厄年の話

 今年は本厄です。1月5日の川崎大師へ行って来ました。正月の激混み状態は落ち着いているだろうと思いましたが、まだまだ人が沢山いました。厄払いをする人もやたらいっぱいいます。お布施の料金をどうするか悩みましたが、時間がないので1万円で申し込みます。11時の回の締め切り5分前くらいに申し込んだのでドタバタです。赤い紙をもらって、本殿に入ります。ひとがわんさかいます。すでに満員状態。嫁さんも岳を連れて入ってしまたので大変です。出るに出られません。大泣きでもしたら最悪な状態になりますが、幸い大人しくしてくれました。私の足がしびれて、私は大人しくできませんでしたが。すっごい狭いスペースで正座なので辛いです。嫁が佐野厄除け大師に行った時は、すごい長かったと記憶しておりますが、川崎大師はさくっと終わってくれたので、足のしびれはなんとか持ちました。最後にお札を受け取るのですが、「あかさたなはまやらわ」で窓口ができています。ま行に並んで待ちます。なかなか空きません。暫くして受付が開始されました。先ほどの赤札と交換です。お札が並んでおりますが、あきらかに大きいお札があり、私の名前が書いてありました。やはり5千円がスタンダードだったようです。ちょっと大袈裟なお札を受け取り恥ずかしくなります。でも、本厄ですから、良しとしましょう。おみくじを引きますが小吉。岳も子供みくじを引きますが小吉。正月ですが厳しいです。出店がたくさんでており、帰りは大たこ焼を食べました。今まで食べたたこ焼きの中で一番タコがでかい。超はみ出てます。すごいです。まー、そんなことより、厄年の話です。災厄消除ができたので、一安心となってくれれば良いのですが。年末年始の休みが終わって、さっそく、なんか体に異変がおきてます。胸に違和感があるのです。週末に医者へ行きましたが、筋肉だと思うので大丈夫と言っておりました。本当に大丈夫なのか不安になります。もしかしたら、帯状疱疹の可能性はあるとのこと。たしかにストレス感じてるからなー。そうこう言ってるうちに、お腹の方にも違和感がでてきました。癌とか重い病気の前触れじゃなければ良いのですが。1月19日の山の会で大山へ行ったので、阿夫利神社で守護矢を買って、登頂しました。胸の違和感は無く、腹の違和感もなく登頂できました。やっぱり、仕事か家庭によるストレスなのでしょうか。仕事が始まるとまた違和感がでてきました。1月は大阪出張があったのですが、ウルフルズの大阪ストラットという歌を聞きました。この歌の歌詞というか台詞に「おーい、宮内くん」というのがあるのですが、この宮内くんは実在する人物です。正確には既にこの世にはいません。43歳という若さで、耳下腺癌によりこの世を去ってしまったのです。ICEという名前でボーカルの女性と組んでいたギタリストで、宮内和之と言います。WIKIPEDIAにも出ており、ウルフルズと東京で仲が良かったようです。この歌を聞いていると宮内くんも関西人だと思いますが、東京出身の人です。ただ、同じ苗字というだけですが、非常に気になる存在です。自分の命があと3年ならどうしよう。宮内和之は「僕が死んでも曲が残ります」という言葉を残してこの世を去りました。自分が死んだら何が残るのだろう。「僕が死んでもこのエッセイが残ります」。いやいや、残さないでむしろ消去して欲しいような内容もりだくさん。「僕が死んでも山温は残ります」。きっと、その頃の山温のページは中国語になっているでしょう...。何か自分が誇りに思えること、次世代に残せること、いったい何があるのだろう。余命までに残せるものができれば良いのですが。1月23日に会社の癌検診を受けました。検便と採血とX線と胃カメラだけなので、これだけで、全ての癌が見つかるのかちょっと心配です。脳腫瘍とかあったら絶対に見つからないでしょう。40歳のうちにどこか他の検診を受けた方が良いかも。そう言えば、来年度はリフレッシュ休暇がもらえるので、人間ドックでも行こうかな。がん検診のバリュームは10年ぶりでしたらが、いつもより多く廻しております。って感じで結構苦しかったです。X線は10年前、小さな胆嚢ポリープが見つかって、すぐに技師が教えてくれたのですが、普通は教えちゃいけないらしいです。医師の判断がないと技師は言っちゃいけないとか。それで、今回の人は厳格な人のようで、結果を何も言いませんでした。しかし、腹の違和感のある場所を何回も撮っていたので、きっと彼も何かに気づいたのかもしれません。健康相談でも胸の違和感を伝えたのですが、おばちゃんが「内臓なら痛くなったらよっぽどのことだから、神経的なものでしょう」という軽い答え。よっぽどのことだったらどうすんだよと思いつつも退散。答えは3週間後です。翌日は会社の同期会が開催されました。数年ぶりです。6時半スタートの定時退社日だったのですが、「事業部長代理の承認を取る」というくだらない仕事のために、3時間遅れてしまいました。事業部長代理の会議が終わるのを待たなければいけなくて、定時から待ち続けること3時間以上。アホです。大企業病です。大企業なら権限委譲しろと言いたい。課長、部長、予算管理者と判子リレーしています。事業部長代理が最終承認ですが、この承認を得るために説明をしなければいけないのです。中間の判子は何のためにあるのでしょう。もしこの手配が失敗だったとして、誰が責任を取るのでしょう。結局は末端の現場が怒られるだけで、誰も責任取らないでしょう。それでも、判子リレーは続きます。入社したときから疑問に思ってました。IT企業が未だに紙の手配と判子リレーをしています。辛うじて、この日の手配は紙ではなく、システムですが、結局は承認をとるために一人ひとり説明をしに回ります。経費削減、工数削減と言っているのにこの文化を辞めようとしない。管理職が権限を感じたいという大企業病ですね。末端が責任をもたせるべきだと思いますが、末端も責任を転嫁できたと感じて、ぬるま湯につかって仕事ができる仕組みなのでしょう。まー、そんなこんなで3時間遅れましたが、皆帰らずに待っていてくれました。というか飲み続けておりました。24人いる事業本部の同期です。会社を辞めた人も含めて10人が参加しました。懐かしい面々です。24人の同期は特別プロジェクトと言われて当時ブームだったインターネット事業の立ち上げメンバーでした。数年前に子会社になって、半分以上がそちらの会社になりました。そして、今月、その子会社を売却するという発表がありました。つまり、ほとんどの同期が違う会社になってしまうわけです。辞めてしまった同期も多数いて、既に違う子会社に出向している同期もいます。入社当時の会社に残っているのは、私も含めて5人になってしまいました。まー、私も40歳を過ぎて飛ばされる日は近いと思います。飲み会が終わって家に帰って、さっそく、フェースブックでグループを作りました。グループを作ったといえば、幼稚園のグループを作りましたが、全く盛り上がりませんでした。卒園した幼稚園には小学校は違うけど中学校は同じという同窓生がいることを知りました。卒園から34年経って知ったわけです。思えば40歳になってから、小学校、中学校の懐かしい面々と会いました。今月、入社時の同期の面々と会えました。また、1月26日は叔父の法事で久々の従兄弟と会いました。1月28日は茨城の出張先で偶然、新入社員の頃に販売実習を担当してくれた先輩に会いました。また、最近、フェースブックで大学時代のアルゼンチン人やドミニカ共和国人たちと再会しました。人は死ぬときに走馬灯のように昔を思い出すと言います。死に向かっている前触れなのではないかと、ちょっと怖い考えが浮かんでしまいます。高校時代に41歳死亡説が流行りました。確かに、コンビニができてからコンビニのその当時のコンビニ弁当やケーキといった保存料を20年間以上、臨床実験した人はいないでしょうから、可能性として無くもないかと、その当時は思いましたが、実際、自分も厄年で人生を終わらせてしまうなんてことがあるのでしょうか。人生80年時代です。まだ折り返しにきただけと思っておりますが、ゴールが近づいてしまっているのでしょうか。お腹の違和感は消えてません。仕事のある日は本当に気になるんですよね。あと11ヶ月、厄年を笑顔で終えることを祈っています。('14/2/1)。


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