鶏頭牛尾の話

 私の座右の銘は「鶏頭となろうとも牛尾となるなかれ」です。これは、確かナニワ金融道という漫画で初めて聞いたフレーズだったと思います。鶏は小さいものや劣ったもの、牛は大きいものや優れたものを表し、頭は一番先頭、尾は一番後ろということです。例えば、良い大学で最下位になるようり、そこそこの大学で一番を目指した方がよいって話です。正確には「「鶏口牛後」という中国の諺で、日本語では「鶏口となるも牛後となるなかれ」という諺のようです。しかし、日本に入った時に「鶏頭牛尾」となって伝わったらしく、「鶏頭となろうとも牛尾となるなかれ」と表現するのは誤りだそうです。まー、それはさておき、なぜ私がこの言葉を好きかと言うと、自分の経験からです。私の中学校までの成績はクラスで下位の方だったと思います。高校受験で志望校の受験に落ちて、偏差値の低い高校に入りました。担任の先生が「みんな受験して同じレベルなんだからちょっと勉強すれば上になれる」といった話をして、ちょっと勉強してみたところ初めての中間試験でクラスで一番の点数となりました。多分、志望校に入学していたら、一番はなかったと思います。つまり、牛の尾ではなく、鶏の頭になったのです。試験勉強が終わった後に、点数の発表があるのですが、一位になるのがとても気持ちよかったのを記憶しています。常に一位をとり続けまた結果、奨学金をもらうこともできました。しかし、完全に一夜漬けの丸暗記の勉強なので、勉強した内容は身についてません。先生が「ここ出るぞ」と言った板書を暗記するのです。板書したノートから、虫食いの仮想問題を作って、丸暗記するのです。試験を受けるとホボ先生が出るといった問題が出ます。虫食い以外の部分も記憶に残るので、たいてい回答できる状態になっており、100点近い転送がとれます。そんな勉強方法をしていたので、大学受験でも推薦校を受験しましたが、失敗しました。一夜漬けなので、範囲の広い試験には応用できないのです。偏差値の低い夜間大学に入ったのですが、そこでもクラス一番となり、毎年、奨学金をもらえました。昼間は母校である高校の実験助手をしており、空いてる時間は大学の実験のレポート作成など、勉強してよいという環境だったのも助かりました。この仕事ができたのも「鶏頭」になることができたからです。そして、大学でも「鶏頭」となれたので、大学院への推薦の道ができました。卒業式では表彰もされました。夜間ではなく昼間の大学ですので、実験助手は辞めなければいけませんが、キャンパスライフというのを経験できました。大学院ではチーティングアシスタントという実験の助手や試験監督などの大学のアルバイトをすることができたので、他のアルバイトはしないでも生活できました。まー、高校も大学も大学院も国の奨学金という借金をして通っており、返済が終わったのもつい最近ですが。そんな大学院でも成績はかなり上でしたので、推薦で大手メーカーを受けることができました。中小企業も受けており、社長面接で採用と言われていたのですが、推薦を受けているのに失礼ということが頭にあって、この大手メーカーの結果が出る前にお断りしました。ここで、また試験に落ちて、「鶏頭」への道に進むという解もあったのですが、「牛尾」の道に進むこととなりました。ここに至ることが「鶏頭」を選んだ自分のゴールだったんじゃないかと思います。社会人という想像のつかない世界に入り、「牛尾」となって非常に苦労するということも予想されましたが、これが意外とやっていけました。周りはエリート大学を出たメンバーばかりですので、ついていけずに会社を辞めることなるということも予想されましたが、「仕事」は今までの試験勉強とは違います。みんな、社会人としては同じレベルなのです。ちょっと頑張って仕事すれば、エリート大学卒業にも負けない結果を出せるのです。確かに東大卒と仕事をすると頭の回転がはやいと感じることもありますが、仕事としては「成功体験」があるわけでもなく、何が正解なのか分からないという同じレベルで仕事をすることができるのです。給料を人並以上にもらえることができて、私生活も充実できた社会人生活を約20年間過ごせました。ただ1点、入社当時から不安に思っていたのことがありました。それが「TOEIC」です。入社して受けたTOEICの点数が200点台です。このままだと、TOEICで昇格できずに万年担当で終わってしまうと思った記憶があります。課長昇格には470点が必要でした。係長への昇格条件ではなかったのですが、危機感を感じていた私は係長へ上がる前に英語の勉強をしまくりました。英語漬けです。そいて、500点台を取ることがでて、高度情報処理試験であるサービスマネージャの資格も取ることができて、このまま行けば、課長にはなれるかなって気持ちはあったのですが、甘くありませんでした。昇格条件が600点に上がったのです。わたしの世代は年功序列で課長試験を待っていた世代なのですが、それが急に実績主義になって、後輩が課長試験を受け始めました。年功序列枠も残っていたのですが、TOEICが600点上がるとともに、課長試験を受ける前に半年の研修が行われ、合格しないと受けられないという人事とは関係ないルールが作られました。これが作られた背景が470点の時に課長になった人たちのレベルが低かったからというとばっちりでした。このレベルの低かった人たちは堂々と課長をしています。私は自分の会社が好きなのですが、これはちょっと残念な会社だなと思いました。年功序列枠でこの試験を受けたのが3年前です。TOEIC600点に達成せずに、半年間の研修中に600点を取ることができずに選考落ちしました。そして、翌年もまた半年間の研修です。一度、受けたらOKということではなく、また半年研修を受けて合格しないといけないという制度です。その半年でもTOEIC600点に至らず、選考落ちです。そして、翌年にもTOEIC600点に達成していないので、研修メンバーにも選ばれないという自体になりました。ただ、この長い研修を受けずし英語学習に専念できたので、研修が開催されている半年間で600点台の点数が取れました。そして、今年、ようやく課長試験を受けられる条件が揃いましたが、また研修を受けなければいけません。上司に研修を受けるか聞かれて、悩みましたが、断ることにしました。昇格が全てではないと思ったのです。10期も下の主任(係長)が、研修を一緒に受けることになります。気づけは私が主任に昇格した際に入社して、コーチングをしたメンバーも課長になる年になっていたのです。彼らは年功序列を待つのではなく、若手枠の実績主義で研修を受けるのです。私も10年前はバリバリと仕事をしており、いろいろとアピールするネタもあったのですが、昨年、、10年続けた仕事のリプレース提案が敗退となり、無くなることが決定するという最悪のタイミングであり、上へのアピールが難しい中、研修を受けて若手と比べられてもよい結果を残せないと思いました。そして、「牛尾」の道が始まりました。自分の判断ですので、悔いはないと言えばウソですが、ワークライフバランスでライフを重視するというのも自分らしいと思いました。「上になりたい人がなればいい、僕は上になりたくないです」と言っていた後輩も今年、課長になりました。TOEICの点数に達成しなくて課長になれなかったというのは恰好悪いですが、TOEICの点数に達成しているけど、自分から断ったと言えれば、それはそれでありですね。人事としての試験すら受けられないというのは、研修がなかった時代に人事の試験に落ちた人より、劣るとみられるのでしょうけど、研修は受けてますし、TOEICも達成しており、私に足りなかったのは「運」だと言えるのではないかと思います。「運」がない人が上に上がるべきではないのでしょうと悟りました。入社の時に恐れていたTOEICで、予想通りに失敗してしまいましたが、係長のまま会社として必要な人材を目指したいと思います。これからは、プライベートの時間を大切にして、子供たちと接触する時間を増やしていき、「あの時、断ってよかった」と思える人生を過ごしていきたいと思います。ただ、「牛尾」の40歳を過ぎた万年係長をいつまでも必要な人材だと思ってくれるかといったら、難しいでしょうね。これからはリストラと言った言葉も頭をよぎります。私としては自分の会社が好きですので、辞めたくはないのですが、いつかそういう日も来るだろうし、定年を迎えられたとしても係長で終わるとなると、きっとどこかの子会社に出向となっているかもしれません。出世しないとやれることの範囲も増えていかないので、なかなか必要と思われる人材になるというのも茨の道なのでしょう。それでも、自分で選んだ道です。「鶏頭」がつかんだ「牛尾」です。牛テールスープも美味しいですので、会社に良い出汁がだせる人材になろうと思います。おあとがよろしいようで。そんなわけで、充実なライフを過ごすべく、GW初日は前日に午後休を取って、お台場に泊まってきました。まだまだ続けているポケモンGOですが、4月28日に金銀実装前のポケモンの図鑑がコンプリートしました。海外ポケモンを除きます。ずーっと、エビワラーが出なかったのですが、タマゴからバルキーが出て、エビワラーに進化できました。お台場についてすぐにエビワラーの影を見つけましたが、捕まえられず。金銀ポケモンもデンリュー、バンギラスの2匹だけとなりました。お台場日記をお送ります。


 2017年4月28日(金)お台場1日目
 4月1日に働いたので、代休で休む予定だったのですが、休めず出社。なんとか、午後休をして、保育園に息子を迎えに行き、お台場へ出発。なんでお台場かというと浜辺のある近場を探した結果です。あとはPokemonGOですかね。電車での娘のあばれっぷりに思いやられます。ホテルは楽天で予約したホテル日航です。お台場は外国人だらけで、日本人人気はなくなった感じですね。ホテルで少し休んでから、回転すし屋の天海へ。たらふく食べて、料金はめちゃ高いです。お台場価格です。潮風公園で夜景を見てからホテルに戻っておやすみします。

 2017年4月29日(日)お台場2日目
 ホテルの朝食はついてないので、最高の朝食と評判のBillsへ行きます。正直、店員の態度も悪いし、こんだけ高けりゃ美味くて当然だろって感じです。キッズオレンジジュースは苦いです。嫁さんの頼んだオージーブレックファーストは、サイドメニューの集まりのようなプレートです。注文する方が悪いって感じですが、分かりにくいメニューなんだから、写真つきのメニュー用意すればいいのにって感じです。最高の朝食とか言われて、売り手市場になってるんでしょうね。しっかし、店員の態度の悪さは朝からムカつきました。最後はきもちいい接客態度をしていたので、朝のスイッチが入ってなかっただけかもしれませんが。最低の朝食の後は、潮風公園の浜辺で遊びます。メインイベントです。暑いです。ホテルに戻ってチェックアウトして、パン屋でパンを買って、先ほどの朝食の続きをします。庶民にはパン屋のパンがあってるってことでしょう。その後、ビーナスフォートへ行って昼食も食べずに終了です。嫁さんは昨日から帰ることばかり考えているので、早めに帰るのでした。Pokemon GOもジムでデンリューを見たくらいで、進展なしなのでした。

以上('17/5/1)。


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