこんな感じで、調べる気なし。クビだな、このババァ、JTBのHPでクレーム書いたるわ。蔡さんから携帯が入ったので、飛行機のチケットが無いことを連絡。あのてこのて(香港行きを買って合流する等)を考えたけど、良いアイデア浮かばず、再度JTBに確認の電話。今度は綺麗な感じの声のお姉さんが出た。「予約は一杯だけど、キャンセル待ちで空く可能性がありますよ。」とのこと。この際、ってことでキャンセル待ちをするのでした。翌日にはOKの電話がJTBからかかってきました。蔡さんが旅行会社と交渉。決まったのが日本円で13万円のコース。高!国内線とか乗っちゃう、いー旅らしい。でもさー、台湾語だよ。ヒンドォー語を台湾語に訳されても分からないって。もう友達次第だね。日本のツアーにしてくれればいーのに。なんで台湾のツアー行かなあかんねん。この13万円は先ほど話したように別途飛行機代。JTBの飛行機代は8万5千円なのですが、TAXやらなんやらで10万円近いです。う、インドに30万円コースか・・・。しかも、このインドやっかいなことにビザが必要。ビザなんて取ったこと無い。分厚い地球の歩き方(買っちゃった)を見ると申請代5500円だって。高!これに代理店の申請代行代5000円なんて払ったら辛すぎ。と思い自分で申請。インド大使館すっげーゴーマン。朝9:30〜11:00しか申請受け付けないし、受け取りは夕方16:00〜16:30限定。もちろん土日祭日、さらにはインドの祭日も休み。受付のお姉ちゃんもえらそーだし。記入抜けてたら、再度並べって。後ろに数十人いんぞ。無理無理、並ばずに申請しましたけど。でもでも、申請代1200円でした。地球の歩き方嘘じゃん。申請代行費込みか?でもでも、翌日できるって書いてあったのに2日後仕上がり。「必ずこの日に来てください」の念おし付き。おいら出張だよ。出張の翌日に行って、また嫌な顔されるのかなぁとか思ったけど、すんなり渡してくれました。ていうかあたりまえだよな。俺のパスポートだぜ。そして、最大の難関である「課長」である。来年度予算でピリピリしてるのに4連休有給だよ。怖い。でもラッキーなことに人事勤労部から「働き過ぎリストに出ました、休みなさい」の連絡。これを期に勢いで申請。すんなり通る。「今度はどこの国へ行くの?」とか有給=海外の公式ができあがってる私。「インドの方へちょっと」というと、でっかい声で「インドー!」と復唱して戴きました。おかげさまで周りの人にバレバレでございます。そんなわけで、「インドの日記」スタート。

2002年2月9日(土):晴れ
 先週は残業終電で疲れ果てた週であった。金曜日に「あれ、リコンファームって何だっけ?」。ふと思ったのですが、「出発の72時間前に連絡」というと過ぎてるじゃん。あせった、あせった。アホですね。帰国時ですわ。残業して洗濯して旅行の準備してとしているうちに、3時。このまま徹夜したほうがいいのではと思ったが、寝ることにして6時起床。週間天気予報では「雨」と言っていたのであせったけど、晴天。相変わらず成田空港へ行くスマートなコースがない。三田まで出て浅草線経由で成田空港へ。さすがに土曜日ともなると人でいっぱいだ。テロで海外へ出る人が少なくなったねんて嘘じゃん。ていうか、もうみんな忘れてるんだろーな。日本人は熱しやすく冷めやすい。エアインディアのチェックインカウンターもやたら混んでる。インド人が「ワースト エアポート」と言っている。こりゃきっと、インドの空港は良い空港なんだろうなぁと思ったのだが、これは後でギャフンと言わされるのである。出国審査が終わり、友達に頼まれたエリザベスなんたらのシャンプーを免税店で購入。けっこうかさばる。その後、昼飯ってことでコーヒーショップでチキンカレーを食べた。これからインドへ行くと言うのに。でも、「やっぱり日本のカレーが一番」てな感じになると思われ、味比較のために食した。エアインディアのゲートに行くと、ここでさらにチェックをしている。手荷物チェックでライターを募集されまくっている。こんなんしてるのエアインディアだけじゃん。飛行機の中に入ると、サリー(インドの服)を来たお腹の出たおばちゃんスチュワーデスとサーベルの似合いそうな黒いターバンをしたターガージェットシーンな感じのスチュワードが出迎えた。席は翼の手前の窓際。後ろには席が無いところ。気軽にリクライニングできるのは良いが、やったら狭い。今までの飛行機の中で1位の狭さだね。さてさて一人旅の醍醐味は隣の席の人である。ここでかわいい女の子なんか来た日にゃ、12時間のフライトも苦じゃなくなるわけさ。で、来たのはぶっさいくな夫婦・・・。やたら自慢気に話す痩せた夫。やたら質問をしてる太った嫁。もう俺のフライトは終わった。。。スチュワーデスは日本人のおばちゃん。なんとこのスチュワーデス。寝ている俺をジュースごときで無理矢理起こすのだった。食事なら判る、ジュースである。そんなもん後からでも渡せるだろ。俺の不機嫌はピークに達した。機内の映画は「ラッシュアワー2」。そうそう不機嫌な理由の一つに案内の冊子が無いのである。普通あるだろ。こんなんけちるなよ。だから映画が何やるのかも判らない。ラッシュアワーは画面が小さいのでつまらなかった。ふと窓枠を見ると蚊の死骸がけっこういる。「マラリア」の文字が頭をよぎった。機内食はやっぱし「チキンカレー」。ちょっと辛目だけど美味い。ちょっと思ったんだけど、なんで機内食のフォーク類は金物なんだ?あれほどナイフを気にしてるのに、プラスチックにしない意味がわからん。フォークなんてあきらかに人、刺せるぞ・・・。一眠りするとサンドイッチが出て、タイに着陸。経由地である。タイは懐かしいタイラーメンの香りがする。1時間ここで座って待ってるのです。その間に掃除とかするのだが、やったら五月蠅い。もう2度とエアインディアを使うことは無いだろう。そして離陸して「スプレータイム」。除菌ですよ除菌。人が寝てる中、殺虫剤ばらまくんすよ。なんちゅー飛行機だ。当然、人畜無害ですけど、気になってしょうがないわ。蚊の死骸納得。その後、機内食でタイカレーを食べる。カレーずくしだ。やっとこさ飛行機はインドに着陸。時差は3時間半という中途半端な数字。これぞゼロの発明インドならでは(笑)。蔡さんを待たせているので、ちょっぱやで飛行機を降りる。入国審査も何も聞かれずなんなく通過。予想はしていたが、荷物が出てこない・・・。30分以上たってやっと出てきた。待ち合わせの場所へ行くが蔡さんはいない。こりゃまいった。うろちょろしてると、インド人が何度も話かけてくる。夜だけにちょっと怖い。「俺は怪しい人じゃない、君の友達は向こうにいる。」とか言ってるおっさんに着いて行くはめになる。ホント大丈夫か、俺?出口に行くと蔡さん発見。めちゃ嬉しい。おっさんはもぐりのタクシー。やたらふっかけてきたので、蔡さんが断ってくれた。正規のタクシーでホテルへ向かう。途中、ガソリンスタンドで運転手が話し込んで出発しないのでちょいビビリ。Hyatt regenceホテル到着。ガイドさんとお話。もちろん日本語はできない。で、部屋に入ってビックリ。「ダブルじゃん」。男2人でダブルベット・・・初体験だ。ありえね。蔡さんに頼まれたヨドバシで買ってきたデジカメを渡す。僕の頼んだCD(浜崎あゆみ)を受け取って就寝。

2002年2月10日(日):晴れ
 朝食のバイキングである。やっぱり朝食もカレーなんだなぁ、インド。エレベータで出会った、別のツアーグループの社長さん夫妻と一緒に食事。食事が終わってバスに乗り込む。自己紹介はもう済んだらしく、人間関係も判らないまま同じバスに乗るのであった。見た感じ、老夫婦2組と若い男女グループ4名、一人旅の人1名である。そして僕ら「ゲイ」カップル2名・・・。昨日のダブルベット。ガイドも勘違いしてるんじゃないのか・・・。後で判ったのだが男女グループというのは全員兄弟で、家族6人の参加なのであった。そん時はやたら仲がいいからてっきり恋人同士かと思ってた。観光1日目はいきなり国内便(ジェットエアーウェイズ)に乗るのです。待合いロビーで、妹さんから乾燥梅を戴く。国内便もチェックがやったら厳しい。カメラの予備用単三電池をカバンに入れてたのだが、一時預かりとなる。なんで、カメラに入ってるバッテリーが良くて、外に出てるバッテリーがダメなんだよ。何て質問もできないので、言われるがまま。ゲートに入るのにまたチェック。ここで問題発生。最初のカバンチェックでみんなスタンプをもらっていたのだが、僕はもらっていなかった。これ、チェックのおっさんが押し忘れたんじゃん。「スタンプをもらって来い」と言われる。またカバンチェック。「1回チェックしている」と言ったのだが通じない。なすがままにチェックされる。そして、またチェック。ゲートを出てバスに乗る前にまたチェック。なぜか女性はチェックしない。差別だ。そして飛行機はデリーからバナーラスへ向かった。機内食はやっぱしカレーでございます。飛行機は無事着陸して、ホテルへ。ホテルのランチバイキング開始。やっぱカレーメイン。それではツアー開始。考古学博物館に到着。ブッタ関連のものが置いてあります。ガイドの言っていることは判らないけど、ここで日本語を喋るインド人がガイドをしてるグループがいたのです。グループのおばちゃんが「中国人ですか?」らしきことを中国語で聞いてきたので、日本語で日本人ですと答える。ちょっとこっちのグループに参加して盗み聞き。仏像は全てイスラム教と区別するために鼻を切ったとか、ブッタが脇の下から生まれたとか、いろいろ勉強になる。しかし、うちのグループは説明が詳しいらしく、回るのが遅い。あからさまにグループから離れるのは良くないので、台湾グループに戻る。ダメーク・ストゥーバが見えるディア公園へ。物売りの子供がしつこい。しかし今、考えるとこの時買っておけばよかったんだよなぁ。ここで神様人形セットが気になってたんだけど、後で買おうとか思ったわけさ。次にムルガンダー・クティー寺院へ。靴を脱いで中に入る。中に入ると壁いっぱいに、ブッタの生涯を描いた壁画がある。戦前に日本人画家、野生司香雪が仕上げた作品だ。これはもちろんガイドから聞いた情報ではなく「地球の歩き方」を見た情報である(笑)。次にシルク工場へ行くのでした。シルク見ても興味無いので僕はチャイを飲みながら、インド人ガイドにヒンドゥー語の発音を教えてもらう。買い物タイムは女の子がいるので長いんだよなぁ。お姉ちゃんなんて舞台でサリー着てますよ。なんて思ってたら、一番、買い物が長かったのは蔡さんであった。彼女のプレゼントだと思われる品を値切り倒しておりました。女の子たちも一緒になって交渉50$を25$にしたところで終了。次にじゅうたん屋さん。これも買うわけないじゃん。って見てると台湾人のおっちゃん買ってるよ。ここで、たぶんクチプディと思われるダンスの披露が行われた。僕の脳裏には台湾の花蓮で見た踊りがよぎった。花蓮ほどではないが、似たような感じで、お姉ちゃんには若さは無かった。ぐるぐる回って目が回らないのかなぁとか思うのでした。踊りが終わってじゅうたん披露タイム。主人はキアヌ・リーブスに似ていたカッコイイ。インド人は目鼻立ちがくっきりしていてカッコいいんだよなぁ。この主人と交渉してるのが妹さん。絶対買わないだろと思いながら交渉を見てました。やっぱ買わずに退却。さきほど昼食をとったホテル、Taj GANGES HOTELに戻ってディナーバイキング。日本人の尼さんがいた。肉も食べれば、お酒も飲む。どんな宗教なんだ?中国語でいろいろ聞かれたので、「僕は日本人です」と答える。尼さんの最後の言葉「再見」。だから日本人だってばさ。ここのホテルはツインルームでございます。

2002年2月11日(月):曇り/晴れ
 朝5時15分起床。原因不明の鼻血で目覚める。ガンジス川で舟に乗って日の出を見るという企画。見事な曇りで企画倒れ。ガンジス川は思ったほど汚くもなく、普通の川で感動もなかった。ただ、普通に生活の一部になってるんだなぁってのが判るのが。朝の寒さでみんなコートを着て舟に乗っているのに、平気で体洗って行水してるんですよ。んで、舟の上から灯籠流しを行うのです。特に綺麗でもないし・・・。川の上にもお土産屋さんは頑張ってます。舟から舟へ売りに行くのです。聖地へわたる。聖地って言ったって宗教心が無かったらただの砂浜だよ。ヴィシュワナート寺院へモスクへ。やったら売り子がしつこい。日本語であまりにしつこく売ってくるので、円でよかれば買うと答える。よいって言うので、ガンジス川の絵はがきとペイントグッズ(?)を200円で購入。10枚の神様を150円で売るって言うので買う。後で調べると8枚しかない、やられた。黄金の寺院を見た後、さっきのハガキ売りに会ったので、8枚しかないことを主張。「10枚は200円だ、150円は8枚、これホント」とか言う。これ以上、交渉しても疲れるだけ無駄なのでやめる。グループの他のメンバーにもペイントグッズを売りつけている。ずっと歩いて売り続ける、その間に値段はどんどん下がる。帰りのバスに乗った時には30ルピーになってたよ。ちなみに1ルピーは約2.7円てことは、60円弱。おいおい、200円だしてる俺の前でそんな値段言うなよ。ブルーなるわ。まー、このインド人も日本のコインもっててもしかたないから、これから日本人探して両替交渉しないといけないんで大変だろーけどね。ホテルに戻ってランチバイキング。ランチの後にカジュラホ行きの国内便に乗るのです。相変わらずチェックが厳しい。ピカチューの万歩計に興味をもっており、中身を開けてくれと言われる。「壊れちゃう」と言って納得。蔡さんは何故か税関と座り込んでお話。「結婚してますか?」とか聞かれたらしい。ゲイ?飛行機はなかなか来ない。「現地は雲が多いので着陸できない。」なんてアナウンスが流れる。おいおい雲くらいであきらめるなよ。確かに雲が多くて飛行機の影が雲に映るのが見られてちょっと感動。でも降りられないことないだろ。飛行機はカジュラホ近辺をぐるぐる回る。蔡さんに「ぐるぐる回るとバターになっちゃう」と言ったのですが、「なぜバターになりますか?」と聞かれる。チビクロサンボって日本の童話?なんか説明がめんどくさいので、適当にお茶濁して終了。機内アナウンスは「バナーラスに戻るかもしれない」とか言い出す。2時間以上ぐるぐる回ってなんとかカジュラホ到着。予定は完全にくるったもよう。でもバーナラスに戻らなかったので拍手喝采。Jass Tridentホテルという小さいホテルに到着。予定ではランチバイキングのはずなのだが、ランチ無し。こんな時のために、添乗員は長崎屋のカップラーメンがあると言う。添乗員さんの部屋に行くと、ラーメンの数は少ないらしく、なんか台湾語でラーメンバトルが始まっていた。家族のお母さんからカステラをもらう。ラーメンも添乗員からもらう。ラーメン美味いじゃん。汁まで全部飲み干すのでした。ちなみに添乗員さんの部屋はダブルベットであった。一人旅の人と一緒に寝るのです。しらないお客さんと2人ダブルベットは辛いよなぁ。そして、ディナーバイキング。やっぱカレーがメインだね。今日のお詫びってことで添乗員さんからドリンクのサービス。お酒は飲めないのでコーラをもらう。でも、夫婦の旦那さんがビールを注文したので少しもらう。ディナーの後にマハラジャ人形劇開始。ちょっと短くてイマイチでした。その後、近くのお土産屋へ。部屋に戻って蔡さんから気になる一言「カップラーメンのお湯はホテルの生水じゃないの。」である。そーいえば、添乗員はお湯をくむときに明らかに洗面所へ行った。ペットボトルのお湯を使うなら、洗面所へ行く必要はないじゃん。は、はめられた・・・。遺言を蔡さんのデジカメ動画に納めるのであった。「ぼくはガイドさんに生水を飲まされました。これは計画的犯罪です。もし、僕がこのまま死んでしまったらガイドさんを訴えてください・・・。」。もちろん冗談ね。話変わるけど、インドで見たCMでペプシのCM最高。相撲取りがサッカー選手に勝つ話。あと、リオのカーニバルをずっと流してる番組があったけど、かなりエロ角度で撮ってた。見いちゃったよ(笑)。

2002年2月12日(火):晴れ
 6時半起床。お腹は痛くありません(笑)。昨日、添乗員がお粥を依頼しました。何故かと言うと、今日は台湾の正月なのです。旧正月ってやつですね。あれ?昨日だったかな。まーいいや、とにかく朝粥があるのです。まー、インディカ米ってやつですか?細長い米なので美味しくない。キッコーマンもあったのすが、やっぱ美味しくない。食事が終わって観光。最初は西郡寺院です。エロエロ彫刻がいっぱいあるのです。ミトゥナ像(男女交合像)は、男女どころか馬とやってたり、一人でやってたりとバリエーション豊か。体位も64通りあるそうです。日本は48手だから、16体位も多いんですねぇ。ここでは英語のインド人ガイドさんがついており、それを添乗員さんが台湾語に訳す。英語は早くて聞き取れない。台湾語はもちろん理解できない。頼りは蔡さんの翻訳だけ。英語で聞き取れるのは「エロティック」だけですな。やたら「エロティック」って言葉が耳に入ってくる。蔡さんの訳によると、周りのエロい像を見ることで、お寺の中に入る前にエッチな気持ちを外に出して、清い心で入るそうです。ていうか、余計、モンモンとするんちゃうんか?今日はすっげー天気がいいので、お寺も綺麗に見えます。写真撮りまくり。続いて東郡のお寺へ。こちらはエッチな像は全て取り外されたそうです。次にまたまたお土産屋へ。当然、何も買いません。ホテルに戻って昼食バイキング。その後、3時間バスに揺られて駅へ。駅はものごいキッズだらけ。バスに降りた瞬間。「ハロー、ハロー」と子供がよってきて、ペッドボトルをよこせといってくる。別にいらないので渡す。これがいわゆる貧富の差ってやつか。カースト制度?電車はなかなか来ない。「あと5分」これが「インディアン5ミニッツ」ってやつらしい。インドの人はデタラメを言っているのではないらしい。「判らない」と素っ気なく答えるのではなく、励ましの意味を込めて「あと5分」と言っているらしい(地球の歩き方より)。にしても、こなすぎだぞ電車。何時間も遅れてるぞ。まってばかりの旅行だ。やっと電車が来る。隣に姉妹が座っており、妹さんが日本人に興味があるみたいで、いろいろ質問をしてくる。もちろん台湾語で。蔡さんは爆睡中。夫婦の奥さんが日本語が少しできるので、訳してくれるのです。何歳とか好きな女性のタイプとか、好きな歌手とか聞いてくるのです。とりあえず名刺を渡しすと。「中山美穂のポスターを送って欲しい。」だって。姉妹の名前は姉が「陳 美良」、妹が「陳 貞良」。ここでツアーメンバー紹介しましょう。ガイドさんは趙(チョウ)さん。小太りでこの人が一番中国人ぽい顔をしている。英語名はジェームス。ジェームスというより、サモハンって感じである。台湾人は恥ずかし気もなく英語名を付けて、互いに呼び合っている。僕の友達もアーサーなのです。美良さんはナンシーで、貞良さんは何故かテイコ。台湾でも一時期「リング」が流行ったらしく、「サダコ」というと過剰に反応して大笑いするのでした。で、この家族は豪快な感じのお母さんと、気弱な感じだけど、優しそうな八の字眉毛のお父さん。僕に顔が似てるってことで「異母兄弟」と母親に笑われて機嫌の悪いお兄ちゃん。あまり話さない無口で太り気味の弟。よくしゃべる活発でかわいらしい声の妹。日本語がほんの少しできる姉の6人家族。その家族と同じアパートに住んでいる夫婦。旦那さんは社長さん。日本語を20年前に勉強したということで、僕と普通にコミュニケーションできる奥さん。息子の彼女は日本人らしい、でも日本はあまり好きじゃないそうです(蔡さん談)。好きじゃないので日本を勉強したそうです。やたら蔡さんに日本語を聞いてきて困ってました。「これ何という?」。日本語を話す時、トーンが落ちるのが気になる。ホント嫌いなのかな・・・。それから、一人旅の謎の台湾人。そして蔡さんと僕の計12(含 添乗員)のツアーなのです。話を戻して電車は目的地に到着。ここから中国が話せるインド人ガイドさんが着くのです。24歳ってことだけど、老けてるなぁ。ていうか、日本人は童顔だねぇって思うね。しかし、インド人の口から中国語がでるとは想像もつかなかったわ。今晩のホテルはかなりの5つ星である。案内のボーイが迷うくらいのでっかいホテルなのだ。このホテルに2日泊まる予定だったのに、スケジュールの関係で一泊だけ・・・。設備もいいからここに泊まりたいもんだよ・・・。

2002年2月13日(水):曇り/晴れ
 ボーイのピンポンダッシュで目覚める。新聞を置いていったらしい。朝食バイキングの時、外を見ると霧だらけ。今日はタージマハールだけど、白い世界遺産に白の空じゃなんも見えないジャン。ってことで予定変更して午後にタージマハールになる。最初にアーグラー城へ。ここでも日本人観光と一緒になり、盗み聞きをする。なんでも大統領が来るとかで、さっさと追い出される。ここで、最初で最後の全員での記念写真を撮る。写真撮影押し売りがいるのだ。タージマハルに着いた頃に現像がでいて、売りに来た。けっこう良くできているので100ルピーで買った。考えてみたら初めてインドルピーを使ったのでした。タージマハールに入る前に手荷物検査。携帯電話がひっかかる。みんな携帯もってるのに、僕だけカバンの中のポーチに入れてたので、「何故隠した?」てなことになってしまったのです。携帯をあずけて中に入ると、霧が晴れていないでイマイチぱっとしません。で、タージマハールの中に入るのです。ここも裸足。靴の上にカバーするものがあって、それをレンタルする商売をしてます。裸足でいーじゃんって思うけど、全員それを使っているので、着ける。タージマハルの中から出ると霧が晴れて、すんげー綺麗な青空となりました。考えてみたらアーグラー城跡地の写真より世界遺跡の前の記念撮影した方がよかったよなぁ。まー、ひとりで俺的インドイメージの写真を撮るのです。今日のコーディネートはこの日のためにもって来たのです。わざわざジーパンの他にチノパンをもって来たのです。ターバンが売ってないのが非常に残念です。撮影ポーズも行く前から決めてました。ただ、現地に行って初めて判りました。「首はそうかんたんに横に動かない」である。踊るマハラジャもそうだけど、必ず女性はくびを左右に移動する踊りをします。これができない。これには訓練がいるようである。そんなんできないけど、ポーズだけはとって写真撮りました。決行綺麗にとれて嬉しい。やはりターバンが悔やまれる。僕の黒髪はタージマハールにふさわしくない。それにしてもタージマハルはやっぱり綺麗。世界遺跡って感じですなぁ。人間一度は見なくちゃいけませんね。次に大理石工場へ。タージマハル大理石を10個で60$で売れという交渉を妹がしているのですが、そりゃ無理だろ。1個12$って言ってるのに。「OK」という声が聞こえる。うそーん。みんな大喜び。交渉成立?でも残念ながら10個が1個10$に聞こえて「OK」と言ったようです。ぬか喜びである。再び長いバスの旅が始まるのです。途中、パンチマハールを見ましたが、バスは4時間揺られ続けるのです。何がイヤって道がデコボコなんですよ。ゆっくり眠れやしない。おまけに運転荒い荒い。車が横転してるのなんて日常ちゃめしごとのようで、そこらじゅう倒れてる。んなアホな。チュニジアでもそうだったけど、クラクションならせばなんとかなるっていう文化があるんだよね。クラクションならして追い抜きしまくり。正面衝突するんじゃないかと冷や冷やだよ。あまりに長いので蔡さんと歌の勉強。台湾では「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の〜♪」の歌をみんな知っているそうです。姉妹も知ってました。んで、「小焼け」って何だ?の議論が繰り広げられるのです。そんなん日本人だって話からねぇ〜よ。なんすか?誰か判ります?それから、蔡さんに台湾の歌を習う「ツァールィーターオ、シャンイキュワチャン、ツァイエリ、ピャオヤピャオ、クーニャンヨー、ニーエツァイオー、シンカイリ、ピャオヤピャオ」です。さらに時間がたって、蔡さんはお腹すいた、インドなんか来るんじゃなかったと、愚痴を言い出すし、困ったもんだ。バスはジャイプルのトライデントホテルに到着。バイキング開始。例の日本人ツアーも同じホテル。今日の奥さんからの質問は「ザンゲ」です。ザンゲの意味を説明。難しいっちゅーの。部屋に戻って、問題発生。蔡さんのカバンにカギがかかっています。誰のか判らないカギが。カバンが開けられない。ありえね。どーやら、一人旅の人のカバンから落ちて、誰かが蔡さんのカバンに着けたもよう。こんなことありえます?ところで、この晩からお腹が痛いであります。おやすみ。

2002年2月14日(木):晴れ
 今日はバレンタインデーだ。台湾のバレンタインデーは男女でぶつぶつ交換らしい。ちなみに韓国には4月14日の振られた人の日があるそうです。振られた人は黒い食べ物をたべるそうです。んで、食べてる人どうしが仲良くなる事があるそうです。そんなことはどうでもよくて、僕は日本のバレンタインデーから逃げ出してきた形なのです。そんな朝、私は昨日の腹痛が治ってません。モーニングバイキングの後、観光開始。風の宮殿で記念写真。これはかなり素敵です。次に月の宮殿へ。ここで日本人の一人旅をしている女性に出会い、ちょっとお話。台湾人は冷やかしが好きなのか、「何故、もっと話さないのか」とか「何故、一緒にホテルへ連れて行かないか?」言ってくるのです。姉妹も嫉妬してるみたいです。嫉妬って・・・んなアホな。次にシャンタルマンタルという天文台へ行くのです。これぞゼロを発明したインドといった感じです。ちょっと理系の血が騒ぐのでした。ここの天文台の頂上で記念撮影をしたら、僕は高いところが好きというキャラクターを作られてしまった。もっと高い天文台の上までダッシュさせられたので、ノリノリで行ってしまった。。。バスに戻って車内マジシャンショー開始。よくあるコインのマジック。たいしておもろない。ホテルに戻って昼食バイキング。休憩後、ジャイガール要塞へ。象に乗ってアンベール城へ行くのです。蔡さんと一緒に乗ると写真録れないという忠告もむなしく。グループ分けすると、どーしても一緒にならざるをえないのよね。アンベール城は撮影禁止。カメラ没収。今日の観光終了。はや。ホテルに戻ってスポーツジムへ。たいした設備もないので5分くらいで飽きる。散歩しました。空気悪いです。湖に浮かぶ建物がすぐ近くに見えるとことまで行ったのです。音楽少年がしきりに音楽を聴かせてきます。いい曲なんだけど、金が無いなだよね。ホテルに戻ってバイキング。4人席で姉妹と蔡さんと僕になりました。まー、どこ座ったところで席はインドの台湾になるんすけどね。インドの日本にできる場所は日本人観光ツアーのおばちゃんの席だけど、関西のおばちゃんだから、きっついんだよね。朝の挨拶は「おはよーさん」だかんねぇ。貞良さんから陳お父さんの名刺をもらう。お父さんの名刺もたってもねぇ。あ、中山美穂のポスター遅れってことか・・・。そして最後の夜なので、姉妹の部屋でみんなで飲茶タイム。ていうかウーロン茶タイム。謎の台湾人がお茶を作ってくれて、注いでくれるのです。正体はお茶屋さん?陳家族6人と日本語できる奥さん、蔡さん、僕。10人がツインベットの部屋に集まってウーロン茶を飲むのです。やったら部屋は暑い。ちなみに、添乗員さんは違うグループの添乗員さん(綺麗な女性)と飲みに行ったらしい。部屋の会話はもちろん台湾語。蔡さんはちっとも訳してくれず、部屋の中は台湾一色。でも台湾人は平気で人に指さすし、顔を見るので僕の話をしているということは判る。時々みんあで大笑い。僕だけ笑えない。となりのお母さんはどうどうと台湾語で話しかけてくるからね。お姉ちゃんが片言日本語でフォローしてはくれるのですが。「何故、笑わないの?」って会話判らないって。お兄ちゃんは浜崎あゆみのCDを聞かせてくれるし、ゲームボーイアドバンスも渡してくれるのですが、今、会話タイムなのに、僕だけCD聞いてゲームやったら失礼じゃん。でも渡されてやらないのも失礼なので、ちょっとやって、ちょっと聞いて終わりにしたら、お母さんが「なぜCDを聞かないの?」と台湾語で聞いてくる。もー助けて。お腹も痛いし、へんな汗でてくるし。知らない言葉の会話を聞いてるのってストレスたまりますね。僕が聞き取れるのは「トイアーン」だけです。英語の「は、はーん」ってやつですか。それだけ聞き取れても判らないって。ようやく蔡さんが訳してくらたと思ったら「さっきの歌を歌えだって」。腹痛な俺に歌えって?もー勘弁して・・・。12時過ぎ宴は終わった。

2002年2月15日(金):晴れ
 5:00起床。腹痛が治ってない。朝のバイキング。最後のバイキング。お腹が下ってるけど、一生懸命食べるのです。バスでデリーへ。5時間くらいかかるのです。途中、お菓子タイム。朝から物乞いキッズたちの「ハロー、ハロー」に囲まれる。クトゥブ・ミーナールという世界遺跡の塔を見学。ここに蛇使いがいて、写真をとったら、「アイム ビジネス フォト 50ルピー」と言って怒られた。朝から気分悪いので無視。おっさんもすぐあきらめた。クトゥブ・ミーナールはさすが世界遺跡。すんばらしい。計画倒れのアラーイの塔もけっこう素敵です。今度は宝石屋さんでございます。宝石なんて買わないって。昼飯はチャイニーズレストランです。いいですね。ひさびさにカレー以外のものを食べた気がします。ここにきて僕の扱いについてどうするか決めてます。そうそう、僕はこの旅で不安要素が一つあるので、それはリコンファーム。添乗員さんにお願いしたのですが、電話したら「変更がなければいらない」と言われたとのこと。JTBにもエアインディアの日本の人にも現地についたらリコンファームしてくださいと言われているだけに、どーも信用できなかった。といっても72時間前はとっくに過ぎているので、信用せざるを得なかったのですが。今になって僕をどうするか討論しているので、ちょっとビビってます。僕の飛行機が18:30なのに対して、みんなの飛行機は20:50なのです。たしかにこの差はでかい。でも、ノープロブレムってことで、全部デリーコースも見られるそうです。ショッピングタイムとディナータイムが無くなるだけとのこと。チェックインまでつきあってくれる人がいればそれでいんすけど。旅行会社の関係者が10$で送ってくれるそうです。奥さんが「残った料理を持ち帰って空港で食べないか?」と聞いてきたが、流石に断った。冷たい中華はまずいなり。バスに戻って、遠くから見るツアー開始。ラクシュミ・ナラヤーン寺院やシャマー・マスジットを遠目に見て撮影。次にインド門へ。インド門も素敵です。そして最後のラージ・ガート。ガンディーが火葬されたところです。姉妹と一緒に写真撮りました。もうちょっとインド門とか綺麗なところで撮ればよかった。へんな霊とか写ってたらどーしよ。そしてお別れです。ツアーのグループから離れて、タクシーで空港まで行くのです。感動のお別れシーンです。僕は「ホァーン イー ニー タオ リーペン ライ」(ぜひ日本に来てください)と言おうと思ったのですが、言えませんでした。結局、「ツァイチェン、ツァイチェン」と一人一人手を握るのが精一杯でした。たった7日間で会話もできなかったのに、すごく悲しい気分でした。もうちょっと、いろいろしゃべりたかった。どうも僕は主人公になるのは苦手です。ビシっと別れの言葉を決めたかったのですが、カッコ悪いお別れになっちゃいました。みんないい人でした。僕が台湾語を喋れたら、もっと仲良くなれたのにと思うと悲しいです。100ルピーで買った写真を何度も見直しました。いつかまた会って話がしたいと思うのでした。今までツアーというものをバカにしてましたけど、こういった人と人とが出会えるツアーもいいものだと思った。10$で送ってくれるおっちゃんもとても親切で、何から何までしてくれて、すんなりチェックインできた。出国審査のところに行きの飛行機で前に座っていた人がいたので、話かけた。日本のツアーはいくらかかったか聞いたら「いろいろ、ガイドを頼んだから、高かったですよ、17万円もしちゃいました。」とのこと。うげ、俺24万円くらいかかってるんじゃん・・・。もういい、世の中金じゃないのだ。日本人の添乗員も「意味ないじゃん。」と言っていたらしい(蔡さん談)。僕はお金より友情をとったのだ。で、デリーの空港最悪。免税店やる気なし男ばかり。結局、免税店じゃない怪しげな店で高いギフトを買うことになるのです。「あん時買ってれば」である。この時、インド人の言った「ワースト エアポート」を思い出した。こっちのほうが・・・。

2002年2月16日(土):晴れ
 日本時間に戻しましょう。エアインディアの隣の席は謎の韓国人。英語が綺麗ですが。行動は美しくないなぁ。ナイフとフォークをぱくったり、御飯お変わりしたり。「How like it?」と聞かれるが意味が分からない。「これどう?」って言ってるんですかね?それより僕は韓国語の「こんにちは」が思い出せず、ずっと悩んでいるうちにタイに着いて、そのコリアーンはおりちゃいました。ここでタイで隣になった人がアタスィットさん!とかいうことがあったらネタにでもなるのですが、タイで乗ってきたのは学生らしき青年2人。う〜ん、俺的飛行機の出会いはもう無いと確信。爆睡するのでした。爆睡している時に「めし」「まどあけろ」「リクライニング戻せ」をスイチュワーデスに言われ、隣の日本人に起こされるのですが、その飛びに「おー、そーりー、そーりー」とか無意識で、言ってるんですよ僕。日本人にですよ。これやばいっすね。186状態じゃん(笑)。無事空港について、検疫カード提出。下痢してるのですが、いろいろ面倒くさそうだし、早く帰りたいので、「もう治った」と申告。実は治ってない。今、思えば只なんだから検査しとけばよかった。で、税関でも特に止めれらず、リムジンバスへ。今回は恵比寿方面にチャレンジ。ていうか、恵比寿駅じゃないじゃん。ウェスティンホテル東京。重い荷物で遊歩道をわたって寮へ帰るのでした。洗濯とかしてたらあっちゅーまに、5時になってしまった。市販の下痢止め飲んでお腹は治った感じです。とりあえず、ゆっくり休むために実家へ帰るのです。小腹が空いたので愛甲石田の箱根ソバでコロッケそばを食べる。コロッケがカレーコロッケになってる。。。これで家に帰って夕飯がカレーがったらネタになるなぁと思っていたら、ホントにカレーでした。カレーライス。やっぱ、日本のカレーが一番。御飯がやっぱ美味いよね。ナンも美味かったけどね。あー、ゆっくり休むはずが、もうAM4時になるぞ。そんな無理して更新しなくてもいーじゃん。さてさて、まだ「トイアン」の声が耳から離れない。特にTeikoの「トイア〜ん」は高い声なので耳に残るね。悪くなかったなぁ、台湾ツアー。さて、しめの言葉を思考能力がなくなってきた頭で書きます。では3つの教訓あげます。「お土産は欲しいと思った時に買え」これはなんかいっつも言ってるよーな。それから、「インドの男に教わるなら日本語で教われ」である。やっぱり、言葉の壁は厚いのです。英語が分からないのなら、日本語喋れるインド人を探しましょう。最後に「インドのベストシーズンに日本人はおばちゃんしかいない」である。あ〜、次はどの国へ行こうかなぁ。


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