ミャンマー日記

 「死にました」。これはビルマの竪琴の有名な1シーンですね。ビルマはミャンマーに改名したのですが、ビルマの竪琴のイメージが日本人にはビルマの竪琴のイメージが強いので、つい「ビルマ」と言ってしまいますね。ちなみに、ミャンマーではお坊さんが歌たったり、楽器に触れたりしたら破戒です。よって、水島はクビ。さて、そんな小学生の甘い思い出の響きがある「ブルマと縦笛」ですが、もとい「ビルマの竪琴」ですが、僕が出会ったのは中学の授業でした。なぜか音楽の授業でこのビデオ鑑賞があったのです、明らかに先生の趣味+手抜きなのですが、当時はなんのことやら心に残るものはありませんでした。しかし、大学院の研究室の同期にミャンマー出身のチョウさんという人がいたため、ミャンマーを知る機会が増えたのです。日本人にとってミャンマーの情報というのはなかなか入ってきません。同じ同期にチュニジア人がいますが、こちらはもっと入ってきませんでしたが、最近は増えましたね。とにかくミャンマーという国は知っているようで全く知らない国なのです。いつかは行きたいと思っていたのですが、そのチャンスが訪れたわけです。チョウさんが年末に長期で帰国するのですが、その間、特に何もやることは無いってことで、一緒に遊びましょうってことになったのです。実は昨年の7月くらいにもチャンスはあったのですが、飛行機のチケットが取れずに企画倒れとなりました。今回こそこのチャンスを生かそうと思うのですが、チョウさんすらチケットが取れていない状態。出発2週間前くらいになってチョウさんはチケットが取れたとのこと。同じ旅行会社を紹介してもらい問い合わせをしたところキャンセル待ちです。他に予定があるわけでもないのでダメモトでキャンセル待ちをお願いするとあれよあれよと予約成立しました。仕事の関係でチョウさんが帰国してから、数日後にミャンマーへ入国して、一緒に帰るスケジュールとなります。もうウキウキです。でも、日本人はビザを取得しないといけません。フレックスで朝一に北品川のミャンマー大使館で申請しました。ここの場所判りにくいわ。申請料はその場で受け取ってくれず銀行に振り込めとの指示です。イマイチやる気のないミャンマー人のおばちゃんが受付。その翌々日、ビザ取得も朝一でフレックスで行ってきました。綺麗な日本人と思われる受付がいて、ちょっとウキウキ。無事ビザ取得。あとは行くだけです。ってところで問題発生。ミャンマーの首都(ヤンゴン)の空港で友達が迎えに来てきれる予定だったのですが、家族旅行をすると連絡がはいりました。家族旅行はマンダレーというヤンゴンの遥か北の地です。空港の迎えはチョウさんの親戚がしてくれて、ホテルに泊まって翌日、マンダレーまで飛行機で来るよう指示が来まして。ちょっと不安になるのですが、チョウさんの都合もあるのでしょうがないですよね。そんでもって、年末休みが始まり出発間際にhotmailにローマ字メールが来ておりました。予定変更のお知らせです。マンダレー行くのチケットが取れなかったから、たまたま親戚がバガン(マンダレーの南西)へ深夜に車で行くとのこと。その車に乗って着いたその日に来いとの指令です。翌朝にバガンへ着くのでホテルで待ち合わせするとのこと。いきなり着いた初日が不安ですが、頑張って行くしかない。てなわけで、ミャンマー日記のはじまりはじまり。

<チョウさんからのメール>
Domo desu.
 
Ima Myanmar desu.
Nihongo no font ha nai desu.
 
Yotei henko ga arimasu. 
 
12/30 Narita->Bkk->Yangon
12/30 Yangon -> Bagan (By Car with my relative)
12/31 Bagan de Boku to machiawase shite Kankou (Sleep at Bagan)
1/1   Bangn to Poppa Kankou -> Mandalay (Sleep at Mandalay)
1/2   Mandalay to PyinOoLwin kankou (Sleet at Mandaly)
1/3   Mandalay Kankou -> Yangon ( Hikoki de) (Sleep at Yangon)
1/4   Yangon Shinai to Shuhen Knakou (Sleep at Yangon)
1/5   Bago(Sleep at Yangon)
1/6  Yangon Shinai Shopping (Sleep at Yangon)
1/7  Yangon -> Narita
 
1)  12/31 no Hikoki Ticket ga torenai tame Yangon -> Mandalay
     no yotei wo henkou.
2)  Boku no shinseki ga tama tama Yangon kara Bagan he kurumade
    iku node, onegaishite Miyauchi wo nosete morau kotoni narimashita.
    
     dakara, Bangkok kara Yangon ni touchaku go, sukoshi yasunnde 
      Bagan he kurumade shuppatu.
 
     Bagan no tomaru hoteru de(tabun 12/31 no gozenchu ni Bagan he
     Miyauchi ga tochaku surukara) Boku ga mukaeni iku.
 
    Sore kara, isshoni kankou suru.
 
Bangkok kara Yangon kouku ni tochaku shitara, Boku no Oji ga
mukae ni ikimasu.
Sorekara, kare to issho ni ban gohan tabete, Boku no imoto no goshujin
no kurumade Bagan he iku koto desu.
 
Tabun, tukarete, taihen daro to omoimasuga, ganbagekudasai.
 
Fuana ga arimasutara renraku kudasai.

2003年12月30日(火):晴れ
 前日まで実家に帰っていたのですが、鞄を旅行用トランクにするか否かで散々悩んでました。悩んだ結果、普通の鞄で行くことに決めました。4時間くらいの睡眠を取って5時起床で成田空港へ向かいます。朝食はコンビニでチーズカレーマンです。いつものように京急のローカルで行くのです。途中この旅で一番と言えるのではないかと思う恐怖体験をしました。トルコのぼったくりバーより怖いかも。電車に座った人がやったら咳こんでるんですよ。この時期SARSが流行ってますからね。で、その人の鞄を見ると「上海公司」という中国語が。ばばばーん。咳をするたびにビクビクです。SARSの潜伏期間は10日でしたっけ、丁度この旅が終わったころにSARSにかかって原因は日本だったなんてことになったらそれこそNEWSですね。連日連夜放送されている中国のSARSにかかった隔離されてるおばちゃんみたいになっちゃうのでしょうか。成田に到着すると、やっぱり混んでますね。受付カウンターでチケットもらい、タイ国際航空の窓口でANAのマイル登録。混んでいるのでとっとと出国手続きを済ませて、チョウさんの家族へのお土産を買って、ドルへ両替して、機械絵で保険に登録。前日、インターネット登録しようと思ったのですが忘れてました。さすがに今回の旅で保険の入らないのはチャレンジャーですので登録できてよかった。タイ国際航空の窓口で「席はどこでもいい」とか言っちゃったもんだから、見事に3人席の真ん中です。隣はおっちゃん、おばちゃん。通路側のおばちゃんは空いてる窓際を発見して移動しました。そんなわけで、僕は通路側に移動しました。昨年の夏に買った地球の歩き方を一人読んでいると、となりのおっちゃんから「ミャンマーへ行くんですかー?」というテンション高い声が。ミャンマー好きだけど、今回は休みがとれないのでタイで我慢するそうで、ミャンマーの話を永遠聞かされてました。会話も尽きて機内食です。チキン切れで選択肢無しのシーフードです。Matchsticic Menというニコラスケイジが出てる映画をちょろっと見てタイに到着。やったら暑いです。ナンプラーの臭いはしない。しっかしバンコクのターミナルは広いねー。お土産屋だらけ。重い荷物をかついでうろちょろです。一番端っこにヤンゴン行きのゲートがありました。再び荷物チェックを通って、ロビーで時間待ちます。ここのゲートはすっかり寂れてお店ないです。3年前にタイへ行ったときの余ったバーツを持ってきていたので、カフェでマフィンとエスプレッソを注文しました。時間になりヤンゴン行きの機内へ入りました。窓際だったのはよいのですが、隣は坊主の英国人で、ちょっと怖め。機内食の玉子焼きはすんごい美味しかった。入国審査は行列ができています。質問もなく無事入国。つい最近まで外国人の強制FIT両替(200$を両替する)があったのですが、今は停止しているそうです。外に出るとすぐに「Satoru Miyauchi」のプレートをもったおばさんがいました。おじさんから名刺をもらい、すんなり会うことができました。おじさんの車でレストランへ。シートベルトは強制じゃないので、ちょっと違和感があります。レストランで会話をするのですが、英語がダメな僕としてはイマイチ、コミュニケーションがとれません。おじさんにミャンマー料理はどれか聞いて、それを注文したのですが、僕が注文したメニューだけなかなか出ないで場の空気が悪くなります。こういう時ってホント困りますよね。食事が終わってチョウさんの妹の家へ行きました。そこで義弟と合流して、義弟の仕事場へ。おじさん、おばさんとはお別れです。お礼を言ってお土産を渡しました。ここには日本語を話せるウーさんがいたのですが、ウーさんは仕事が忙しくて一緒に行けないとのことです。僕の想像ではミニバンで行くと思っていたのですが、用意された車は2ドアの乗用車。デコボコ道を乗用車で行くのか。。。義弟の会社の人が運転をして、バガンへ向かいます。僕は後部座席へ。会話一切無しです。そんなわけで今日の寝床は後部座席なのです。大丈夫かな俺。。。

2003年12月31日(水):晴れ
 めちゃくちゃ寒いです。窓が開いており、その風がやったら冷たいのです。やったら暑いはずのヤンゴンでこんな寒い思いをするとはつゆ知らずです。途中、止まったので何をするのかと思ったら立ちションです。3人ならんで立ちションです。男に生まれてよかった。次に運転手さんの家らしきところに着いて、枕を貸してもらいました。これでデコボコ道でも寝られます。この枕にはホント感謝感謝です。次に止まったところでは紅茶を飲みました。ミャンマーの紅茶は練乳が下に固まってます。ミャンマーにはガソリンスタンドはほとんど無く、手で給油します。給油が終わって再び発車。眠る。揺れる。寒い。空を見上げるとやったら星が綺麗です。さすがミャンマー。そんな寒い中、眠りについて朝がやってきました。再び立ちションをして、ミャンマーの一般家庭で食べられるヤシの砂糖を食べて再び出発。いよいよ、バガンに到着です。ニャンウーという町で義弟の友達らしき人をピックアップして、車は僕が泊まるホテルへ到着。鍵を受け取って、あっけなく3人と別れて、僕は部屋に引きこもり。ホテルはエーヤホテルというリゾートホテルです。ホテルには8時過ぎくらいに着いたのですが、12時過ぎてもチョウさんは来ません。不安でしたがひとりツインルームで昼寝をしました。このままチョウさんに会えなかったら僕はどうすればいいのでしょう。16時になって部屋のノック音がしました。ドアを開けると民族衣装(ロンジー)を着たチョウさんが立っていました。いやー、よかった会えました。ちなみに隣の部屋のツインルームです。2人なんだから一緒の部屋でいいじゃんとか思うけど、ミャンマー式なんですかね。お腹すきまくりなので、ホテルで海老炒飯を食べました。チョウさんはレンタカーで来たとのこと。レンタカーと言っても運転手着きです。運転手は大地和男のような顔をしています。この車でミンガラーゼディパゴダに行き、遺跡に上りサンセットを見に行きました。今日は大晦日です。今年最後の夕日ですね。といってもミャンマーは4月中旬が新年なので、西暦の年末年始なんて関係ありません。西暦2003年の締めにミャンマーで夕日を見るとは思いませんでしたが、ミャンマーではいつもと変わらない毎日が始まるのです。そうそう、ミャンマーは般的にゴムぞうりを履いています。パゴダはぞうりを脱いで裸足になる必要があります。今回の旅で一番失敗したと思ったのが靴下です。靴下は毎日履き替えた方がいいって思い、日数分の靴下を用意してきてしまったのです。しかも新品の靴下を買って。毎日サンダルだったので、靴下はほんと無用の長物でした。サンダルだって行く直前に気づいてもってきたのですが、気づいてよかったですよ。靴はいてる人なんて一部の白人くらいですわ。日も落ちて、次にライトアップされたシュェズィーゴォンパゴダへ行きました。ここのパゴダは金箔がとっても綺麗です。ミャンマーは仏前で土下座のようにお祈りをします。チョウさんもこの土下座を仏前でしてました。日本にいる時は宗教感を感じさせなかったのですが、同じ研究室にいたイスラム教のインドネシアの人を思い出します。ここで仏像に金箔を貼りました。次のパゴダを探して運転手さんは迷いまくってます。地元じゃないのでしょうがないですが、マーケットをつっきったりして、いろんな人に聞いてアッチだコッチだ言ってるうちにパゴダに着いた時には門が閉まってました。諦めてお食事の時間です。NANDAレストランでマリオネットショーを見ながらバイキングです。マリオネットショーも食事もたいしたことないですけど、チョウさんに会えた初日ということでミャンマービールを飲みまくりました。マンダレービールも飲んだのですが、後味が不思議な感じでイマイチでした。ミャンマーの話をいろいろして、お食事終了。ホテルに戻って一休みしていると電話が鳴りました。ミャンマー語です。判りません。チョウさんの確認するとボーイさんが部屋の前に。どうやら訪問客がいるらしいのです。義弟さんでした。ろくすっぽお礼も言えなかったので、一緒に会ってお礼を言って日本のお土産を渡しました。お別れして消灯です。

2004年1月1日(木):晴れ
 あけましておめでとうございます。今日は遺跡の町バガンを1日観光します。疲れが残っていたのか腕時計のアラームでは起きれませんでした。7時20分に目が覚めて、7時半に出発。余裕なし。朝食は近くでパンを食べました。ミャンマーの主食はご飯のようで、パンはイマイチ美味しくありません。ガイドブックに書いてある通り、いろんな食べ物がテーブルに並べられます。サービスではなく、食べて分だけ請求されるシステムなのです。食事が終わってニャンウーのマーケットへ。パッケージツアーでもないのにいきなり買い物してもなーと思うのですが、ここは有名なマーケットっていうことで連れていってくれたのでしょう。でも、いきなり買うものもないです。ミャンマーの活気は感じることができました。車に戻ると知らない人が助手席に乗ってます。乗り合いタクシーして儲けるつもりかと思ったら、この人がバガンを案内するらしいです。後から聞いた話ですが、運転手さんが道がわからないので勝ってに雇って、その人の分の費用もチョウさんがだしたらしいです。その人に連れられて行った最初の場所はシェグヂー寺院(だと思う)。いきなり小さい寺院で子供が管理してます。ガイドブックに写真も載ってません。でも、ガイドさんが言うには人気のある寺院とのこと。そして再びお土産屋へ。これってツアーなのって思ってしまうが、何も買うものありません。トイレに入って終了。次はダマヤンヂー寺院です。ここで車壊れます。なんともこの先が思いやられます。でもここの寺院はけっこうまともで遺跡って感じのする興味深いところです。車が治ってスラマニー寺院へ行きました。どこにでもいるのですがポストカードを売ってる子供がいます。日本語話します。「イチマイタッタノ1$」。兄弟のようで日本語のうまいお兄さんの方から買ったのですが、泣きそうな顔で弟が「買ってくれ」と言ってます。お年玉ってことで買ってあげることにしました。この国の物価ですが1$あったら食事できるくらいです。次にシュエサンドーパゴダという綺麗なパゴダへ行きました。そうそう、さっきからパゴダパゴダって何のことって思ってる人いますかね。仏塔のことで英語ですよ。ミャンマー語ではパヤーと言います。次にローカナンダーパゴダへ。池に魚がいるらしく、たくさんの子供が魚の餌を売りつけてきます。チョウさんを日本人観光客と思ってるらしく、日本語で売りつけています。しかたなく、子供から魚の餌を買って池に投げるのですが、無反応です。暫くすると亀が餌をつついてます。次にナガーヨン寺院という美しい形をした寺院へ行きました。次は巨大な寝釈迦像が収められているマヌーハ寺院。次はグービャウッヂー寺院。はい、もう皆さん感づいてますね。ここらへんにくるとみんな同じに見えてきてます。これはカンボジアでも感じた現象ですわ。さっき見たのでは、ってデジャヴ状態になります。同じとこ行っても判らないかも。それでも続いてタビィニュイ寺院。ここはバガンでも有名な場所です。一番大きい寺院です。例によって写真で天辺をつまんでみました。次はコゴードバリィ寺院です。ここで運転手さんはサングラス購入に夢中になってぼくらほったらかし。やっと昼食です。僕の希望でカレーです。マトンのカレーがとっても美味しいです。高級レストランらしく、うちわあおり係がいて落ち着きません。午後はティーロニミィンロー寺院へ行きました。お土産のタペストリーを買いました。ここで日本人留学生の女の子がいました。正月にミャンマーで出会うなんてこれは恋の予感。なんていってる間もなくガイドさんにあおられ終了。でも気さくな感じの元気な女の子だったなー。多分、変わりもんだな(失礼)。次は最も高いアーナンダ寺院、考古学博物館、港の目印プーパヤーパゴダと周りました。ここで1時間船に揺られて川を下ってホテルに戻りました。ホテルで少し休んでから昨日の義弟と同僚と合流してお食事をしました。WINTERという店で名前の通りさぶい店でした。なぜか運転手さんも一緒に食事。会話も弾まないままホテルに戻って、夜の散歩をして、一日終わりです。

2004年1月2日(金):晴れ
 今日はバガンを離れるので、ちょっと早めの起床で6:20です。チェックアウトを済ますのですが、確か25$って言われたような気がしますが35$とられました。特に抗議もせず、ホテルのイマイチなバイキングを食べてから出発です。バガンの朝は寒いです。日本ぐらい寒いです。お昼は暑いので格好に困ります。ホテルを出発してポッパ山へ向かいます。2時間くらいのデコボコ道を行きます。ポッパ山は標高が高い山なのですが、そこが有名なのではなく凸っとでっぱった山腹に寺院があるのが有名なのです。一説では火山の噴火でもともと山頂にあった寺院が飛ばされて今の形になったと言われています。ありえへんけどね。ポッパ山も当然裸足で登ります。山と言っても階段が作られているのでよいのですが、途中、野生の猿がいっぱいいるので、おしっこやウンチが心配です。野生の猿の数はすごいです。道の途中で喧嘩している猿や、交尾している猿がいます。野生です。寺院についくと天気がとってもよいので眺めがとってもビューティフォーです。チョウさんは、どこの寺院でも寄付をします。寄付をした証明書のようなものをもらっています。偉いですね。山を降りて麓で写真を撮りました。運転手さんに写真をお願いしたのですが、寺院が写ってません。んー、どうもこの運転手さんダメ運転手さんに見えてきました。最初は大地和男のような鋭いところがあると思っていたのですが、だんだん踊る走査線の副所長に見えてきました。次にマンダレーへ向かうのですが、さっそく運転手が迷ってます。ホント大丈夫ですかね、この人。軽く昼食をとるのですが、ここでヌードルにするかライスにするかで大失敗。ヌードルにしたらインスタントでした。美味しかったけど。運転手さんもチャッカリ僕よりよい炒飯を目玉焼き付きで食べてます。全部、チョウさんが支払いするのに。本当にひどいデコボコ道を5時間走ります。途中、車の調子が悪くなって止まりましたが、無事マンダレーに付きました。直ぐに食事をしたのですが、この玉子入り焼きそばが美味い美味い。チョウさん曰く、バガンの料理はイマイチだけど、マンダレーの料理は美味いとのこと。この旅で一番美味しかったかも。食事が終わって先ずはホテルです。NADIミャンマーホテルというところですが、チョウさんのおじさんが割引特権があるようで、20$という昨日のホテルより安く、しかも豪華で、もちろんツインベッドなのです。ってツインじゃなくていいわ。暫く休んでから出発です。まずはチョウさんのおじさんの会社へ。マンダレーからヤンゴンへ行く飛行機のチケットを受け取ります。次に運転手がつれていったところはアマラプラのウー・ベイン橋です。マンダレーからちょっと離れた長い橋です。ここで、お坊さんがサッカーをやっています。これぞまさに少林サッカー。てか、なんでここの橋に来たのでしょう。僕的にはマンダレーで有名な王宮とか行きたいのですが。次に時計台のあるセッチャーパゴダへ。マンダレーで一番大きい寺院です。ここのマーケットでチョウさんは仏像を購入。会社の同僚のイギリス人に頼まれたそうです。日もすっかり落ちたのですが、マンダレーヒルへ行きます。夜景ですが100万$には遠く及ばず100チャットくらいの夜景くらいです。謎は解けました。チョウさんは既にマンダレー観光をしているので違うシチュエーションを体験したいわけですね。ここ昼間に登れば綺麗に見渡せる丘なんですけどね。まー、同じところを行きたく無いという気持ちは判ります。でも宮殿は行きたかったなー。最後に夕食ですが運転手にマンダレーモンティーかシャン料理の店を聞いたのですが判らず(ダメ運転手ですわぁ〜。)、ラーショーレイという地球の歩き方に書いてあったお店へ行ってシャン料理を食べるのでした。運転手も一緒に食べるのですが、ミャンマーで馴染めないのはスープです。スープにスプーンが1つ。取りわけずにそのままスプーンで直で飲みます。こないだあったばかりの運転手と間接キスですわ。。。。夜のマンダレーを散歩してコーラを飲んで、ホテルのWelcome果物を食べまくって消灯です。

2004年1月3日(土):晴れ
 7時に起きて今日はマンダレーの郊外へ行きます。車に行くと違う運転手が待機してました。どうやらクビのようです。車の調子が悪いので修理に行くということで、違う運転手が来ました。マンダレーに詳しい人のようで、変わってよかったと思いました。でも、昨日の運転手の方が人間味はありましたね。この運転手はプロって感じで仕事をこなします。朝食は僕の昨日の希望であるマンダレーモンティーの食べられるお店へ連れていってもらいました。いやー、美味いですね。いい店しってるな運転手。次にピンウールィンというイギリス植民地時代のなごりが残る場所へ行きます。約2時間の道のりです。ピンウールィンに着いて最初の観光地はペイチンミャァウン(洞窟寺院)です。鍾乳洞の中に各地のパゴダのレプリカを作って設置しているテーマパークです。凄い長い鍾乳洞でゴールにはきっとすっげーパゴダがあるのだろうなんて思ったら小さい仏像があるだけでした。次はマッハーアントゥセディパゴダです。ここは最近できたらしいので地球の歩き方に載ってません。とっても綺麗なパゴダです。次はピウエカウの滝です。マイナスイオンがたくさんでてます。ゆれる橋があってちょっとはしゃいじゃいました。自然はいいですね。次は国立カンダウジー植物園です。ここはイギリス植民地時代の公園です。桜の木が植えられており、この時期に桜が見られるとは思ってもいませんでした。鳥小屋があり、短い足の鶏や孔雀が飼われてました。植物観察をして酸素をたくさん吸った後に、新しくできたというタワーに登りました。外国人はちょっとお高め。景色はバツグンです。タワーを降りて野生の黒鳥を見て、ミャンマーの小僧を見て、終了です。お昼はまたまた僕の希望のシャンそばです。運転手さんの案内で行きます。これまた美味い。一緒にテーブルに座って食べるなんてこともしないし、できた運転手さんです。スープ無しとスープ有りの2杯を食べてまんぞくまんぞうです。午後はアニサガンの滝へ行きます。おばさん3人がガイドで案内するのですが、これきっついです。サンダルで登山してる感じです。滝の麓へ行くために永遠下ります。約30分程度の道なのですが、サンダルで降りるってのは辛いです。階段にもなってませんので、普通に自然の山です。おばちゃんは僕を韓国人に見えたらしい。麓についてコーラをもらって一休みです。雄大な滝です。虹も見えて下ったかいがあったってもんです。って、これから登って帰るのか。さっき、たらふく食ったシャンそばが戻りそうです。ローソンハイキングクラブの山登りと違って、下ってから登るってのはけっこう辛いです。しかも、さらに登ったところに滝があるってんで、帰り道はハードコースを選択してしまいました。サンダルがすべって辛いです。なんとか戻って、再びジュースタイム。再びマンダレーに戻ります。マンダレーでは軽くショッピングをしました。ミャンマーの民族衣装であるロンヂーを僕も履くことにしたのです。さんざん悩んで2つのロンヂーを購入。その後、セッチャーヂーパゴダに戻って昨日買った仏像の領収書をもらいに行きました。なぜかというと寺院から盗んだものと思われないようにする証明書だそうです。ここで「あいのり」のミャンマー編で紹介していた僧侶のプロマイドを買うことにしました。しっかし、誰が有名な僧侶なのか判らないのでチョウさんに確認すると「この人」とのころ。あいのりに紹介されていたかどうかは判らないですが、この僧侶のプロマイドを買うことにしました。5枚しかなかったのですが20枚欲しいというと、直ぐにコピーして作ってきました。結局30枚購入。再び軽食と思ったのですが大盛りで焼きそばがでてきたので、たいらげちゃいました。食事が終わってマンダレー空港へ。とっても小さいプロペラ機ですが機内食も出ました。ヤンゴン空港に着いて、乗り合いタクシーに乗ってホテル到着です。MYA YEIK KYO Royal Hotelです。ダブルベッドの豪華ホテルでした。チョウさんは実家へ帰ります。ホテルの湯船でTシャツを洗濯して、落ち着きませんがダブルベッドで一人眠るのでした。

2004年1月4日(日):晴れ
 8時半に起きてホテルの朝食を食べに行きました。なんとも暗い場所で従業員がやたらいっぱいいるのに対して、客は僕と1組だけでした。バイキングなのですが、なんても落ち着きませんでした。部屋に戻るとTVでクレヨンしんちゃんが放送されていました。ミャンマー語で話しているようなのですが、しんちゃんのイメージをよくつかんでます。外に干していたTシャツを見るとやたら虫がたかってました。黄色いTシャツはカビがついて死亡です。僕の海外旅行の写真見て下さい。黄色い服が多くないですか。風水的によい色だからってこともないですが、海外旅行にはよくこの服を着ていったのです。他のシャツもへんなハンガーによってクビが広がってしまったりして、洗濯するんじゃなかったとちょっと後悔しました。ちなみに、今日はロンヂーを履いてます。昨日何度も履く練習をしたのですが、イマイチ着こなせません。12時過ぎにチョウさんが車で登場しました。ショッピングセンターで風邪クスリを購入。その後、チョウさんの実家でクスリを買います。チョウさんのお母さんに会うのは初めてです。ミンガラーバ(ミャンマーの挨拶)というと通じました。レッサウン(お土産)と言って、カステラを渡しました。これまた通じたようで「発音が良い」と言ってくれました。食事もサーロォカウンデー(美味しい)が通じて、ちょっと気分がよいです。食後はチョウさんの運転でヤンゴン郊外を観光です。先ずはタニンのチャイッコウパゴダへ行きました。エレベータを使って登ります。綺麗なパゴダです。小さい寝釈迦仏もあります。次にチャウタンのイェレーパゴダへ行きました。ここは水中寺院とも呼ばれて、湖の上にあります。船を使ってパゴダまで行きます。外国人は小さい船に乗ってはいけないとあるのですが、船を選んで乗ったのですが、椅子があるか無いかの違いだけでした。ここで再び魚に餌をやります。しかし、ここの魚は勢いが違います。すっげーいっぱいいます。楽しい。めちゃ楽しい。餌投げれば必ず食いつく。おもろい。船で戻って、喫茶店でヤシの実ジュースを飲みました。すっげー冷えてて美味しいです。次に民族村へ行こうと思ったのですが、今日は独立記念日+日曜日ってこともありすっげー混んでます。諦めてチャウターヂーパゴダという寝釈迦仏のあるとこへ行きました。ここの寝釈迦仏はセクシーなお顔をしております。足の裏も素敵です。ホテルに戻ってしばし昼寝(夕寝?)してから、本日のメインエベントであるライトアップされたシュエタゴォンパゴダです。エスカレーターで登って行きます。さすがにすごい迫力があります。生まれた曜日の神様の像があります。ちなみに僕は土曜日のナーガです。チョウさんは月曜日の虎。ミャンマーでは生まれた曜日で全てが決まるのです。名前も曜日にちなんだ名前をつけます。ちなみに苗字はありません。それで、この占いですが地球の歩き方にあるので調べてみると土曜日は「真面目、責任感、冷静。頑固、悲観的、批判的。部下、一般人。土地、鉱石」とすっげー当たってるじゃんって思わせます。ためしに昔、付き合っていた彼女を調べると、うわーすっげ的中じゃん。恐ろしきミャンマー占い。で、土曜日の神様を探してブラブラしていると係員らしき人に話しかけられました。どうやら日本人とバレたようです。外国人は5$払う必要があるそうです。俺、ロンヂー履いてるじゃん。浴衣できたら只とか、どこぞの映画館の企画のようにロンヂーで着たら只にしておくれよ。パゴダをあとにして夕飯です。美味しいビルマ料理の店ということでチョウさんに連れていってもらいました。たしかに美味しいです。ここでチョウさんの同級生に偶然会ったのですが、チョウさんって若いですね。相手はあきらかにおっさんですよ。食事が終わってコンビニでお土産を物色してから、ホテルに戻って本日終了です。

2004年1月5日(月):晴れ
 8時に起きていつものように朝食です。昨日とまったく同じ朝食です。雰囲気もまったく同じ。時間を持て余したのでホテルの庭を散歩することにしました。散歩しているとホテルの従業員に呼ばれえ電話が入ってるとのこと。なんで俺だってわかるんだと疑問に思ったのですが、日本人つったら判るのかな。チョウさんからの電話で「ちょっと遅くなる」とのこと。プールに入って時間を潰そうと思ったのですが、更衣室の鍵があいてない。使えない。近くのスーパーマーケットへ行くことにしました。まず難関が道路の横断です。ミャンマーは車優先のようで、横断歩道がある場所でも車がクラクションならしてつっこんできます。ましてや、ここには横断歩道はありません。もちろん、鉄橋もありません。じゃー、どうするの。文字通り横断するのです。フロッガーです。潰れたら負けです。まず道路の真ん中まで行って、車がいないことを確認して向こう側に渡ります。怖いです。スーパーマーケットについて色々と物色しました。行く前に山岳会の友達にミャンマー語の本を見せたら「ボールペンのためし書きみたい」って言っていたので、ミャンマー語の練習帳をお土産に買って行くことにしました(笑)。あと、インスタントラーメンとペプシXという変わった飲み物があったので買って、ホテルで飲みました。ホテルのベランダでちょっと日光浴をしてから12時過ぎにチョウさんが来ました。チョウさんのお母さんが同乗していてビックリです。お母さんと一緒になぜか親戚の家に行きます。お母さんとおばさんのミャンマー語会話は続きます。やっと終わって実家に帰ってお昼ご飯です。その後、チョウさんの友達のお土産屋へ行って、昨日買った仏像の証明書を書いてもらうのです。めんどいお土産ですね。チョウさんと同い年らしいのですが、医学部を出てお土産屋の社長をしているそうです。やっぱりチョウさんは若い。チョウさんに言うと「給料も僕が若い」とのこと。。。ミャンマーではお医者さんより儲かるみたいね。ちなみに奥さんは広島の三越でミャンマー土産の販売展示会をしたことがあるそうです。ここで問題発生。ぜったい来るとは思っていたのですが、腹痛です。チョウさんの友達と話す時も笑顔が出ません。次に行ったのは袈裟屋さん。ミャンマーのお坊さんが着ている袈裟は小豆色なのですが、僕のイメージは水島の着てるオレンジ色です。勢いでオレンジ色の袈裟を買いました。てか、お腹痛くてどーでもよくなっているんですけどね。次に来たところはインターネットカフェ。トイレに速攻駆け込み、すっきりです。旅のお供、ポケットティッシュがあるので安心です。ここで仕事メールの確認しました。一通り見流して、特に問題も無さそうなので、ローマ字で会社にメールしておきました。ミャンマーのプロバイダーのルールなのか、Yahooのフリーメールと、Hotmailは禁止されています。メッセンジャーもできません。なんで、小1時間で飽きました。次はヒスイを買いに行きます。ミャンマーの代表の宝石といえば、ヒスイです。ホクロ毛が伸びきったおばちゃんが店長をしているヒスイ屋で購入です。VISAの表示があったのカードが使えると思いきや使えないとのこと。僕の腕に合うヒスイはちょっと大きいサイズなので150$するのですが、これを日本円で買うことになりました。交渉の結果1万円まで負けさせることができました。50$以上の割引きですね。まー、本物かどーかわかりませんが。ホテルに戻って夕寝をしてから、チョウさんの同窓会に同行します。8人くらい集まってガーデンパーティです。みんなおっさんで子供もいます。改めてチョウさんの若さを感じます。日本語も軽く話す人がいて「ミャンマー人かと思いました。カンジに似てるね」とか言ってます。カンジは東京ラブストーリーの織田祐次のことを言ってるそうです。みんな酔っぱらいまくってます。僕も妹を紹介してくれるとか言われミャンマー語で挨拶。恥ずかしいです。ビルマスタイルってことで最後に乾杯してお別れ。チョウさんの飲酒運転で帰ります。この国はなんでもありだわ。

2004年1月6日(火):晴れ
 今日は早く出発してバゴーへ行くってことなので、6時半に起きて朝食です。いつものバイキングです。TVでつるせこハゲ丸くんを見ます。暫くしてお母さんとチョウさんの家の運転手さんと一緒にチョウさんが来ました。イチロー似の若い運転手です。1時間強の道のりを走ります。まずはシュエターシャウン寝釈迦仏です。ロンヂーしててもやっぱりバレますね。外国人ってことで10$取れれました。ただしこれはバゴー全体で10$とのこと。ここで最初で最後のお母さんとチョウさんと3人の写真を撮るのですが、運転手さんに頼んだところブレブレでした。デジタルカメラを初めて見るようで、最初はレンズを自分の方に向けていました。にゃにゃにゃにゃい。ここでお土産の掛け軸を10本購入です。7ヶ国語話せるというお土産屋が熱心にポストカードを売るのですが、買いませんでした。商売関係の言葉だけだと思いますが、けっこう上手いです。次にマハーセッディーパゴダへ行きました。運転手さんと一緒にパゴダの上まで登りました。運転手さんはもちろん日本語は話せません。英語も話しません。こんな時に便利なのが「旅のゆび指し会話帳」です。買ってきてよかったってホント思いました。運転手が「モーデー、モーデー」言ってるので何のことかた思ったら「疲れる」の意味でした。息が上がってへばってる僕にかけた優しいお言葉ですね。次にシュエモードパゴダです。ここには鐘と鎌倉の大仏(もどき)があります。鈴木さんが寄付したらしいです。鎌倉の大仏にもチョウさん、お母さん、運転手さんは土下座お祈りします。僕も土下座しときました。実はバゴーの近く(て言っても2時間くらいかかる)にはチャイティーヨーという場所があり、ゴールデンロックという有名な観光物があるのです。とっても行きたいと思っていますが、お母さんと一緒だしこりゃ無理だなって思ってたところ、チョウさんから神の囁きがありました。チャイティーヨーに行きたいかチョウさんに聞かれたのです。話によるとチョウさんはお母さんを家に送らなきゃいけないけど、運転手さんと2人で行ってもよいとのこと。とりあえず昼食をしてゆっくり考えることにしました。ここの食堂はハエが多すぎです。そういえば、マンダレーでジュース飲んでるとビンの中にハエが溺死したっけ。45000チャット(約5000円)かかるとのことでしたがチャイティーヨーへ行くことを決意しました。運転手さんとレンタカーを借りてキンプンという町へ行きます。そーか、運転手さんつってもミャンマーレンタカーで行くので別の運転手さん着くので運転しないんですね。チョウさんはバゴーからヤンゴンの帰り道を運転しなければいけないので、疲れさせてしまいました。運転手さんには暫しの急速を与えたって感じなのでしょうか。別の運転手さんと楽しそうに話しております。キンプンに着くと、なんかおっかない顔をしたおっちゃんが「hello」と言って、外国人は乗り合いトラック禁止みたいなことを言ってます。どうやら僧侶の乗っているトラックはダメだったみたいです。すっげー人で埋まっている乗り合いトラックに詰められて山に登って行きます。体勢が悪くて足が板の間に入ってしまい、寄りかかられたら折れちゃう状態で、もう泣きそうになって足をかばいながら登って行きました。一緒に乗ってるミャンマーオバタリアンの笑い声がさらにむかつきます。1時間も揺られてまるでジェットコースターな感じでしたが、なんとか山頂の到着しました。ゴールデンロックに金箔をはることができました。金箔は男だけが貼れる特権です。この岩は崖にあって、落ちそうで落ちない不思議な岩で隙間があって浮いてるとのことです。ここで運転手さんと記念写真を取ってとっとと帰ります。日帰りで時間が無いので滞在時間は5分くらいでした。そして、下りの乗り合いトラックです。今後は空いていて助かりました。でも途中で満員御礼となるのでした。そして運転手がサンセットが見えるから立てというのです。いらんこと言うな。案の定、腰をひねりました。こんなデコボコトラック立ってたら疲れるわ。でも夕日は本当に綺麗でした。真っ暗な中、ホテルのあるヤンゴンに戻ります。4時間の道のりです。途中、食事をしました。やっぱできるレンタカー運転手は一緒に食べないですね。23時前に無事、ホテル到着です。

2004年1月7日(水):晴れ
 今日がミャンマー最後の日です。8時半に起きて朝食を食べます。最後の日だし、朝食も慣れたのでバイキングで食べまくるぞー。と思って食堂に行くとバイキングありません。急に注文式に変えやがった。多分、泊まり客が少なかったのでしょう。目玉焼きとトースト注文して終わりです。昨日、チェックアウトより前に迎えに来ると聞いていたの待っていたのですが、なかなか来ません。何時に来るのか判らないので外出もできません。TVで踊るマハラジャのようなようわからんインド映画を見入って、12時過ぎても来ません。チェックアウト過ぎたじゃん。すっげー不安になってきました。もしかして、バゴーからの帰り道でなんかあったのか。とかよからぬ考えが頭をよぎります。数分過ぎて昨日の運転手さんと一緒にチョウさん登場しました。まー、数十分過ぎたところで、日本みたいに細かくステイ料金取ったりしません。チェックアウトを済ませてチョウさんの実家で最後の昼食です。インドカレーを戴きました。義弟と妹とその娘が来てました。姪っ子は2歳です。不機嫌そうな顔をしてます。義弟に名刺を渡してお別れです。妹さんはチョウさんとあまり似てないので、僕は最後まで親戚の人だと思いこんでました。食事が終わって、運手手さんとお土産を買いにヤンゴンマーケットへ行きました。マーケットでポストカードを買ってから、近くのお菓子屋で会社に配るYUZANA PICKLED TEAを20個購入しました。次に本日最後のパゴダとなるスレーパゴダへ行ってお祈りです。次にミャンマーで一番美味しいというお菓子を買いにクッキー屋さんへ。次に再びネットカフェです。ここでもチョウさんの友達に偶然会いました。結構、顔広いのかな。チョウさんは実家で友達に会うとのことなので、僕はネットカフェ置き去りです。1時間くらいしたらまた戻ってくるとのことでした。なんと日本語フォントが使えることがわかり、仕事ができます。結局3時間仕事したところで、チョウさんではなく運転手さんが迎えに来てビックリ。チョウさんの実家に戻って出発の準備です。コーヒーとパンを食べているその後ろでチョウさんがお母さんや叔父さん、叔母さんたちに土下座お祈りしてます。これがミャンマーの文化なんですね。すげー。僕から見ると親に土下座してる感じです。僕もお世話になったのでやらなくてはいけないのかーと思ったのですが、1日目に迎えに来てくれたおじさんに「チェズディンバーデー」と言って名刺を渡してお別れです。お母さんとおばさんは一緒に空港に行きました。途中、一昨日ガーデンパーティをしたチョウさんの女友達の家に寄って、ミャンーのフリカケのようなものをいただきました。空港に着くとチョウさんの先輩の女性と偶然一緒になりました。茨城で働いている人です。一緒にチェックインを済ませます。ふと思ったのですが、ミャンマーの預ける荷物はセキュリティチェックをしてません。大丈夫なのかな。友達の仏像もなんなく預かってもらって終了です。空港には義弟と妹、その3人の子供もお見送りに来ています。家族っていいですね。飛行機は20分くらい遅れましたが、無事ヤンゴンを出発。席は真ん中の3人がけ、さきほどの先輩とチョウさんに挟まれて真ん中に僕が座ってます。帰りの席での出会いも無さそうです。そして、飛行機は無事タイに着きました。

2004年1月8日(木):晴れ
 タイのお土産屋さんでチョウさんがニヤニヤしているのでなにかと思ったら「宮内のパリパリしたタイ菓子」っていうのが日本語で書いてあるわけです。そんな小話はさておき、成田行きの便もやっぱりミャンマー人に挟まれるのでした。成田に到着して、予想通り預けた荷物はなかなか出てきません。さらにバスで品川方面に帰ってしまい渋滞にはまる始末です。なんとか寮に戻って、PM出で会社に間に合いました。飛行機でほとんど寝てないのできついです。お土産の僧侶のプロマイドは大好評でした。あいのりのホームページが存在したおかげです。僕の買ったプロマイドは見事に第一位のタマニャサヤドウ僧侶だったわけです。さすがチョウさんです。素晴らしい。

そんなわけで、ミャンマーの旅は終わりました。観光地という観光地を行きつくした感のある充実した旅でした。出家して僧侶名をもらうことはできずに残念でしたが、面白い旅でした。僕の友達訪問海外旅行はこれにておしまい。と思いきや大間違いです。まだ、インドネシア、アルゼンチン、ドミニカ共和国と残っているのです。絶対実現させてやるー。


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canbe@mva.biglobe.ne.jp