くだらない話

 最近、くだらない大人になってきていると感じる。このまえ、おばあさんが、階段を辛そうに降りていたのに、僕は手を貸せなかった。いいわけかもしれないが、貸そうという気持ちはあったんだ。それでも、手を貸した後、そのおばあさんは、なんていうだろうか、もし、ことわられたらどうする、まわりは何て思うんだ、などくだらない先のことを考えて、貸せなかった。素直になれない。思ったことを行動にだすより、自分を守ることを考えてしまっている。いやな大人になってきていると感じた。鶴巻温泉には、障害をもっている人が治療にきている。そういう人を見て、僕は「かわいそう」などという目で見ている。同等に考えることができない。五体満足に生まれたことが、あたりまえのことのように日常を過ごしているからか。頭では分かっていても、そういう人を避けようとしている。そんな自分がいやになることがある。それ以外にも、自分のことばかり考えて生きてきている気がする。親切を見返りを考えずにできない人間になってしまっているのか。それが大人なら、なりたくなかったと思った。でも、確実に僕はくだらない大人になっていっている。話は変わるけど自分について考える時が周期的にくると思う。15歳、18歳、20歳、22歳、24歳。つまり、進学、就職の歳です。いま、僕は24歳で大学院修士2年生であり、現役で進んできた。よって、考える歳です。僕は昔からどーも行動が遅く、後から後悔するタイプで、「あのとき、あーしてれば」ってよく考えます。今、せっぱつまってる修士論文だって、もっと前からコツコツやってれば、手抜きなしで作れたのに、大分、手抜きな仕上がりになった。あと、10日あるから頑張ればなんとかなるかも。頑張ればね。で、今悩んでるのは、修論、虫歯、親不知、就職、恋、母親、人生です。修論は、ま、知っての通りです。虫歯は最近急に痛くなって歯医者行きました、時間が。親不知も急に痛くなって、なにもこの時期に・・・って感じです。就職は誰でも悩むでしょう。このまま就職して何ができるのかって。恋と母親はおいといて。人生。今、自分がこの世の中からいなくなったら何が変わるのでしょうか。なにもかわらず、親戚が1時期悲しむだけでしょう。知らない人には、何の影響もなく世間は進んで行くし、誰も困らない。そんなことを考えて自殺する人って多いのだろうか。僕は悲しんでくれる人を一人でも多く作るために生きていきます。自分から死のうなんて思いません。僕が死んだら世間が困るくらいの人間になるために頑張っていきたいと思います。とは言うものの、僕は結構、些細なことに悩むタイプです。悩み事っていうのは、人に言うとめちゃくちゃすっきりするんですよね。だから、そのうち世界に公開します。それで後悔します。さぶ〜('98/2/1)


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