大西洋の話

 先日、ショッキングな出来事がありました。入社1年目の時の先輩が他界されたのです。37歳という若さでした。交通事故ということであれば不運な話だということになるのですが、蜘蛛膜下出血とのことでした。その突然の訃報は4月23日に聞きました。亡くなったのは4月21日ということでしたが、お通夜は4月23日ということで参列することができました。4月23日の朝、携帯電話で会社のメールを見ると同じく1年目の時の先輩から訃報の通知がありました。ご両親か祖父母が亡くなられたのだろうと思っていたのですが、その名前は本人そのものです。病気になったと言った話も聞かないので、交通事故にでもあったのかと思いました。メールにはお通夜の情報と告別式の情報が入っていました。会社に出社して、メールを送ってくれた先輩から、1年目の部署の関係者に転送して欲しいとの依頼があり、半日はその対応に追われました。もちろん、みんな信じられないという反応です。携帯メールに電話した女性の先輩は運転中だったらしく気が動転してしまい、危うく二次災害にでもなるところでした。それくらいみんな信じられないという反応なのです。冗談にしては悪質すぎるメールといった反応です。1年目の部署は僕が一番の下っ端で解散となりました。いろんな懐かしい人にメールをしました。ちょうど、僕が結婚報告をした時のメールがあったので、それをもとにメールを出しました。思えば結婚報告後にお祝い会をやってくれるという話を前の部署の課長がしてくれていたのですが、実現できずでした。僕の結婚祝い前に訃報のお知らせで、懐かしい人たちと顔を合わせ、声を聞くというのは、嫌な思いがします。何年も連絡をしていない人たちが訃報を切欠に話をするというのは辛いです。みんな死因について聞いてきますが、僕は何も知りません。又聞きの情報を流すだけしかできません。辛いです。もう会社を辞めた人へも連絡をして、香典を立て替えたりもしました。そんな先輩と初めて出会ったのは、前述した通り1年目の部署です。そのころ、営業のグループで、官庁を担当する人たちと文教を担当する人たち、金融を担当する人たちに分かれていました。僕は官庁の担当だったのですが、先輩は文教の担当でした。先輩は高専卒とのことで、年齢は2歳しか離れてないのですが、入社は6年先輩ですのでだいぶ、上の人のイメージでした。グループは分かれていたので仕事で絡むことも少なかったのですが、飲み会は頻繁に開かれて、必ず参加してくれたイメージです。そして、いつもタバコを吸っているイメージがありました。関西出身なのですが、僕のくだらないジョークに笑ってくれるのが印象的でした。「俺のツボ入るわー」って言ってくれ笑ってくれたのが印象に残っています。そんな先輩とも部署が別れ、ビルが別れ、会社が分かれと疎遠になってきておりましたが、たまの飲み会では顔を合わせていました。最後に先輩に会ったのは、元派遣の子が出産したってことで集まって飲んだときだったと思います。その先輩も結婚して、子供が二人できたという話を聞きました。子供をもうけて幸せに暮らしているんだろうなーと思っていたので、突然の訃報にビックリしました。僕の頭の中に浮かぶのは元気な先輩の姿だけです。本当に信じられません。平日でしたが、定時後にすぐに大泉学園の斎場へ駆けつけました。通夜、当日はやや前述の女性の先輩と元派遣の子と駅で待ち合わせてタクシーで行きました。焼香をした時、額縁の写真は僕の知っている元気な先輩でした。親族に一例をして焼香を済ませますが、奥さんの顔は見られません。辛いです。2Fの待合室に顔を出しました。懐かしい顔ぶれがいます。献杯です。出てくる言葉は「信じられない」という一言につきます。こういう場で皆と再開はしたくないものです。蜘蛛膜下出欠で寝ている間になくなったといった話を聞きました。多分、亡くなったということを本人が一番ビックリしているのでしょう。先輩の奥さんが上がってきました。元気そうにふるまってます。強い人です。途中、友達と抱き合って泣いているシーンもあり、悲しい気持ちに溢れました。最後に故人の顔を拝む機会がありました。顔を見て、イッキにこれが現実なんだと言う事を知らされました。白血病で38歳という若さで亡くなった青木先生を思い出します。昨年は大学の同期も34歳という若さで脳梗塞で亡くなったという話を聞きました。死ぬということが身近になって来ており、いろいろと考えさせられます。人が一人、この世界からいなくなるということは、昔の自分には遠い話であり、寿命を全うしたおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなるといったレベルが現実であり、自分と同世代が亡くなるなんていうのはドラマの世界だと思っていました。先輩も大学の同期も死を連想させません。二人ともタバコを吸っていましたが、メタボリックを連想させることはない、どちらかと言うと痩せている方でした。映画「涙そうそう」では、人には長い命と短い命があると言ってましたが、短い命の人はまだまだ遣り残した気持ちが残っているのではないのでしょうか。先輩にも2人の子供がいて、その成長を見守れなかったという悔しさが残っているのではないでしょうか。大学の同期も独身でしたが、これから結婚生活を味わいたいという気持ちが残っているのではないでしょうか。だからといって、長い命の人は全てをやりきることができるのかと言えばそうではないと思います。何の目標もなくだらだらと生きて、長い命を送るのであれば、瞬間瞬間を生きて短い命を生き抜く方がよいのかもしれない。先輩や大学の同期にもう少し自分の生き方を考えろと言われているような、そんな出来事でした。大西洋先輩のご冥福をお祈りいたします('09/5/1)。


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