父の日の話

 6月21日は父の日でした。父親の話は20年前のエッセイに書いてます。その時に還暦を迎えると書きましたが、今年で80歳になりました。大きな病気もなく、未だに働いています。尊敬できる父親です。20年前に父親のエッセイを書いた時は、結婚もしてないし、子供もいませんでした。父親の気持ちが分かっているようで、分かっていなかったと思います。今では、私も8歳の息子と4歳の娘を持つ父親ですので、少しは父親の気持ちが分かってきております。父の日も毎年、祝ってもらっています。ただ、思い起こせば、父の日を祝った記憶がないです。母親がいなかったから、当然、母の日は祝いませんので、その反動で父の日も祝ってなかったのでしょうか。母だけ祝ってるとずるいって感覚ですかね。父の日のついで感は確かにありますね。当然、我が家は母の日をお祝いします。お祝いって言ってもケーキを食べるくらいですが。毎年、父の日は何故か、嫁さんからノースフェースの服やズボンを貰っています。嫁さんは早くに父親を亡くしているので、その反動で祝ってくれているのでしょうか。ありがたいことです。今年の父の日は、コロナ禍が落ち着いたこともあり、久々に家族で電車に乗って出かけました。ボーナスが出たので何か美味しいものを食べようってことで、以前に行ったことのある釣った魚が食べられるつり吉へ行こうとなったのですが休業でした。代わりに横綱というお店のでっかい串カツ太巻きを食べましたが、椎茸の串カツが異臭をしており、二度と行くことはないと思いました。その後、天王子動物園へ行こうとなったのですが、コロナ対策の入場制限で諦めて、長居公園の植物園で紫陽花を観ました。綺麗に咲いていました。父の日に自然に触れると、山温というハイキングクラブを思い出します。毎年、父の日は山温が開催されていたように記憶しております。一番最初の父の日は、11年前の丁度6月21日で、父にもなってなかったけど、山のメンバーが父になっていたので、「父の日は温泉でまったり」というタイトルを付けました。雨が降ってしまい豊島園の温泉に入って終わりという回でした。その後は、本当に父になり、父の日企画の山温が開催されました。父の日は梅雨なので雨にぶつかることが多かったと記憶してます。そんな山温ですが、大阪に引っ越してからは、できなくなりましたが、また関東に戻ったら再会したいです。今年の父の日は、お昼がイマイチだったので、夕飯は贅沢にうな丼をいただきました。家の近所にふく山という老舗の鰻屋があるのですが、なかなか行く機会がありませんでした。今回、初めて行くことができました。コロナ禍の中、お弁当にするか悩みましたが、19時以降なら空いているということで、お店で食べることにしました。とても美味しかったです。娘から幼稚園で作った歯ブラシケースの贈り物ももらい、良い父の日でした。家に帰ってからロールケーキをいただきました。私の父(じいじ)にも鰻を贈っております。5年前くらいから毎年、送ってますが、一緒に過ごせないのは残念です。いつか、近所のうなぎ屋へ一緒に行ける日が来ると良いと思います。私の転勤が解けるのが先かもしれませんが。子供の頃に父の日を祝った記憶はないので、最近のイベントといったイメージもありますが、父の日を祝ってくれるのはありがたいことです。ウィキペディアによると「父の日(ちちのひ)は、父に感謝を表す日。アメリカのドッド夫人が『母の日』にならって、父親に感謝するために白いバラを贈ったのが始まり。」だそうです。「1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。 最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。」だそうです。110年前からあるということが分かりました。6月は祝日も無くて、なんかイベントが無い、つまらない月ですから、イベントがあるというのは良いことです。ボーナスというイベントと合わせて、楽しめるので父の日はよい日程だと思います。我が家の話ですが、5月はGWがあって、その中に息子の誕生日があり、ママの誕生日も5月にあり、その間に母の日があるので、ケーキばっかり食べてる月のイメージです。息子が0歳1ヶ月の時が初めての父の日になりますので、今回、息子が生まれて9回目の父の日でした。来年の記念すべき10回目の父の日も大阪なのか、神奈川に戻っているのか、はたまた別の場所に飛ばされているのか分かりませんが、父の日のお祝いをしてることは確実でしょう。前回書いたようにニューノーマル時代に不要なものは、ずばり「転勤」ですので、戻っている可能性も高いのではと思っていますが、まだまだ帰れる空気は感じません。転勤で一番に嫌だと思ったのは、じいじと孫の距離が遠くなることです。今は毎週日曜日にAlexaのビデオ通話で話してますが、やっぱりFace to Faceでお話したいですよね。リアルタイム感はありますが、やっぱり人間味は薄れます。ただでさえお値段面で気軽に乗れない新幹線が、コロナの影響で全く乗れなくなりました。だんだんと緩和してきましたが、感染者の数は増えており、安心できない中、万が一にもコロナを高齢のじいじの家に運ぶなんでことはできませんので、8月の帰省も迷います。80歳の父ですから、いつでも会えるって歳でも無くなってきてますので、できる限り孫の顔を見せたいと思いますが、転勤とコロナ禍が邪魔する葛藤です。娘が「わたしがママの大きさになったら、ママがおばあちゃんになって、死んじゃう。にいにがパパの大きさになったら、パパがおじいちゃんになって、死んじゃう」って大泣きしてました。「じいじは死んでないから大丈夫だよ」という慰め方をしましたので、じいじにはいつまでも長い生きしてもらう必要があります(笑)。私も父親として健康に気を付けて、いつまでも息子と娘を見守り続けることができるようにしないといけませんね。コロナ禍で不健康気味です。息子ともども太ってきた感があります。来年の10回目の父の日は、健康的な山温が開催されることを願っております。

以上('20/7/1)。


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