伊藤先輩の話

 夏休みになりました。今年はオリンピックイヤーってことで、私の勤務している会社もオフィシャルサポーターってことで、お盆期間をはずして一週間前倒しの夏休みとなっております。しかし、皆様ご存じの通り、今年のオリンピックはコロナ禍により、なくなりました。それでも夏休みをお盆に戻さないのは、不思議に思いますが、大人の事情があるのでしょうね。来年はどうなることやら。そんなコロナ禍の夏休みなので、何の予定も立てられません。GoToトラベルしたら、まわりから白い目で見られる世の中になってしまいました。長い人生のほんのひととき旅行くらい我慢しろって話です。しかしながら、本当に長い人生が待っているのだろうかと考えさせるショッキングな出来事がありました。入社1年目の時の先輩が他界されたのです。50歳という若さでした。交通事故ということであれば不運な話だということになるのですが、癌で闘病していたとのことでした。その突然の訃報は7月29日に聞きました。亡くなったのは7月29日ということでしたが、お通夜や告別式はコロナ禍による感染防止で家族葬でやるとのことでした。代わりにインターネットで寄せ書きを集めて読んでもらうということで、私も書きましたが、なんとも味気ない世の中になってしまったと感じました。それでも、懐かしい面々の寄せ書きを読むことができて、通夜で顔を合わせたような感覚になりました。これもニューノーマルなのかもしれません。訃報は同じ部署だった女性の先輩からいただきました。このエッセイにも書いてますが、11年前に37歳の若さで亡くなった同じ部署の先輩の訃報を知らせてくれた先輩の訃報でした。7月29日は休暇をいただいておりましたが、会社の携帯でメールを確認して知りました。病気になったと言った話は聞いていなかったので、驚きました。入社1年目の部署の関係者に連絡しましたが、すでに会社を辞めてたり、携帯番号が変わっていたりで、繋がらない人も多かったです。寄せ書きサイトには続々と懐かしい人たちの書き込みがありました。そんな先輩と初めて出会ったのは、前述した通り1年目の部署です。そのころ、営業のグループで、官庁を担当をしており、その官庁Gで2私の次に若かったのが、先輩でした。年齢は4歳離れてましたが、落ち着いており、だいぶ上の人のイメージでした。同じグループで隣の席に座っており、電話の取り方やらなんやらと教わっておりました。仕事で絡むことは意外と少なかったのですが、飲み会は頻繁に開かれているグループでよく飲みに行きました。上半身裸でカラオケ歌ったこともありました。前述した先に亡くなった先輩の同期で、私の中でコンビのイメージでした。あの時は相方が亡くなってとても辛い思いをしていたように感じました。営業というよりクリエイターといった感じの先輩でしたが、冷静沈着に仕事をこなしているイメージでした。一見、インドア派に見えますが、サッカーが観るのもするのも好きな先輩でした。そんな先輩ですが、官庁Gで長いことお世話になったのですが、私が違う部署になり、部署が別れ、ビルが別れ、会社が分かれと疎遠になってきておりましたが、たまの飲み会では顔を合わせていました。最後に先輩に会ったのも何かのお祝いの飲み会だったと思います。分社化した会社のことをいろいろ聞いた記憶があります。その後は、年賀状だけのやりとりとなってしまいましたが、私と同じく、男の子と女の子の子供がいました。昨年は年賀状が返ってこなかったので、更に疎遠になってしまうなーって思っていたのですが、その裏では闘病生活をしていたと知って切なくなりました。子供たちもまだ学生ですので、辛いと思います。突然の訃報にビックリしましたが、僕の頭の中に浮かぶのはいつも笑顔の先輩の姿だけです。本当に信じられません。Face Bookをやっていることは知っていたのですが、友達申請するのも躊躇しておりました。インターネット公開しているので、書き込みを確認できましたが、昨年の1月に大手術を受けていたようです。その後、書き込みがピタッと止まっており、思わしくない結果であったことが予想されました。そこから1年以上の闘病生活をしていたのだと知ると涙が出てきます。4月に50歳を迎えて、3ヶ月での他界です。ご家族がどのようにお祝いしたかは知りませんが、余命3ヶ月でのお祝いですので、本人はもちろんですが、想像を絶するご家族の苦しみがあったものと思います。お見舞いにも行けず大変申し訳なく思いました。前述した37歳の先輩が亡くなってからは、関係の深い方が亡くなることはなかったので、久しぶりに悲しい思いに包まれました。50歳というと年齢は昔であれば死を意識する歳かもしれませんが、今の時代ではまだまだ働き盛りの年齢です。五十にして天命を知るのは昔の話であり、折り返しとまではいきませんが、あと30年は生きてておかしくない年齢です。しかし、癌という禍は待ってはくれません。いつ誰が起きてもおかしない病気です。私も大腸ポリープを切除した際にまだ小さいものがあると聞いておりますが、放置しているので、癌になってもおかしくない身です。自分の体は自分で守らないとと考え改めさせられました。先輩のFace Bookの最後の投稿には、「まさに神頼みですね。」と書かれておみくじがの写真が貼ってました。その前の投稿のコメントには「手術できるだけでも運がいい」と書いてます。手術はできたが、結果は思わしくなかったということだと思いますが、1年以上の闘病生活、大好きなフットサルをすることもできず辛い闘病生活だったと予想されます。私は50歳まであと4年ありません。4年しかないと思うと、果たして明日がある明日があると我慢する人生が正しいのか、悩まされる出来事でした。もっと1日と1日とを大切に生きろと言われているような、そんな出来事でした。伊藤先輩のご冥福をお祈りいたします。社会人1年目の私にいろいろとご指導いただき、今の社会人としてのベースを築かせていただいたことに感謝しております。ありがとうございました。天国で大西先輩によろしくお伝えください。

以上('20/8/1)。


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