泣くことの話

 久しぶりに泣いた。気持ちよい涙だった。その日は久しぶりに客先直帰をしたので、いつもより数時間早く家路についた。寮の最寄りの駅に着いたとき何気なくTSUTAYAに寄ったら、その日レンタルを開始している映画があった。数ヶ月前に映画館で見たいなぁと思っていた映画だったので即決で借りた。その映画の名は「ペイ・フォワード」。ここから先は映画の内容にふれてしまうので、まだ見ていない人は読まないで欲しい。「ペイ・フォワード」は英語タイトル”Pay it Forward”で日本語に訳すと「次へ渡せ」。主人公(トレバー)はAIやシックス・センスでおなじみのハーレイ・ジョエル・オスメント。その少年は中学校の先生に難しい課題を与えられた「今日から世界を変えてみよう」。そして、この難題に少年が出した前代未聞の答えは“ペイ・フォワード”。受けた厚意をその相手に返すのではなく、身の回りにいる別の3人へと贈り、彼らがさらに別の3人へと贈るというものだった。トレバーは浮浪者、母親、イジメられっ子を助けようとした。トレバーはそのどれもがうまくいかなかったと思っていた。なぜなら「ろうそくは消えてしまったから」と答える。そして最後、トレバーはイジメっ子から友達を救おうとして、刺されて死んでしまう。と、ここまで見て、まー普通に面白い映画だな。でも、何も子供が刺したくらいで殺さなくても。そこまでしてお涙ちょうだいしたいんか。とか醒めた気にさせられた。その次のシーンで暖かい涙がたら〜と頬をつたった。ペイ・フォワードを受けた人たちがろうそくに火をともして、トレバーの家に集まっていく。何人も何人も。トレバーのアイデアがトレバーの知らないところで確実に広がり、何人もの人が幸せになっていった。その幸せの源に感謝を示すために何百何千というろうそくの炎が集まっていく。ここまで書いて思い出し泣きをして目がうるんでしまった。あのラストシーンで泣けない人は心の暖かさが足りないと思う。僕はこの感動をより多くの人に与えたいと思い3人とは言わず、何十人に紹介しまくった。なかには「なんすか〜、前へ払う?借金の話っすかぁ?」とか「ちぇ〜んめーるっすか?」とか「ねずみこうの話?」とか言う人もいたが、紹介してすぐに見てくれた人もいて、えらく感動したそうで、感謝してくれた。そして僕はこう言うのだった。「お礼はいいから、ほかの3人にその感動を伝えてください。」と。ほんと、意表をつく涙でした。不意をつかれて涙がタラ〜と流れた。ラストシーンの前までは普通に面白い映画だなぁとか思わせてボルテージ下げて、最後にあのシーンでMAXへ。だからマジでふるえた。TVの前で涙を流したのは「3年B組金八先生」以来だった。金八先生も3作、4作といまいちで、もう無理あるなぁとか思った中のシリーズ第5回、感動の嵐だった。特に生徒をひっぱたいた時の中盤クライマックスと、健次郎に「先生、力になれなかったね」と言う後半クライマックス。かなりの涙腺刺激度ピークだった。これも体が震えて、涙がでてきた。涙腺が弱くなってるいるのかと思った。オトナになると説教をしてくれる人が少なくなる。だから、ドラマの中の先生が生徒にビシっと納得のできるお説教をしているシーンを見ると、自分が説教をうけているかのごとく受け入れることができ、感動に結びついたのかもしれない。シリーズ第6作が今年始まるらしい。とても期待している。涙というのはストレス性の物質を外にだしてくれるそうだ。だから、オトナになると感動を求めるようになるのかもしれない。体がストレスを感じて、涙を求めるのではないだろうか。昔は笑えるドラマやマンガの方が好きだったが、今は感動できる方が好きになった(もちろん、笑い泣きも大好き)。男と女ではやっぱり女の方が泣くことが多いだろう。涙をだしてストレスを発散するということが、女性が長生きする秘訣なのかもしれない。7月に見に行った映画「パール・ハーバー」では、3時間立ち見という恐ろしい事態もあり全く泣けなかった。どこで感動すればよいのかわからない。やっぱB級だったなぁと思ってトイレに向かうと、トイレの順番待ちをしている女性(女性は回転率悪いから大変だ)が、号泣していた。顔をくしゃくしゃにして泣いていた。「話を聞かない男、地図が読めない女」にもあるように男と女は脳の構造が違う。僕の知り合いの女の子は「タイタニック」の映画を10回見に行って、毎回泣いたそうだ。ある意味凄い。昨日、今日のTV放送でもブラウン管の前で泣いているのだろうか?前回、「失敗の話」を書いたが、失敗をしたとき男は泣けるだろうか?心は泣いているが、涙を出せない。上司に怒られて悔しいと思うが、涙をみせることは無い。そして男はその涙をやる気に替えて頑張る。というのが美しい話だが、実際はストレスに替えて胃を痛めるといったところだろう。知らず知らずのうちに、男は泣くものじゃないという教えを守ってきている。子供の頃は自分の思い通りにならなかったら、顔をくしゃくしゃにして泣いて、自分は泣いてるんだということをアピールすべく、大声でわめいたもんだが、今はそんなことはとうていできない。仕事で上司に怒られて目の前で大泣きしたら、それこそ「みっともない」と思われるだろう。プライベートだって彼女にふられたからといって目の前で大泣きはできないだろう。家で枕をぬらすことはあるかもしれないが。確かに大泣きは格好悪いが、くやし涙は決して悪いものじゃないと思う。ドラマ「スクールウォーズ」で相模一高に109対0で負けた時、森田が「先生、おれ、くやしいです。」と言って泣く。悪くない。僕もくやし涙を流したことがある。何度かここにも書いているが、配属が営業になった時。課長の前で涙を見せてしまった。普通に話しているつもりなのに、感情が高ぶり涙がでてしまった。あまり格好良いものではないが、止めようがなかった。涙が流れる原因はこれまで僕を支援してくれた人たち、技術者として頑張っていく自分を期待している人たちを裏切った気持ちになって、悔しさが増していったためだったと思う。もし、あの時、涙が流れていなかったら、僕は思い詰めてしまい会社を辞めていたかもしれない。男が泣いてよいのは一生に3度だけ。「生まれたとき」「愛する人を失った時」・・・あとひとつ?「タンスに足の小指をぶつけたとき」だったっけ?んなわきゃ〜ない(タモリ風というかコージー風?)。冗談はさておき、男だって感情を素直に表してもよいと思う。我慢をするのは体によくない。「人間は体から体液を出す時が一番気持ちがよい」となんかの本に書いてあった。別にエロい意味だけではない。涙を流すのはとても気持ちがすっきりするものだ。涙を流し終わった後、人は必ず考える。流し終える前も考えるだろうが、それは冷静な考えではない。涙を流し終えたあと、人は冷静に自分を見直すことができる。だから、我慢をして考えるのではなく、一度、涙を流して体の中の嫌なものを洗い流してから、物事を考えた方が本当の答えを見いだせると僕は思う。感情が涙を必要としていると感じたら、素直に泣けばよい。涙は人間に与えられた特権なんだから。おーい、そこの君、「カメも涙を流すじゃん」とか言うな!いい話がだいなしだ(笑)('01/9/1)。


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