令和元年の話

 昭和十年秋深く根ざしかためし若松は、学びの窓に緑こく、我等のゆくてをさし示す、いざゆけ共に松原校。出身小学校の校歌の2番です。なぜか、一番より記憶に残っております。それはメザシと硬い飯で若松さんは、頑張ったんだなーって子供心に思ったからでしょう。根ざすだったとうことは、大人になってから知りました。昭和の小学校時代を過ごして、平成で中学校を卒業しました。よく考えると年号の入っている歌詞って、どんどん古く感じてきますね。開校から50年経ってますから、小学生時代も校歌の意味が分かってなかったです。1番も結構、難しいので思い出せません。3番なんてほとんど覚えてません。なんせ、父が卒業している小学校ですからね。兄弟3人いますが、親子3代とはなりませんでしたが、今も健在ですので、「昭和十年」と卒業式や入学式で歌っているんでしょうね。本日は令和元年初日です。平成最後の日は子供たちとトミカ博へ行って、寿司やへ行って、散髪をして、即位の儀をTVで見て終わりました。昭和から平成に変わった時の小渕総理の「平成」の額縁をTVでみたのが、中学生の時です。思えば子供の頃の思い出が昭和ですので、年老いたのは事実ですね。この平成30年で、人生を過ごしたって感じですかね。平成になった時は、平成なんて大正みたいにすぐ終わってしまうんだろーなって思いましたが、個人的には昭和の2倍も時間を過ごしたってことになります。高校、大学、大学院、就職、社会人、結婚、マイホーム、子育てと人生ゲームで言ったら、かなりのイベントを平成で体験しました。令和に残されたイベントは、孫の顔を見ることとお墓に入ることくらいしか残されてないですが、お墓に入るのは、願わくば次の年号にしたいですね。令和も生前退位と考えれば長くても30年ってことですからね。平成天皇と同じ歳までってなったら、25年くらいですかね。女性天皇になることがあるかどうかは知りませんが、次を見てからお墓に入りたいものです。令和の次は〇成ですかね。まー、「和」がまた使われるとは誰も予想して無かったでしょうね。なんか、違和感感じたのは、やっぱり「昭和」の存在があったからでしょうね。大正を使って、「令正」だったら、平成と変わらなくて違和感なかったかも。って違和感あるか。やっぱり、「明治」「大正」「昭和」、「平成」は馴染みがある元号で、IPA試験でも目にする元号ですからね。この8文字以外だったら、違和感なかったのでしょうね。「昭和」が無ければ、「令和」映えたように思いますが、昭和の「和」をあえて使ったという凄さもあるのかもしれませんね。次の元号を見るまで生きたいという生きる目標のようなものは生まれましたね。私は昭和の小学生でしたが、息子は令和の小学生となります。しかも、大阪で育つこととなりましたが、まだ平成の4月に小学校に入学しました。同じく、娘も幼稚園に入園しました。大阪府吹田市の市民となり、府長選にも市長選にも、子供たちの未来を考えて、投票しました。維新の頑張りは転勤者でも感じます。でも、吹田市はまた微妙で、自民党候補のジャルジャル後藤のお父さんが頑張ています。転勤者としては、大阪都構想に取り込まれて、吹田区になるなら、なればいいじゃんって思いますが、子供のことを考えると医療充実の吹田市を守りたいとも思うわけです。誰に投票したかはご想像にお任せしますが、今回、結構考えて投票しました。とりあえず、江坂駅のトイレを綺麗にしてくれる議員を選びたいと思いましたが、誰も公約には書いてないですね。なぜか江坂駅のトイレは未だに和式です。北大阪急行と大阪メトロが擦り合いしているのが目に見えます。住んでいるところを綺麗にしてくれる議員に投票したくなりますね。このゴールデンウィーク中に息子が自転車でドブの溝を避けようとして、溝にハマって怪我をしました。転勤当初からドブの溝が埋まってなくて、危ないなーって思っておりましたが、家族が危険にさらされてしまったわけです。幸い軽傷でしたが、吹田市のご意見板にはクレーム書いておきました。ドブの溝くらい埋められる自治体になって欲しいです。そんな、目に見える改善ができる議員に市民は投票するんでしょうね。でも、やはり、転勤者としては微妙な思いはあります。一生住む町でもないけど、未来志向の議員に投票しなければと思うかたわら、転勤者としては、今が良くなくちゃ意味ないじゃんとも思います。むしろ、家のある川崎市に投票権を持ちたいところです。川崎市営地下鉄の実現を再度チャレンジする人がいたら投票したい。まー、いないわな。昔は武蔵小杉周辺の鉄道の変化が気になって気になってしょうがなかったですが、最近は大阪の鉄道に興味もってしまっております。おおさか東線が開通して、奈良まで遊びに行きました。そんな奈良日記をお伝えします。

 2019年4月6日(土)奈良1日目
 奈良で花見と鹿見をしました。今年のダイヤ改正に合わせて、おおさか東線が全線開通となり、快速で奈良駅直通となりました。混んでいると思いきや、めっちゃ空いてました。奈良に着いてホテルで荷物を預けてから、近くのラーメン屋で、カレーラーメンをいただきました。その後、興福寺でゴザを敷いてお花見をしました。お天気最高に良いです。 ソフトクリームを食べてから、東大寺へ向かいました。奈良公園で鹿せんべいをあげます。子供たちはすっかり鹿に慣れてしまって、鹿をなでなでしております。娘は「この鹿、眠いんだって」と言ってます。桜は満開で気持ちの良い気候でした。奈良公園でもゴザを敷いて、お菓子を食べました。その後、ホテルでお昼寝してから、夕食でいきつきのカレーうどんを食べました。とってもおいしいかれーうどんで、これで3回目です。仕事を終えた嫁さんと合流して、本日はホテルに泊まります。

 2019年4月7日(日)奈良2日目
ホテルの朝食ビュッフェを食べてから、吉野山へ向かいます。関西で桜の名所と言えば、吉野山があがります。奈良にあるってだけで、奈良駅近くに前泊しましたが、すっごく離れてました。家から出発するのと変わらないくらい移動時間がかかりました。よく考えれば、神奈川だって川崎と湯河原は近くないし、東京だって、奥多摩と新宿は近くないですね。吉野山駅に着いて、ロープウェイで吉野山へ向かいます。日本最古らしく、揺れまくってて怖いです。 そして、人だらけです。花見というより人見って感じでした。ロープウェイで登っても吉野山って感じの眺望は無く、お店がいっぱい並んでて琴平を歩いている感じでした。茶屋の窓の桜が綺麗でした。客を店内に案内しない注文システムがよくわからない茶屋でしたが、蕎麦はおいしかったです。嫁さんと娘はきつねうどんを食べました。お店だらけの通りをひたすら歩きました。今日は本当に暑いです。That's吉野山という景色を求めてひたすら歩きましたが、出会えませんでした。嫁さんと息子と息子は途中で断念して、ソフトクリームに夢中でした。ロープウエイで帰ります。帰りの特急は売り切れで、帰路に時間がかかりましたが、注目の大阪初選挙には間に合いました。 That's吉野山という景色をバックに写真撮りたかったですが、断念しました。来年リベンジ...しないな。

以上('19/5/1)。


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