トルコ日記

 初めてゴールデンウィーク中に海外へ行ってきました。場所は前回お話したようにトルコです。今回、本当にありえないこと続出でありました。出発に至るまでにもかなりゴタゴタしていました。会社の同期と一緒に行くというのも初めてです。海外旅行好きの同期だったので、久々に一緒に飲んでいる時に、軽く「連れてって」と言ったのが始まり。その後、どこへ行くかという話になりました。世はまさに戦争が始まる真っ只中の時です。僕はギリシャへ行きたかったのですが、友達はトルコへ行きたいと熱望していたのでトルコに決定しました。別にギリシャじゃなくちゃ嫌って気持ちもなかったのですが、ただ気になったのはトルコは「中東」でイラクの隣接国ということでした。まー、東側には行かないってことで話を進めて行きました。いくつかツアーの候補があったのですが、JNTという旅行会社のものにほぼ決めておりました。トルコ航空の直行便です。2003年は日本におけるトルコ年(よくわからないけど)で、トルコ航空は創立70周年記念という記念すべき年なんだそうです。そんな記念すべき年にブッシュさんは戦争をプレゼントしてくれました。そして便数を減らさざるを得ない状況となりました。運悪くトルコ航空のハイジャック事件とかも重なっています。そして、予定していた日の便は、みごとに無くなりました。JNTに相談したところアイロフロートでモスクワ一泊するコースがお勧めとのことで、しかたなくこれにしました。ほぼ決定です。僕は「地球の歩き方」を買って、友達は「るるぶ」を買い、自由行動の2日間に何をするかということで、僕の家で打ち合わせをしました。そんな中、友達がシンガポール航空を利用するタビックスのツアーを探してきたのです。JNTが22万8千円くらいするのに、このツアーは14万8千円という破格です。8万円の差はでかい!ということで自由行動の話などそっちのけど、タビックスのツアーにすることに決定して、その日は解散しました。友達が申し込みをしたところ催行決定とのことです。お金浮いてうきうき気分になりました。そんな中、旅行一週間前に問題発生。友達の仕事において納期が間に合わなくなってきたので延期してくれとの連絡がきたのです。JNTのツアーで同じシンガポール航空利用で24万8千円、トルコ航空利用で29万2千円。30万円ってありえなくないですですか。友達の話ではお母さんと友達も参加するかもしれないので、4人料金になればシンガポール経由で22万8千円と当初の予定額と同じになるとのことです。おいおい、なにが悲しくてお母さんと知らない友達の4人で旅行しなくてはいけないの。。。しかも、タビックスのキャンセル料3万円も払うのです。ありえない。僕の脳裏に浮かんだのは「一人部屋追加料金」でした。3万円追加して17万8千円で旅行することに決めました。友達にはお母さんと2人一緒に親子旅行をしてもらうことにしました。そして、その翌日に別の友達と愚痴をいいながら飲んでいると「やっぱ行くから」という電話が来ました。とってもハッピーであります。そして催行4日前に「やっぱりJNT]にしようという電話が。。。どうしても、カッパドギアに延泊したいので変更して欲しいと、もう譲らない雰囲気です。当然、タビックスのキャンセル料もかかるし、マレーシア経由でキャンセル料を合わせると30万円弱かかります。そんなの4日前に言うなよって感じです。説得の末、今回は諦めてタビックスで行くことに同意してくれました。ただし、延泊してホテルをペラパラスという高級なところへ変更したいという要望は受け入れました。延泊9千円、ホテル変更1千円。合計は15万8千円です。一人部屋追加することを考えたら安い旅行で収まりました。そして、出発1日前に「マネージャから旅行キャンセルを命令された」とのメールがきました。原因はシンガポールトランジットによるSARSです。その時は「部長に交渉するから大丈夫」との返事でしたが、夕方になり「旅行キャンセルするわ」との電話がきました。うそーん、明日だよ明日。恐ろしいことに電話の続きが「そちらのマネージャに連絡行くから」。え、どういうこと。そしてあちらのマネージャから、こちらのマネージャに電話が入りました。頑張れ、うちのマネージャ、負けるな!電話が切れて「宮内、ちょっといい」と呼び出されました。ここから数時間の話し合いです。会社の緊急安全対策本部の出張規制に「シンガポール」が入ってるというのが、今回のことの発端です。てか、米国も英国もみんな入ってるじゃん。なんじゃこりゃ。「個人旅行でトランジットするだけですよ、シンガポールが悪いんですか、トルコが悪いんですか?」と交渉。「トルコは悪くない」とのこと。マネージャが緊急安全対策本部に連絡をしたところ「トランジット」は問題ないとのこと。「百歩譲ってトランジットは目をつぶろう、しかし会社への影響は考えるべきだ」とのこと。てか、それって目をつぶってないじゃんと指摘しました。ついには「個人旅行であっても会社への影響を考えたら行くべきじゃない。」というところまで来てしまいました。もうほとんど諦めて、キャンセル費全額払いまで考えました。そして、うちのマネージャが、向こうのマネージャに連絡したところ、向こう本部長まで話がいったが、本部長は「問題なし」と下したとのことでした。これに伴いうちのマネージャもOKになりました。ただし、帰国後は病院へ行くとことが条件です。で、友達に電話してめでたく行けることになったのでした。長い夜だった。。。この時、友達が途中帰国するなんてことは夢にも思いませんでした。。。

2003年4月25日(金):晴れ
 本日いよいよトルコにたちます。6時起床で準備万端で、天気も悪くないです。生ゴミがあったので出かけると共にゴミ捨て場へ。暫く駅までの道を歩いているとポケットに鍵が無いことに気づきました。たしか鍵は閉めたはずだよなと思いましたが、重い荷物をゴミ捨て場に一時保管して、寮に戻りました。ありゃ、扉に鍵がささってました。いきなり間抜けっぷりを出してしまいました。気を取り直して空港へ。会社近くの駅で友達と待ち合わせをしていたのですが、電話が入り遅れるとのことでした。なんと、朝から出社してるんですよ。先に成田に着いたのですが、SARSの影響って本当にあるんですね。明らかにいつもより人が少ない空港となっておりました。まー、それなりに人はいますが。集合場所へ行ったら旅行会社の人がいるのかと思ったのですが、なんのアナウンスもありません。暫くして友達が着ました。どうやら「集合場所」と書いているのは、カウンターでさっさと手続きして下さいという意味のようです。カウンターで手続きをしていると問題発生です。延泊の手続きをしたはずなのに帰りの飛行機が延泊になっていません。旅行会社に電話しました。僕的にはお疲れ休みもできるし延泊しなくてもいいのですが友達が延泊したがっているので交渉を続けてもらいました。向こうの手違いなのに、延泊するにはさらに9千円かかると言われましたが、しぶしぶ了承。結局ホテル変えに延泊に1万9千円使うことになるのでした。交渉している間にツアーの参加者と思われる年齢不詳の女性2人がチェックを済ませていることを確認しました。その後、銀行に行ってUS$に変えてもらいました。ちなみに、今回インターネットで保険に加入しました。初めての加入です。なぜならば、インターネット経由でかなり安く入れますし、SARSが保険対象になっていたからです。なんせ、今回の経路はシンガポール経由ですから。出発ロビーで飛行機の写真を撮ったりしていると、さっそく椅子にカメラを置き忘れて搭乗しようとしてしまいました。「Hello hello」という親切なおっちゃんの声で気づき、いきなり無くさずにすみました。ありがとう、おっちゃん。さて、シンガポール便ですが、噂に聞きました「もう一度乗りたいランキング1位」など数々の1位を獲得している飛行機です。各席にはモニターが着いており、映画、ゲームが楽しめます。僕はさっそく「I-SPY」を見ました。気になるのがスチュワーデスの格好です。あれって機能性があるのでしょうか。民族衣装な感じです。胸元が開いており食事をワゴンの下から取るときに。。。そこらへんも1位たる所以。食事は片方が売り切れで選択権が無かったのですが、美味しかったです。めちゃくちゃガラガラなのかと思ったらそうでも無く、まばらに人がおりました。まばらなのに真ん中の4席に2人組みを座らせるのは辞めて欲しかった。そうそう、マスクですがスチュワーデスはもちろんしてないし、乗客もほとんどしてません。僕ら2人浮いてました。そんなわけで、ストIIで昇龍拳が出ないでイライラしているうちにシンガポールに到着しました。見事な着地です。今までで一番上手いです。これも1位たる所以ですね。シンガポールは5時間という長期な待ち時間があります。SARSが無ければ無料のトランジット観光ツアーが用意されているので行きたいところですが、空港探索で我慢しました。先ずはサンフラワーガーデンへ。外の空気が吸えます。って吸っちゃいけないような。。。その後はインターネットができる場所へ。15分交代なのですが、おかまい無しに(おかまいしてましたが)インターネット。いやー、インターネットしていると時間が経つのが早い早い。そろそろお腹が空いたので、シンガポール料理を食べることにしました。カレー味のスープヌードル、春巻、ダイエットコークを買って食べました。ちょっと高めですが空港内だから仕方ないですね。その後は有料シャワールームで汗を流しました。友達が空港のサービスセンターへ行ったらマイルが貯められたというので、僕もANAのカードを持って行くと、受付のおっちゃんの答えは「That's OK」。団体券は貯まらないはずなんだけどなーLucky。そして、シンガポールからイスタンブール行きの便に乗りました。この更は新しい機体になっており、ビデオオンデマンドなんちゅーものが付いています。スーファミではなくゲームボーイのゲームができるのですが、液晶が鮮やかなのでGBのゲームも目が痛くありません。オムレツ食べてからビデオオンデマンドで「たそがれ清兵衛(Twilight Samurai)」を見ている途中で、ドバイに着いて下ろされました。ここの着地も見事です。ぜんぜん、着陸を感じさせない。ドバイは1時間しかないので、降りたとたんに搭乗検査です。アラブ諸国連邦の空港をちょろっと見てから搭乗、途中ツアー参加者と思われるおっさんを遠目に見ました。楽しそうにるるぶ読んでます。さて、いよいよ飛んでイスタンブールです。着陸前に出たエッグヌードルが最高に美味かった。こりゃ機内食1位になるは。

2003年4月26日(土):晴れ
 7時にイスタンブールに着きました。いったい何時間フライトしていたのでしょうか。荷物は預けてなかったのでさっさと出ました。入国審査もらくらくクリア。SARSについてとか質問されたら何も答えられなかったことでしょう。ツアーガイドと思われる男の人を発見しました。「10$くらい両替して下さい」とのことだったので、20$両替しました。後のメンバーは荷物を預けているようで、出てくるのが遅いです。メンバーは予想通りの3人と僕らの計5人です。それにガイドさんと運転手で今回のツアースタートって感じです。せこいバスを予想していたのですが、ベンツで乗り心地は結構よさげです。さっそくバスに乗り込み観光開始です。外に出て思ったのが「寒い」ってことです。友達の情報では暑いってことだったので半そでばかりもってきたんですが、こりゃちょっとやばいかもって思いました。初めに着いたところは「ピッポドローム」というドイツの泉と3つの柱がある元競馬場の公園です。ガイドさんが日本語で詳しく説明してくれます。思えば日本人の団体ツアーなんて初めてですよ。日本語は良い、台湾語はわからない(笑)。そして、早くもブルーモスクです。イスタンブールと言えばブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミー)ってくらいの世界遺産地区にある寺院です。靴を脱いで中に入るとなかなか綺麗なところです。特に天井が綺麗でした。次にアヤソフィア博物館へ。ここは一年中工事中です。理由は完成するとキリスト教の寺院になってしまう可能性があるかららしいです。その後、トプカプ宮殿の近くで昼食です。トルコのドネルケバブやライスプリンなどが出ました。飲み物は別料金です。アイランという甘くない飲むヨーグルトを戴きました。食後にトプカプ宮殿の中を見学します。社会化見学なのか子供たちがたくさんいます。そして「Hello!」の声。アジア人が珍しいようで、「Hello!」の嵐です。サインさせられている人もいました。子供だけかと思ったら高校生くらいの綺麗な女の子まで「Hello!」と言ってました。知り合いになっておけばよかったかも。。。なんか同じような展示物ばかりなので飽きてきましたが、「Hello!」攻めは無くなりません。一通り見終わって、次はグランバザールです。いきなりお土産買っても重いので、なんも買わずうろついているだけです。日本語の呼びかけがけっこうあります。ここで1万円の両替をしました。ツアーだし1万円もあれば十分でしょう。みんな飽きたところでホテルへ向かいました。プリンセスホテルです。5つ星ってだけはあるとっても大きい部屋に感動です。チュニジアのホテルを思い出しました。ここで暫く睡眠して旅疲れを取りました。カメラの電池を充電しようと思ったら問題発生です。プラグがあいません。やばい、どうしようと思ったところで洗面台に行くと日本と同じプラグ形状のコンセントが髭剃り用としてありました。さすが5つ星です。目覚めてから近くのスーパーへ行きました。ここで水とプラグ変換機を購入しました。今後のホテルに髭剃りコンセントは期待できないと思うので備えあれば憂いなしです。スーパーはけっこう大きめですが、そんなに安いってほどではなかったです。ホテルに戻って夕飯です。ガイドさんの話では「バイキング」ってことだったのですが、普通に料理が運ばれてきます。文句言おうにもガイドさんはお家に帰ってしまっているのです。イスタンブール内なので。でも、一通りのコースでお肉料理をいただけたのでありです。とても、美味しかったです。周りを見て納得しました。人がぜんぜんいないのです。戦争の影響で中東のイメージのあるトルコは人気が激減しているんでしょうね。5人しかいないのにバイキングなんてやってたら、赤字赤字赤字ですね。ツアー参加の人たちの話を聞いていると1日目にして早くもキャラクターが出てきております。みんな一人で参加しておりますので、みんな他人です。でも、少人数だと個性がすぐ判りますね。気が強く毒舌気味で年齢的にはちょっといってる姉さんと、ボーっとしているようで裏がありそうな年齢不詳の姉さんと、どう見ても役職級の年なんだけど実年齢は若い担当と思われるおじさんの3人です。ガイドさんは若くて一生懸命さを感じますが、実はやる気が無いのではと思わせるお兄さん。運転手は禿げてるけど若くも見える日本語の判らないお爺ちゃん。こんな風に僕が観察しているんだから、あちらの方々も僕らを観察しているはずです。ずばり「ゲイのカップル」と思われているのでは。この時期にトルコに男2人。怖い怖い。食事が終わって睡眠です。男の夜の熱い会話をするのかと思いきや、友達はさっさと寝てしまいました。まー、1日目で疲れてるからね。おやすみなさーい。

2003年4月27日(日):晴れ
 6時過ぎに起きると友達から衝撃な告白が。「実は俺、おまえのこと好きなんだ」。すかさずお尻を確認。ってそんなわけないじゃん。告白の内容は「ごめん、帰る」でした。ありえね。耳を疑いました。「部長の言葉が気になって、1日観光したけど、まるで紙を噛んでいるような感じなんだ」とのことです。「でも、今から帰ったって何も変わらないよ」と説得を続けることに。朝食はバイキングでしたが、あまり多くの料理を食べられず説得に努めました。とかいいながら結構食べながら説得してました。この食べながら説得が悪かったのか彼の気持ちは変わりませんでした。泣きそうな顔で「帰ることに決めた」と言うので、僕からのアドバイス「仕事で呼ばれたことにした方が良い」でした。そんな理由でキャンセルしてはガイドさんもメンバーも納得しないと思うので、僕からの最後の忠告です。あと、シンガポール便以外で帰れというのも忠告しました。そして、友達はガイドさんに話してタクシーで空港へ向かうのでした。僕は一緒に帰るほどアホじゃないのでツアー続行です。もともと、一人旅でも決行するつもりだったし、一人部屋追加料金要らないと思えば、ラッキーじゃん。って思えるのは今だけだよなーってのもわかってました。わざわざ延泊してるんですよ。1人でイスタンブールで何するの。そして飛行場までの見送りも無し。先のことを考えると不安になるので、今のツアーを楽しむことに決定です。ガイドさんの最初の言葉は「日に日に人数が減りますね、もうこれ以上減らないで下さいね。」でした(笑)。バスは最初の観光地のドルマバフチェ宮殿へ。ドラマのロケをしていたので1枚写真撮っておきました。ガイドさんに聞いたら、知っているけどそんなに有名じゃないとのことで、ファミリードラマに出てる人だそうです。僕は昨日の1日観光で「自分の写真が好きな人」というキャラクターを作られてており、ツアーメンバーが写真撮影依頼には快く受けてくれます。ドルマバフチェは撮影代が別途です。せっかく新しいデジカメ買ったんですから撮影代くらい出しますわ。でもちょっと高いかも。そんなわけで、他の3人はお金だして無いので、写真を撮らされることになってしまいました。まー、いっぱい撮れるのでいいんですけどね。ドルマバフチェはシャンデリアが有名で4.5tもあるシャンデリアがぶら下がっています。こんなん落ちてきたら確実に死にますね。さてさて、海の見えるレストランで昼食です。メルメッキ(パン)、チョルベツ(豆スープ)、アジブライを食べました。アジフライ美味しい。お食事が終わると移動時間です。港へ行くのですがかなりの距離です。途中で寄ったトイレにはミニ動物園がありました。まー、トルコにしかいない動物ってものいなそうなので軽く見流して終わりです。時間がありすぎですのでガイドさんのトルコ語講座をやってくれました。「メルハバ=hell、ギュナイドン=Good Morning」。覚え方は具の無いドンブリです。以上。やっと港に着いたのですが、「船が出ないから別の港へ行ってくれ」みたいなことを言われたようで、またまた移動です。別の港に着きましたが、まだまだ出港まで時間があるとのことなので、お土産屋見学してから、喫茶店でガイドさんにチャイをご馳走になりました。ガイドさんと運転手さんはバックギャモンに集中しており、僕らお構いなしです。船が出港するギリギリまでバックギャモンをやっていて、あわてて船に乗り込みました。このフェリーでヨーロッパ側からアジア側に渡ります。バイバイ、ヨーロッパてなわけで、アジア側のチャナッカレに到着です。ホテルはAKOLホテルです。4つ星のホテルなのですが、昨日とまったく違うしょぼいホテルでした。もちろん、ツインルームなのですが狭いです。みんなで散歩に出かけましょうってことで集合時間を決めたのですが、聞き間違えたようで遅れてしまいました。海辺を歩きまわって、喫茶店へ行ってカプチーノを飲みました。不味いです。夕飯はホテルのバイキングです。食べ終わってから散歩の時に見つけたアイスクリーム屋へ。ドンドルマというトルコののびーるアイスです。最近、日本のコンビニでも売っていますね。あんまり伸びまくってなかったのですが、確かに伸びるアイスでした。チョコレート味もなかなかいい味してました。ホテルに戻って絵葉書を一枚買って消灯です。

2003年4月28日(月):晴れ
 6時に起きて朝食のバイキングのしょぼさに嘆きました。さっそく観光スタートです。まずはトロイ遺跡です。世界遺産なのですが、遺産というほど遺跡も残っておらず、トロイの木馬のレプリカが置いてあるだけです。トロイの木馬のレプリカは最近作られたものですが、中にも入れます。中には当然、ウィルスが。。。そうですコンピュータウィルスならぬSARSウィルスがぎっしり。だったら怖いですね。トロイの木馬の話は教科書で何度か耳にしたと思いますが、ギリシャ軍とオスマントルコ軍が戦っていたなか、ギリシャ軍は撤退し木馬が残されました。それを城に入れて勝利の美酒を味わい寝ているところに、木馬からギリシャ軍がヤッターマンのメカなみにドワーっと出てきてギリシャ軍が逆転勝利を収めたって話ですね。ここで問題なのは「ドワー」です。「ドワー」っと出てきたってことは木馬はでかいはず。ということで作ったレプリカがここにあるのですが、でかすぎて城に運べねーだろって感じ。ガイドさんの話でも「嘘か本当か判らない、多分嘘だと思います」とのこと。ちなみにガイドさんの口癖は「なんという」です。日本語を思い出すのに、この単語を挟むのでちょとおもしろいです。トロイ遺跡は想像力が無い人にはつまらない場所です。想像して楽しんで下さい。ドワーっとウィルスが出てくるところを(笑)。ここで切手を買いました。さて、またまた移動時間です。ガイドさんに世界遺産の話をすると「トルコには2つある」とか言いはじめました。え、るるぶに9つ載ってますよ。なでも「世界七不思議」と間違えたとのこと。え、世界の七不思議の2つがトルコにあるんかい。。。バイキング昼食を経て再び観光開始です。今度は遺跡がよく残ってるベルガマです。アクスレピオンという遺跡でポーチを買いました。次にアクロポリスへ。ここも遺跡が綺麗に残っています。景色は最高です。劇場なんかは本当に綺麗に遺跡が残っています。途中、井戸のようなところに柱が建っており、そこの柱の上にコインを投げて乗っかると願い事が叶うそうです。さっそく1円玉を投げると見事に乗りました。「無事に帰れますように」。ここに大きなカメがいました。カメなのにやたらすばしっこいです。ここで、トルコのお守り(目玉)のついたブレスレットを購入しました。このブレスレットは最終日まで見につけました。これにて本日の観光終了です。再びバス移動です。そして美人で有名なイズミールの街へ到着しました。今回のホテルはプリンセスホテルです。イスタンブールのプリンセスホテルとは雲泥の差でした。髭剃りコンセントも無いし、狭いし。またまたバイキング料理を食べてから、今回のメインエベントのトルコ風呂であります。マッサージも垢すりも既に終了ということでがっかりしていたのですが、垢すりはできることになり、ハマム(これがトルコ風呂ね)利用料と合わせて2千万トルコリラ払って着替え開始です。というか既に水着に着替えているのでハマムで垢すり師を待ちます。ハマムとは円柱の石が熱くなっており、そこに寝そべるサウナみたいなものです。垢すり師は当然、男です。メリーにくびったけの彼氏を老けさせたようなおっちゃんが登場してスリスリしてくれるのでした。あっちゅーまに終わりましたが、お肌はいい感じになりましたね。しばらくハマムで寝そべってると女性が入って来ました。混浴なんですね。当然、水着をしていますが、垢すりしてもらうような水着ですから、きわどいビキニです。こちらの人は発育が良いというか、思わずチラチラ見てしまいました。垢すり前だったら変化を悟られてしまうところでした(笑)。ハマムも飽きて普通のサウナへ行きました。本当に日本と変わらないサウナだったのでガックシ。シャワーを浴びて温水プールに移動すると、ツアーのメンバーがいました。え、いつの間にカップル誕生してるのとか思いびびりました。若いおじさんと年齢不詳の姉さんですね。ここはそっとしておかなければいけないと思たのですが、クロール競争とかさせられるのでした。そんで、ちょっとひと泳ぎしてとっとと出て行きました。ハマムは終了の時間で真っ暗でしたが、写真が撮りたくて中へ行きました。さきほどの垢すり師がいて、止められましたが、写真を撮りたいと説明すると電気をつけてくれました。いい人だ〜。ハガキ書いておやすみ。

2003年4月29日(火):晴れ
 今日も6時に起きて朝のホテルバイキングです。今日はサンライズがとっても綺麗だったので写真をパシャリ。食事が終わってからプールで写真を撮りました。では、さっそく観光スタート。まずは聖母マリアの家です。聖母マリアとトルコの関係がよく判らないですが、とにかく観光地です。ここに願い事を書いた紙を濡らして結ぶと願い事がかなうというところがあったので、BIGLOBEのビニール袋に「無事に帰りたい」と書いて結びました。これから聖母マリアの家へ行く人は、BIGLOBEビニールがあるか確認してみて下さい。次にエフェス遺跡へ。NIKEの石像もあります。もちろんレプリカですが。ここから見える山は本当に綺麗です。大自然に呑み込まれている感じです。しかも、綺麗な青空です。思わずガイドさんとのツーショット写真なんて撮ってしまうのでした。トルコ猫とじゃれあって遺跡終了。ついに出ましたお土産ツアー。革製品の店に連れていかれるのでした。ここでファッションショー開始です。男一人、女一人モデルになれみたいなことを言ってましたが、全員無視です。りんご茶飲みながらのファッションショーは終了して、売り込みタイム。やっぱりというかなんというか、店主のターゲットは役職者に見えるおじさんです。ぼくとたいして年齢変わらないのですが、Gパン、Tシャツの若造など無視です。すっかりターゲットから外れました。てか、買う気も無いけどね。結局、おじさんもコートは買わなかったのですが、財布を購入してました。年齢不詳のお姉さんは8万円のコート買っておりました。もう季節終わるから1世代前のタイプになっちゃうのにねー。革製品屋としては大成功だったことでしょう。次にアテネ神殿跡地をボーっと眺めるスポットへ。ここも想像力がないとダメですね。想像しないとコウノトリが泳いでいるただの池です。ミニチュアアテネ神殿が1photo by 1$で置いてましたが当然撮りません。このレプリカがいくらか聞いたら100万円でも売らなかったそうです。暫くすると日本人団体が来ました。金持ちなじーちゃん、ばーちゃんですね。はい、昼食です。バイキングですが、シシカバブーを出してくれました。思えば僕がこの「シシカバブー」と出合ったのはキン肉マン6巻ですね。はい、小話終わり。昼食が終わってからヒエラポリスの遺跡へ。特にコレというものは無いのですが、ここにはロシア美人がいました。モデルばりの綺麗なお尻です。年齢不詳のお姉さんが、ロシア尻を気に入ったようで、ズームで写真を撮るように依頼されました。任務遂行。。。またまた移動時間です。今日はトルコ語講座がありませんでした。ちなみに昨日は「テシュキュレデリム=Thank you、サーオル=Thanks」「インディレム=Discount」です。おまけで「ルトゥフェン=Please」と「ス=Water」も聞きました。バスはパムッカレに到着です。ここは「綿の城」という意味をもつ石灰棚です。温泉がわいており昔は泳ぐことができたのですが、今は歩くだけです。温かくて気持ちいいです。歩いているときりが無いので途中で戻りました。バスはホテルへ。本日も5つ星のホテルのようです。コロッセアホテルといいます。ここには温泉プールがあるのです。気の強い姉さんが先に入っておりました。ドアのぶが壊れて「Help help」と叫んでる人がいたので、受付に教えてあげるとサンダル履いていくなと注意される。せっかく教えたのにさ。プールには運転手が既に入っておりました。運転手さんはサリーさんと言います。トルコ語で良いという意味で、苗字は「黒」「鉄」という意味だそうで、黒鉄良男ってところですね。しばらく泳いでいるとガイドさんも入ってきました。ジャグジーもあり温泉気持ちいいです。ここで裏トルコ語講座をしてもらうのでした。「I love you 」を習ったのですが忘れました。女性人はマッサージをするそうです。真っ裸になってマッサージしたそーです。夕飯は例によってバイキングです。メンバーは基本的にお酒を飲めない人ばかりなのですが、年齢不詳のお姉さんは気分を味わいたいのか「ラク」というトルコのお酒を注文してました。ほとんど飲んでないのでほとんどもらいました(笑)。いい感じによったところで、一気飲み「指スマ」大会開始〜。って盛り上がっているの俺だけじゃん。みんな本当に飲めないみたいでした。食事が終わってからバーのようなところへ行き、ベリーダンス鑑賞です。嫌な予感はしていたのですが、アジアンフェイスな私はさらし者になるのでした。一緒に踊らされただけならいいのですが、ダンサーのおばさんにいきなり服を脱がされるのでした。ジャケットだけかと思いきやシャツまでも。あー、もうなるようにしかならないってことでノリノリで踊ることにするのでした。さんざん踊らされてチップとられたそんな熱い夜でした。

2003年4月30日(水):晴れ
 今日は移動日なので5時半に起床です。さすがに時間が早いので早朝バイキングにはだれもいません。一人でもくもく食べてると点々とメンバーが集まってまいりました。食事を終えて外に出るとウガンダみたいな写真売りのおっちゃんが声を掛けてきました。貼られた写真を見てみると、僕がプールでくつろいでいるところや、ベリーダンサーと戯れている写真です。お酒が入って顔が赤いです。うわー、証拠陰滅しなくては。と思ったのですが1枚500円も取るので全て買うのは挫折です。どうせゴミになるんだから交渉すれば安くなったんだろうけど、朝から気力もなく、値引きしそうもない感じだったのでベストショット1枚買って終了です。さて出発です。最初はパムッカレの白い山をバックに写真撮影です。そして長いバス移動へ。途中トイレ休憩ではちみつ入りヨーグルトを食べました。甘くて美味しいです。バスはコンヤという町に着きました。コンヤはイスラム教が重視されている街です。ちなみにトルコは99%がイスラム教徒ですが、国教はありません。学校などで宗教色を出す行為は禁止されています。でも、コンヤは宗教色が強い街です。さっそくお食事です。ここはピザが有名な街ってことでバイキング+ピザでした。たしかに美味しかったです。食事が終わってからメブラーナ博物館へ行きました。イスラム原理主義のメブラーナ教の博物館です。踊ることがこの教団の特徴です。特にこれといったものは無いのですが、久々に博物館へ来たので観光したなーって感じでした。バスは再び永遠揺られます。今日のトルコ語口座は「アンネ=Mother、ババ=Father」と「タマム=OK」です。しばらく揺られてトイレ休憩です。ここはスイワスのギョク神学校があるところです。ここで気の強いお姉さんが男子トイレに入っててびっくりです。僕が用をたしてるところで、後ろから登場です。イヤーンマイッチング。ま、そんなことはどーでもいいのですが、とにかく移動日ということで長い長い。あまりに暇なのでガイドさんに小話をしてもらいまいました。トルコの一休さんです。「ホッジャ」と言います。「ホッジャが隣人に鍋を借りました、そしてホッジャは鍋を返したのですが、鍋の中には小さな鍋が入っていました。隣人がホッジャに聞くと、鍋は妊娠をして子供を生んだとのことでした。隣人は喜びました。再びホッジャは鍋を隣人に借りました。隣人は喜んで鍋を貸しました。しかし、いつまでたっても鍋を返しに来ません。隣人がホッジャに確認するとホッジャはいいました。鍋は死にました。」。いやー、どこで笑えばいいんですかね。これ以外にもホッジャと息子がロバを担いで帰る話などたくさんしてくれましたが、なかなか笑えないであります。結論は「ホッジャって嫌な奴じゃん」でした。それから試験がありました。(1)ここから見える山まで何kmでしょうか?(2)パッムカレとはどういう意味でしょうか?(3)トロイ遺跡は何層になっているでしょうか?(4)運転手の名前はなんというでしょうか?(5)おはようございますはトルコ語でなんでしょうか?(6)トルコ語でお母さん、お父さんは何でしょうか?(7)トルコの義務教育は何年でしょうか?(8)トルコの兵役は何歳から何ヶ月でしょうか?(9)トルコの人口は何人でしょうか?(10)トルコの国教は何でしょうか?という10問です。僕の点数は60点。はい、赤点です。ツアーメンバーで最下位です。どうでもいいです。(1)など知るか。。。てなわけでバスは目的地カッパドギアに着きました。3人の娘というきのこ岩で記念撮影。ガイドさんに集合写真を撮ってもらいました。ガイドさんの影が丁度きのこみたいになっており4つのきのこが写って面白い写真ができました。ホテルは5つ星のホテルです。ピンクのカーテンとハート型のソファーが、あれ系のホテルかと思わせますが5つ星です。枕元にゴムはありませんでした(笑)。ここのエレベーターの扉は手動式で面白いです。夕飯は例によってバイキングですが、ピアノの演奏をしてる人がいます。僕らに気づいたサービスなのか「サクラ」と「スキヤキソング」を演奏してくれました。ここで年齢不詳の姉さんはまたまたお酒を注文しました。カッパドギア名産のワインです。またまたホトンド僕が飲むのでした。さすがにワインはまずいかなーと思ったけど飲みまくっちゃいました。5日も顔をあわせれば、そろそろぶっちゃけ話もできるようになるってもんですわ。ぶっちゃけ話に身を咲かせ最後の晩餐のごとく話ましたとさ。

2003年5月1日(木):晴れ
 今日はもう5月ですね。ツアーも華僑です。いつものように6時に起きて朝食バイキングです。バスから外を見ると黒い気球が飛んでます。カッパドギアは気球ツアーも有名です。壮大な景色がベリーグッドだそうです。僕も気球に乗ってみたいであります。本日最初の観光はギョレメ野外博物館です。まだ開門の時間になっておらず時間潰しでまったり。今日も天気がいいです。岩の中にある教会を一通りまわります。ガイドさんは風邪引いて疲れてるみたいなので、僕がガイド代行「はい、じゃ足元気をつけてくださいねー」「ここはなんというー」てな感じでガイドさんのものまねで盛り上げました。一通り見終わり再び出ましたお土産買わせましょうツアー。最初はトルコ絨毯屋です。まゆげの太い店主が一生懸命説明します。一生懸命説明して絨毯広げまくって、床中絨毯だらけになるのですが、誰も買いませんでした。高いからねー。キリムのさわり心地は本当にいい感じだったのですが、さすがに20万円は出せません。店主の眉毛もへの字に下がってテンションダウンでした。そういえば知り合いの妹さんがトルコ絨毯教室やってるそうですんで、興味ある人はホームページを見てみて下さい。バスは移動して2こぶらくだの岩に到着しました。ここで、のりのりになってターバン購入しました。ターバンをつけたまま過ごすことに決定です。再びお土産ツアーのトルコ石屋へ。綺麗な店主がこれまた綺麗なトルコ石のネックレスをしています。40万円くらいするらしいです。僕は友達にトルコ石を買ってくる約束をしていたのですが、どれがよいやらさっぱりです。売り子のシェイダさんの薦めるがままに購入してしまいました。シェイダさんは美人というよりかわいいって感じです。保証書に「おすすめです」と日本語で書いてくれました。最初「おつつめです」って書いているから、何のことだろーとか思いましたが。年齢不詳のお姉さんも皮のコートに続いて高額トルコ石ペンダントを購入しておりました。さてさて、昼食のお時間です。カッパドギアで有名な洞窟レストランです。ターバンかぶったままお食事です。鮎の料理が出たのですが、とっても美味でした。ここでカッパドギアワインを購入しました。今回お世話になったマネージャのために買うのでした。食事が終わってからウチヒサールという眺めの良い場所へ。そこのお土産屋で黒いらくだのぬいぐるみを購入しました。こいつとはこの先、一緒に行動することになります。彼の名前は「らく」。お水を入れると白く濁るお酒と同名ですが、もちろん名前の由来は「らくだ」でございます。ツアーのメンバーがツアーバッジで肩に固定してくれたので一身同体少女隊(ふる)状態です。次に再びお土産ツアー。陶器のお店です。ここで陶芸の見学をして、いろいろ売り物見たものの誰も買わずで、かわいそうな店主でした。さてさて、そろそろターバンも恥ずかしくなってきたのでやめました。ただし、らくは肩に乗ったまま。次に行ったのはカイマクル地下都市です。今日のお土産ツアーは「買いまくる」してなかったね。ここは地底人というか地下に作られた都市があった場所です。人間って光合成しなくても活きていけるんかなー。地下4階まで行けるのですが、狭い狭い。閉所恐怖症の人には耐えられないでしょうね。僕ももしここが崩れたらなんて思ったら怖くなりました。本当は地下8階くらいあるらしいのですが、危ないので観光としては塞いでるそうです。次にちょっとバスで移動してアンカラ近くの塩湖という塩の湖で撮影です。死海とまではいきませんが塩で真っ白な浜辺です。その後、アジア側で最後のお食事です。辺ぴなレストランで鉄板焼きサイコロステーキを食べました。バイキング慣れしてしまっているので、ちょっと物足りなかった感じです。バスはアンカラ駅に着き、ここで運転手のサリーちゃんとお別れです。僕らは新アンカラ特急寝台列車でイスタンブールを目指すのです。電車が来るまで喫茶店で待ちました。寝台車というものを始めて経験します。部屋は個別で2段ベッドになっているのですが、ここに友人と2人だったと思うと息苦しいですね。一人でよかったかも。最後の夜ってわけでもないのですが、ガイドさんの部屋に全員集まって反省会(うそ)です。さすがに5人入ると狭苦しい。チャイをおごってもらい。ピスタチオを戴きました。たわいの無い話にもりあがり夜が更けていきましたとさ。その後、気の強い姉ちゃんと語ること1時間。お話も終わり部屋に戻っておやすみです。

2003年5月2日(金):晴れ
 何度も起きました。起きて寝るたびにやったら夢を見ました。寝台車って深い眠りにつけないんでしょうね。6時半にモーニングノックがありました。電話などないので車掌のノックで起きるのです。7時に電車の食堂で朝食をいただきます。ほんとに軽い朝食であります。電車はさらに揺られ8時20分に終点のイスタンブールに到着です。ここで別のバスが待っています。本日は終日フリーでディナーだけの日です。フリーといっても一人で何すんねんって感じなのでオプショナルツアーを申し込むことに決定です。どうせならってことで1万1千円払って1日フルコースで行きます。おじさんは申し込み無しでひとりイスタンブールを探索。気の強い姉ちゃんは半日ツアーで午前中は一緒になります。年齢不詳の姉ちゃんは同じくフルコースを申し込みました。まず始めに行ったところはエジプシャンバザールです。日本語が堪能な売り子が多いです。カラスミ、キャビアをいただきました。僕はまだ延泊の一日があるので、ここでお土産買うと重くなるので買わずに終了です。ここでおじさんとお別れ。僕らは港で売ってるサバサンドを買って食べました。その名の通り、鯖をパンにはさんでるのです。何気に美味いです。その後、ボスポラス海峡のクルージングツアーです。ボスポラス海峡はヨーロッパとアジアを分ける海峡です。ここをクルージングする爽快なツアーです。年齢不詳の姉ちゃんが「タイタニックをやりたい」というのですが、船の帆先など開放していません。そんで、窓から手を広げて身を乗り出すだけで満足していました。女心はよくわかりませんね(笑)。船はあっちゅーまに港に着き昼食です。ここでも鯖が出ましたが、これまた美味いです。ガイドさんのお父さんは魚が怖いそうです。内陸の人なので魚を食べると骨がささって死ぬと信じているそうです。そんなガイドさんも魚を食べ終わるごとにホッとするそうです。「神様ありがとう、今日も死なずに食べ終わることができました」。食事が終わり気の強い姉ちゃんとはここでお別れです。午後のオプショナルツアーはまずは「地下宮殿」です。ここは地下の貯水池に宮殿を造っているようなところですが、あまった遺跡の柱を利用しているので、柱の形がバラバラです。なかでも2体のメデューサの像は有名です。ちなみにこの宮殿の上は道路となっており、長年ここの存在は忘れられていたのですが、上の住民が家で「魚釣りができる」と言ったのがきっかけで見つかったそうです。ほんまかいな。次に行ったのは「軍事博物館」です。ここの名物は演奏です。学校の行事なのか、会場にはやったら学生が集まっておりました。最初はスクリーンでなにかを説明しているのですが、スクリーンのうしろの壁が開いて外から演奏隊が行進して入ってくるのはカッコいいです。そしてなにより「さくら」の演奏で日本人の心をぐっとつかみましたね。そんでもって一通りのツアー終了で、僕の泊まるペラパラスホテルへ。自由時間があるのですが、ひとり行動もなんなんで年齢不詳の姉ちゃんと2人で観光へ行きました。ペラパラスホテルはアガサクリスティーが著した「オリエント急行殺人事件」の舞台となるところです。アガサクリスティーの泊まった部屋や、初代大統領アタチュルクが泊まった部屋も博物館として公開しています。ベルボーイに「見たい」と言ったが、「あとで」と言われたので最初にホテルの周りを探索することにしました。まずは近くにあるという「ガラタ塔」へ。でも、どこにあるか良くわからず迷いまくる。靴磨きの子供に道を聞くがよく判らない。いろいろな人に道を聞いて、途中、誤報もあり、ゴマパンで栄養補給して、なんとか到着しました。ガラタ塔から見た景色は確かに良いです。ここで暫くまったりしてました。塔を降りてTUNELという世界一短い地下鉄に乗ってガラタ橋へ。ここも景色がいいですね。途中、オレンジジュースを飲んで、再びエジプシャンバザールへ。しかし、エジプシャンバザールの門は閉じられておりました。ホテルに戻る途中、一番最初に道を訪ねた靴磨きの子供に再びあったので、御礼を言ってチップを渡しました。ここで問題発生。ホテルに着くまでついてきてたんですが、姉ちゃんが体触られまくってたそうです。ませガキですね。最後にほっぺにキスとかされてたけど国の習慣だねーとか思って僕は全く気づかなかった。すみません。その後、先ほどのペラパラス博物館を見学しました。そしてガイドさんが迎えに来て、最後の晩餐です。たらのフライを食べながらベリーダンスショー。パムッカレのおばさんダンサーと違って綺麗です。メインの一番うまい人を見ると時間オーバーになるってことで、途中で引き上げてお別れです。僕はペラパラスホテルで下ろされてみなさんとお別れ。

2003年5月3日(土):晴れ
 ついに来てしまいました1人の延泊日です。とりあえず朝食を戴くことにしました。イマイチぱっとしません。こうなったらテンションをあげるしかない。そう思った僕がまずしたことは床屋へ行くことです。ちなみにイスタンブールに着てからあごひげを剃ってません。伸びきってます。床屋へ行くと若い少年と子供がいました。少年が切るらしいです。"Do you know Ilhan Mansz? I want to be like mansuz."これが最初の言葉です。イルハン・マンスズとはトルコでも日本人女性にも有名なサッカー選手です。よゐこ風に言うと「マンスズにしてー」です。通じたらしくて"OK"とのこと。"Hear cut and Shanp please."で髭剃らないことをアピールしました。途中、チャイが出ます。途中、店主が帰ってきたようで、椅子にふんぞり返ってます。それで、できあがったのは「オールバックのおっさん」です。。。文句も言えないので写真を一緒に撮って終了です。カメラの映像を見せると店主もコンヤの出身だってもりあがりました。お会計は約500円です、こりゃ文句言えないわな。次に路面電車トラムに乗ってタクシム広場へ。待ち合わせをしてるみたいなお姉さんに写真を撮ってもらいました。小腹が空いたのでケバブとフレッシュジュースを戴きました。なかなか美味いです。次に日本大使館へ行ってみようと思い、歩くことにしました。場所がよく判らず工科大学を過ぎたあたりで道を間違えてることに気づきました。しばらく歩くとマンスズのサッカー場が見えてきました。記念写真を撮ってる2人のトルコ人がいたので、写真を撮ってあげました。お礼に僕も撮ってもらうのでした。こういう触れ合いっていいですね。その後、海のほとりを歩いていると、ユニフォームの露店を発見しました。当然"Do you have Mansuz?"です。ありました。その場で着替えて写真撮ってもらいました。もう、フルテンションですね。そしてホテルまで歩いて帰ることにしました。途中、CDショップに寄ってトルコで有名なCDを購入し、ドンドルマを再び食べました。店主がユニフォームに気づいて握手をしてきました。また、ドルックバザールに立ち寄り、ムール貝の串揚げを食べました。ヨーグルトソースが美味いです。一度、ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、お土産を買いに再びエジプシャンバザールへ行くことにしました。トネルに乗ってガラタ橋を過ぎてバザールへ。土曜日ということもありすごい混んでます。昨日、行ったカラスミを食べさせてくれた「えどまっちゃん」の店へ。えどまっちゃんは他の日本人相手で急がしいようで、違う人が担当になりました。流暢ではないですが、日本語が話せます。二階の陶芸品を見せてもらい、タイルを1枚購入しました。その後、りんご茶を20箱、お菓子の詰め合わせ3箱など大量購入して帰るのでした。途中、焼栗を売っていたので購入しました。近くの偽ブランド屋がしつこく売りつけてくるのがうざかったです。お土産が大量になったので、ついでに露店でカバンも買うことにしました。なんかいい加減な作りのものばっかでしたが、6$で購入しました。ガラタ橋で靴磨きの少年にユニフォームについて話かけられました。昨日のこともありましたが、僕に触ることもないでしょう。日本のコインが欲しいというので、10円、5円、1円をあげる。お礼に写真を撮ってもらいました。一度、ホテルに戻って、またシャワーを浴びて時間もあったので、再び近所のドルックバザールへ。道の途中で再びユニフォームについてトルコ人に話しかけられました。日本語は全然通じないのですが、時間もあったしこのおっちゃんと話し込むことにしました。喫茶店でビールを飲んでいろいろ話しました。彼の名前はネイジョーです。写メールで撮影もしたし、喫茶店でおごってくれるし、完全に信用してました。悪人が写真撮らせないでしょー。この後、彼は「彼女のいる店へ一緒に行こう」と言うのでついていきました。暗めのバーで少し飲みました。次に彼と一緒にガラタ塔の夜景を見に行きました。そこに日本人が2人いて「なんで、怪しい人についていくんだ!」と警告されました。心の狭い人だな、人を信用する心を忘れてるなー、なんて思っていましたが、今にしてみればこの日本人の意見がBINGOです。夜景を見終わった後にお土産を買ってもらい、僕がおごるからとホテルの近くのバーへ。ここで、僕は今までに無い恐怖体験(なぜかその時は、あまり怖くなかったけど、あとあと考えると怖い体験でした)をすることになるのでした。この辺の話はまだ解決していないので、後ほど解決したらエッセイに書きますので割愛いたします。とにかく恐怖体験をしたものの、コーヒーを一杯飲んで、怪我も無く無事にホテルに帰ることができました。目玉のブレスレットのおかげでしょうか。。。

2003年5月4日(日):晴れ
 予定より早く目が覚めたもののきちんと眠れた自分をちょっと褒めてみました。朝食を食べた後、出歩きたくなかったのでTVを観て過ごしました。僕の好きな「Full House」がトルコ語吹き替えでやってます。ジェシーが「メルハバ」とか言ってますわ。そうそう、本日は一人で帰らなくてはいけない予定でしたが、ガイドさんに聞いたら30$でお見送りしてくれるとのことでした。タクシー代20$くらいかかることを考えると、空港手続きもしてくれるのですから安いものです。一番不安に思っていたことは解消されました。10時半にチェックアウトです。ホテルの冷蔵庫の飲み物が暴利に高いです。昨日は入れ替え作戦(飲んだものを安く買って戻す)を考えたのですが、ごたごたがあったのでそれどころじゃなかったです。10時45分にガイドさんが迎えに来ました。バスに乗って他の3人の話などしました。昨日のごたごたについては恥ずかしい話だし言い出せませんでした。「アホな日本人客だ」って思われるのが落ちかなと思いまして。空港に着くとシンガポールのシステムがダウンしたとかで、嫌な予感がしました。後から聞いた話ですが、他の3人のシンガポール-東京便は無くなって一波乱あったそうです。幸い僕の方は喫茶店でピーチティーを飲んでいるうちに復旧しました。ただし、シンガポール-東京便のチェックイン手続きはイスタンブールでできないとのこと。ガイドさんにお金を使い切るように言われました。インフレなので、次に来るときにはその価値がなくなるからだそうです。お土産とチョコレートを買って搭乗ゲートへ。行きの飛行機で見かけたバックパッカーの夫婦も一緒の便でしたが、バックが大きすぎると文句を言われてました。行きと帰りじゃバックの中身変わってるだろーからね。飛行機に乗って嬉しかったことは「5月になっている」ということです。つまり、映画が新しくなっているのです。シカゴも日本語吹き替えがありますよ。でも、友達と見に行く約束をしていたのでこちらは見てません。嬉しいのは「黄泉かえり」がやっていること。前から見たかったんですよ。この他「Dare Devil」「Just Maried」を観ました。一番燃えたのは「Dr.MARIO」ですね。二個づつ落としてダブル消し、失敗しちゃったエンヤトットエンヤトット(バックミュージック)。そんなわけで飛行機はあっというまにシンガポールに着きました。はい、マスクを用意と。

2003年5月5日(月):晴れ
 シンガポールに着いてまずやることはチェックインです。危うく入国手続きをしてしまうところでしたが、チェックインカウンターを見つけました。例のANAのマイレージ登録をしてくれたおっちゃんのところです。「ここで搭乗手続きできるか?」と確認するとYES。手続きできました。ここでSARSについて3つの質問事項を聞かれました。しまった、英語わからないことがばれる。うーん、こういう時はNOだな。てなわけで、受付のお姉ちゃんが言ってる言葉もわからず、NO、NO、NO。はいOK。ま、SARSチェックなんてこんなもんでしょ。ちょっと時間があったので、またまたインターネット。ホント、あちゅーまに時間が過ぎますね。シンガポール-東京便では睡眠に徹することにしました。マスクをしたまま睡眠。席はガラガラです。3つある席を独占できるのですが、疲れていたので、横寝りしないで睡眠しました。目が覚めると、なななななんと、隣の2席で東南アジア系の人が横寝りしています。これ、まじびびりました。何でこんなに席が空いてるのに、わざわざ僕の隣なのって。。。もしかして、イスタンブールの最後の夜におきたゴタゴタの仲間が僕を追いかけて来て。。。イヤー。はい、ただのインド人でした。よく周りを見ると、みんなが横寝りをしているのでガラガラなのにガラガラじゃなく、ここに2席空いていたってだけのようです。再び寝について、飛行機は無事東京へ。途中、「富士山が綺麗です」なんてデマ放送が流れましたが、ぜんぜん見えません。成田はSARSの検査が厳しいのかと思いきや、なーんも検査無しで、すすすーと通りました。荷物を探しているところで友達から電話がありました。「あー、無事だったんだ」っておい!君のせいでいろいろ苦労したんだっちゅーの。そんなわけで何事も無く無事に税関も突破しました。珍しくリムジンバスの時間もピッたしで、渋滞も無くスムーズに帰れました。横浜に着いてもマスクをしていたので、かなりういてました。家についてドアの鍵が開いていてびっくり。11日間、開けっ放しだったようです。無用心でございました。お土産を整理して、電子メールを整理しました。ANAのページをチェックすると、シンガポール-イスタンブール便のみ貯まってた。他も手続きしてよ、おっちゃん。。。そんなわけで長い旅が終わるのでした。

2003年5月6日(火):晴れ
 今日から10日間はSARSの疑いをかけられた被告人となります。そんな訳で、本日は医療休暇です。どうせSARSの検査なんてできないよと思いつつも会社からの命令じゃ仕方がないですね。近くの聖マリアンナ病院へ行きました。休み明けということもあり、やたら人がいます。病院って「診療してやってる」って考えてるんでしょうね。だいたい、新しい病気にかかったら初診になるので1500円かかるってシステムもどうかと思いますよ。永遠またされること1時間、ここはぐっと我慢で、2時間、そろそろ呼ばれるだろうと思い2時間半。ええかげんにせー!我慢の限界だ何様のつもりだ!例えば30分前に携帯で呼び出すとかシステム作れないのか。こんななーんも用意されてない待合椅子で待ってたら、それだけでストレス病になるわ。ひとりSARSがいたら、みんなSARSになるぞ。やっとこさ、呼ばれて、さらに中の椅子で待たされること20分。これでいいのか日本の医療。。。そして、診療時間3分です。「症状出たら来て下さいね。」以上。恐ろしく、無駄な時間でした。とりあえず、疲れからか胃が荒れて、喉がちょっと赤いってことなのでクスリをもらうのですが、このクスリのシステムもよくわからない。処方せん屋にもらいに行くのですが、どこの店に行けばいいのか指示が無い。ようは好きな店に行けばいいらしい。。。そんなわけで、健康バリバリで昼食は大戸屋、夕飯はめし屋丼とバイキングに慣れた胃が食事を求めます。太りましたな。。。そうそう、あごひげを伸ばしたままマスクして会社に行こうかなーなんて思ったけど、一度マスクして出社したら10日は着けなくてはいけないでしょうから、止めて剃りました。マンスズヘアーですが、頭を洗ったらただのぼっちゃん刈りでした。。。そんなわけで、翌日は普通に出社してリンゴティーを配るのでした。そして、みんなから言われたのが「地震大丈夫だった?」です。そーいや、地震があったみたいなことガイドさんが言ってたなレベルです。5月1日の早朝に東トルコで大地震があったそーなのですが、まったくもって揺れを感じませんでした。今回のツアーでもっとも東に位置するカッパドギアにいたので、少しは感じてもおかしくないのですが爆睡していたようです。ちなみに、旅行会社から実家に電話が入ったようです。「地震おきったすっけど、離れてるから大丈夫っすよ。」といった連絡だったそーです。そう、旅行会社は僕が地震より怖い目にあっていたなんて知る予知もないのでした。


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