手術の話

 人は一生のうちに何回の手術を受けるのでしょうか。先月、父が80歳にして大腸の手術を受けました。お陰様で手術は成功しました。手術はもちろん心配でしたが、術後もリハビリや生活など一人暮らしの父なので、心配が残ります。大阪転勤という距離感がまた苛立たせる上に、コロナ禍の緊急事態宣言中での手術でしたので、手術前に会うことも、手術に立ち会うことも、入院中のお見舞いに行くこともできません。父は術後2週間で無事に退院しましたが、週末に実家に帰るとか、会社を午後休して様子を見に行くとか、大阪転勤がなければ簡単にできたことができません。大阪転勤に辞令から3年と5ヶ月となる本日、新たな辞令が出ました。神奈川の事業所に戻る辞令ではなく、神戸の事業所に勤務となる辞令です。転勤中の転勤です。コロナ禍のテレワークの中、勤務場所が変わります。転居可の人事異動なのですが、子供たちの学校のこともあり、単身赴任という選択肢もありますが、通勤時間を増やす道を選びました。現在、家からドアツードアで30分の勤務地で働いておりますが、今度はドアツードアで2時間弱の勤務地になります。幸いテレワークが続いておりますので、週2回の通勤に留めることができそうですが、今後のコロナ禍の動きにもよると思います。今まで短い通勤時間で勤務していきた付けが回ったのかもしれません。時が経つのは早いもので、愛犬のマロンが亡くなって1年が過ぎました。持ち家に帰ることなく去ってしまったマロンですが、持ち家も売ることを考えないといけなくなってきたのかもしれません。今のところは、借りてくれている人が、1年延長したいという要望があり、需要と供給が一致したのですが、いつ出ていくかもしれませんし。そんな不安な思いをしながら過ごすより、売ってしまったの方が一層スッキリするのかもしれないと何度も夫婦で話はしてますが、結論には致しませんでした。やはり、子供たちのじいじがいる神奈川にいたいという気持ちは残りますし、生まれ育った東京の近くにしたいという気持ちもあります。一緒に山へ行っていた友達とも再び山登りをしたいとも思います。大阪勤務から兵庫勤務になり、また3年となるのか分かりませんが、仕事があるうちが華なのかもしれません。健康で仕事ができれば、勤務地なんてどうでもいいのかもしれません。そう言い聞かせて神戸勤務が始まります。やはり、何はなくとも健康第一です。前座が長くなりましたが、話を戻して手術の話です。私が始めての手術を受けたのは幼児の頃です。脱腸の手術です。子供の頃は傷口がきになって仕方なかったですが、手術をしたという記憶は全くありません。病棟の写真があるので手術を受けたんだなとは思いましたが、痛かったとか怖かったとか、その時の記憶はないくらい小さい頃の話です。その後、手術を受けるような大病になることはなかったのですが、8年前に網膜剥離になりました。網膜剥離で入院と手術を経験しました。網膜剥離は無事に治ったのですが、昨年、新たに白内障と診断されました。どうも左目は生まれつき弱いようです。子供のころからアトピー性皮膚炎だったので、その影響もあるのかもしれません。更に花粉症となり目をこする機会も増えてきました。その他の手術としては、同じく8年前くらいに日帰り手術で大腸ポリープを取ったことがあります。その時に小さなポリープがあるが今回は取らないと言われたのが、非常に気になっておりました。1年ごとに定期的に検査した方がよいと言われつつも、下剤の苦しみの記憶と大阪転勤にかこつけ、今日まで検査を受けることはありませんでした。父の手術と同じころに、1月に受けたがん検診の結果が帰ってきて、ピロリ菌の疑いありという診断結果でした。内視鏡検査を薦められ、近くの病院へ行ったところ3月2日に胃と腸の内視鏡検査をすることになりました。前述した腸のポリープのことも話したら、合わせて検査しましょうってことになりました。再び下剤の地獄を味わうこととなりました。外科手術は何歳になっても嫌なものだと思いますが、前日まで普通に話して、手術直前もLINEでメッセージ送る父は強い人だなと思いました。網膜剥離の麻酔ですら気分悪くなった自分ですが、お腹を開いての手術なんて考えるだけで怖いです。現在抱えてる病状としては、胆のうポリープがあります。こちはら経過観察をしておりますが、大きくなったら摘出するってことになると思いますが、今から不安です。ここのエッセイでも書きましたが、息子も3歳で手術をしております。ゴールデンウィークに病院のベッドで添い寝したのを記憶しております。息子は全身麻酔をしており、目が覚めなかったらどうしようという恐怖はありました。明日の内視鏡では鎮痛剤の注射を打ってほぼ寝てる状態で検査をします。これも失敗の可能性がゼロではないので、同意書に署名しました。いくつになっても手術は嫌なものです。外科手術をする側の医者も凄いと思います。血を見るのが苦手な私としては、ともて真似することができる職業ではありませんが、人の命を預かるという医者は凄い職業です。手塚治虫のブラックジャックが好きで全巻読みましたが、人はやはり生きたい欲求が強い生き物ですから、名医を求める気持ちは分かります。ある程度は医者を選ぶことはできますが、運みたいなものはありますよね。大阪に引っ越してから、コレステロールでお世話になっていた神奈川での主治医を変えないといけなくなり、紹介状を書いてもらいました。どこの内科でもよいのですが、最初に選んだところに1つしかない紹介状を渡してしまうので、主治医になってしまうわけです。なんか、はずれ感がある病院を選んでしまいましたが、未だに薬をもらうために通い続けています。薬をもらうための検査も血圧測って3分くらいで終わり、1500円です。これが3割ですので、時給はすごいです。もう少し親身になってくれる医者を探すべきなのですが、紹介状を書いてもらうわけにもいきませんので、なんとも難しいところです。いずれは神奈川に戻ると思う気持ちがずるずると医者を変えずに今日に至っております。明日、内視鏡検査を受けるところもクリニックですが、親身になって聞いてくれて、内視鏡の手術もすごい時間をかけて説明してくれてました。これはこれで一人当たりの対応が長いと待ち時間が長くなってしまうので、大丈夫かなって思いますが、やはり親身になってくれる医者ってのはよい感触を受けます。自分の命を預けるなら、やはり名医を選びたくなるものだと思いますね。父の手術はT大学附属病院でしたが、自分の正直な気持ち的には不安でした。自分が言うのもなんですが、大学が三流のイメージがあるので。しかし、ブラックジャックは存在しませんし、一流大学の付属病院にしたからって、手術の成功率が各段位上がるとかいうものではないし、失敗率が各段に下がるとか、そんなデータがあるわけではないでしょう。こんなことであがくのではなく、運命を受け入れるしかなくなるんでしょうね。一般庶民は「自分が住んでいるところの近い病院」という一択になる話ですし、「自分が住んでいるところの近い病院が紹介してくれた大きい病院」が手術を受け持つことになることでしょう。これから先の人生でも何回か手術を受けることになるでしょう。運命を受け入れるしかないとは思いますが、人生やっぱり健康第一です。父も無事に退院して、回復に向かっていると信じております。実際、TV電話で繋げても元気そうに話しができております。T大学附属病院のお医者様に感謝しております。本日で大阪の緊急事態宣言は解除されました。緊急事態宣下が解除されてもうがい、手洗い、マスクの着用が無くなるわけではありませんので、感染予防に努める日々が続きますが、健康にも気遣って生きていきたいと思います。なるべくなら、なるべくなら、外科手術は経験しない方がよい。病気にかかっても外科手術なしで内科療法で治った方がよいですね。風邪と禿と花粉症でしたっけ、治る薬ができたらノーベル医学賞もらえるやつって。コロナも完全に治る薬ができてらノーベル医学賞でしょうけど、外科手術が必要なあらゆるものも薬で治れば、ノーベル医学賞ものですね。花粉症の辛い季節になってきましたので、外科手術してでも治せるなら治したいって思っちゃいますけどね(笑)。そんなわけで、明日の内視鏡検査で変なものが見つからないことを祈りつつ、2020年度の最後のエッセイを終わります。

以上('21/3/1)。


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