母親の話

 今回は、ちょっと暗い話になるかも。僕には母親がいません。本当はいるんだけど、幼稚園のころから会っていません。ようするに離婚です。兄弟は3人います。離婚のときに兄弟はバラバラにしないということが条件だったそうです(えー話や)。つまり、母は3人の子供をおいてでていきました。僕はあまり頭がよくないから、母親がいなくなった時を憶えていません。いないのが、あたりまえで、母親の話をしないのがあたりまえのように育ってきました。そんな訳で、祖母、父、叔父にそだてられました。父はとてもいい人です。授業参観、父母会など必ず参加してくれました。周りが母親ばかりのなか、父はきてくれました。ぼくが父の立場だったらできるかどうか不安です。とにかく、父には感謝しています。来年は社会人1年生ですから、父になにかしようと思います。父親のはなしは、これくらいにして、本題に戻ります。20才になって、父に母親のことをたずねました。父の話では、母は杉並の高円寺で家庭をもっているようです。どうやら種違いの妹が2人いるらしいです。友人などには、お金持ちになってるかもしれないから、捜しにいくとか軽く言ったりしますが、家庭を壊すようなことができるわけないです(このへんが「一つ屋根の下」で涙腺が弱くなる原因なのかな)。最近、父が撮ったアルバムを見返しました。父は昔からカメラが趣味で、僕の幼い頃の写真がたくさんあります。その中で母親と一緒に写っている写真が何枚もありました。やっぱり「母さん」っていいのかなとか思ったりしました。そして突然、母親は写真から姿をけすのでした。人にはそれぞれの悩みがあり、僕の母さんも悩んだ結果の人生だと思います。今、後悔しているかもしれません。母さん、僕はそんなに気にしてません。人と違う人生が味わえたと思っています。片親の家庭はぐれたり、根暗になったりなんて話はドラマかマンガの話です。僕はむしろ人の気持ちが分かる人間になれたと思っています。ただ、僕が結婚して家庭をもったなら、必ず妻を愛し続けて、子供を愛し続けたいと思います。理想と現実は違うのかもしれませんが、やはり暖かい家庭を作りたいと思います。なーんて、ちょっと恥ずかしいことを書いてみました。あーそこの泣いてるあなたステキです。それから、母さん、もしこの文章を見てたら連絡下さい。種違いの妹も、一緒に昼ドラな関係になりましょう。んー落とさないといけないという習性をもってしまってるらしい。いかんいかん。('97/8/15)


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