主任の話

 今の仕事に就いて、まる3年間がたとうとしている。大きな変化は無いが、小さな変化を繰り返してきた。一番大きな変化といえば、事業部名が変わったことくらいで、仕事の内容は変わらなかった。俺も4年目となり、ここの部署では古株だ。当時、技術志望だった俺は、この営業が主体となる配属先に不満が募った。一番辛かったのは、俺に期待をかけてくれた人たちを裏切った形になったことだった。大学院の恩師、実験助手時代の恩師、そして父親。技術者を目指すために大学院まで行かせてもらったのに、その期待に応えられなかたことを報告する時、涙が止まらなかった。ここで腐ってしまえばそれまでだと思いそこでの仕事を続けた。実際配属されたのは官庁グループであり、官庁マーケットに対するインターネット関連の事業部営業だった。社会科に弱いということもあり不安はさらに募った。しかしながら、官庁グループのメンバーは皆、優しい人たちで、何も判らない新人に優しく教えてくれた。いつの日か、この机が非常に居心地が良くなっていた。居心地が良かった理由の1つが俺を理解してくれる主任だった。主任は少々いい加減なところがあるが、仕事はよくできる。一緒に客先へ行くと安心感があった。僕が発言に詰まるとフォローをしてくれた。なにかトラブルがあっても相談できる安心感があった。元落研というのがあるのか、客先でのしゃべりはピカイチだった。俺も主任のようにしゃべれる人間にならなくてはいけないと思ってはいるのだが、なかなか人は変わらない。笑い声が大きかった。一緒に出張へ行くと必ず食事をおごってくれた。北海道に行った時はカウンターで寿司をおごってくれた。山口の仕事では河豚のコースをおごってくれた。広島では牡蠣。普段の日でも幾度と無く夕飯をおごってくれた。総額はいったいいくらになるのか判らない。食事の時、いろいろと相談にのってくれた。話していて楽しかった。最後に食事をおごってもらった時のことだった。部が予算、予算、営業、営業となってきてつまらなくなったことを相談したら、来年度の主任グループは「新しいサービス」について考えるようなグループにするということだった。なにやらワクワクした気持ちになった。しかし、その感覚は長くは続かなかった。主任は転勤になった。裏切られた気持ちだった。グループミーティングで突然の課長からの発表だった。晴天の霹靂とはこういうことをいうのか。新しいサービスを考えるなどということもなく、さらに予算、予算、施策、施策と営業、営業しくなった。主任を恨むのは間違いだということは判っている。今、現実に主任が席にいないと、とても静かだ。いつもの笑い声は聞こえない。思えば3年間、俺は主任がいるという甘えで、ぬるま湯に浸かってきたと言えるだろう。主任がいるという安心感から自分を磨くことに力をいれず、自分に責任が無いことに甘えていた。いざ、こうして、頼れる人がいなくなるというのは非常に辛いことだ。しかしながら、自分を磨くには主任に甘えてばかりいてはいけないと思った。これは自分にとってのチャンスなんだと。自分の責任で全てを解決して、自分の力で乗り越える。それが一人前の社会人というものだ。いつまでも人に頼ってばかりじゃいけないんだ。自分が頼られるようにならなくてはいけない。そういった意味で、主任がいなくなって、それ以上に辛かったのが、自分を頼ってくれる人が一人いなくなったことだった。主任は自分を結構頼りにしてくれた。無茶な注文も多かったが、俺がいるということを中心に仕事を進めてくれていた。つまり、俺という存在を認めてくれていたわけだ。俺もその期待に応えるよう仕事を進めた。そんな関係が無くなることが辛かった。そんな関係が無くなることが怖かった。俺はまだ一担当に過ぎない。大きな責任は問われないのかもしれない。今の会社自体は嫌いじゃない。今の地位に甘えている部分があることは認める。今の仕事が好きかと言われると疑問がある。しかし、今は自分の仕事を否定する段階じゃない。自分を磨くのを忘れたツケを支払わなくてはいけない。人は誰でも大きな壁にぶつかる。その壁を乗り越えるのか、避けて通るのか、あるいは、逃げ出すのかは自分次第だ。自分が決めることだ。誰もが判っていることだとは思うが、乗り越えた時の喜びは、逃げ出した時の開放感より大きく、得るものが大きい。自分が人に頼られる人間になるためには、いくつかの壁を乗り越えなくてはいけない。避けてはいけない。逃げ出してはいけない。俺は主任がくれたものを大事にして、主任がいないという壁を乗り越えて、主任に甘えていた時間を取り戻すよう自分を磨く。そして、自分に自信をもてるようになりたい('01/05/01)。


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