1996年6月



愛甲石田の話

 ばーちゃん死んで、相続税2億円って、どうやって払うんだよ。というわけで、愛甲石田に引っ越してきた。ばーちゃんの田舎が近いし、お墓も近いということらしい。んでもって、最初に思ったことは「遠い」ということ。前は明大前徒歩2分だったから、そのギャップに苦しめられた。なんせ、愛甲石田徒歩20分はだてじゃないです。通学、初日から雨ザーザーで、車に水はねられるは、迷子になるわで大変でした。学校がかわるわけではないので、毎朝下北沢まで通学です。ずーっと立ちっぱなし。そうそう、僕は朝は高校の実験助手をしていました。その話はまた別の機会に。場所が井の頭の池ノ上と、かなり遠いので僕の生活はこうでした。「愛甲石田から下北沢、あるいて代沢の高校、勤務終わって、歩いて渋谷区富ヶ谷の大学、学校終わって代々木上原から愛甲石田」でした。本当、通学にはまいった。いまは「愛甲石田から東海大学前」という楽な生活だけど、収入がないんだなこれが。また、愛甲石田の話じゃねーじゃねーかってことで、戻します。愛甲石田はとにかく「だんご虫」が多い。家の中まで入ってきて、三葉虫みたいに、ふまれてつぶれてることが多い。非常に気持ち悪い。最近、発展してきているようだが、できたてのファミリーマートもそっこでつぶれて薬屋になってしまっている(もうかるのか薬屋?)。そうそう、僕は成人式が伊勢原で誰も知らない中、しょうもない落語聞いてました。んー普通なら、ここで、ひさしぶりに会った友達と飲み会って展開になるんだろうけど、そのまま家帰って寝た。悲しい。('96/6/1)


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