哲学の話

 僕は小さい頃から「死ぬ」ということが怖かったと記憶しています。「日本昔話」を父親に読んでもらい、「死ぬ」という先のことをふと考えて怖くて泣いた覚えがあります。結局その時は、泣き疲れて寝ちゃって次の日は忘れてたようでしたが。また、僕は昔から「人間はどうやって生まれたのか?」「宇宙はどうしてできたのか?」なんてことを考えることが多かったです。はっきりいって、人間が考えても分かる次元の問題じゃないことを考えることがよくありました。今でも少し考えることがありますが、結局「神様」がでてきて、その神様を作ったのは誰だか分からないで結論がでてしまうのが現状です。しかしながら、こういったことは誰でも考えることなんじゃないでしょうか?「小さい頃からこういう考えをもってるなんて凄い。」ってことはないでしょう。で、「哲学」なんですけど、最近はTVでも「タモリの哲学大王!」がやってるから、ちょっと考えてる人も多いと思います。もっとも、最初は「親友」とか「愛」など哲学ぽかったが、最近はネタ不足なのか「ラーメン」とか、ちょっと、お笑いに走ってる感があるんですけど(毎週、みてるわけではないので強いことは言えませんが、TelePalによると「美食」「大人」「ラーメン」「羞恥心」「女子高生」「贅沢」「プライド」「カラオケ」「お笑い」「死」ときてるらしい、9/10放送の「死」は必見な感じ)。残念ながら、大学では「哲学」を受講しませんでした。ソクラテスの話とかやるより、政治学でもやったほうがためになるかなーって思ったものの、ケインツ、モンテーニュとかの話でがっかりした覚えがあります。ま、そんなことはどうでもいいけど。とりあえず、「人間」について考えましょう。「人間」は結局ひとりでは生きていけません。しかし、人間はひとりぼっちです。自分という中から抜けることはできません。昔のドラマに「人間には3つの顔がある」といっているシーンがありました。それは、「自分の知っている自分」「他人の知っている自分」「本当の自分」です。この中で、本当に分かるのは「自分の知ってる自分」だけです。「他人の知っている自分」を知れたらどんなにいいだろうと思ったことのある人は少なくはないでしょう。そういった考えが「愛」「恋」「友情」などの形のないものを生みます。また、「本当の自分」を知ることも一生ないでしょう。あるいは「死」の瞬間に知ることができるのかもしれません。「他人の死」を経験して涙をした人は何人もいると思いますが、その涙は誰の為の涙か考えたことがありますか?おそらく、その涙は自分のために流しているのでしょう。その人がいなくなって悲しい自分がいるから涙がでるのでしょう。その時どんなに悲しくても、時間がたつと忘れてしまい、ときには笑顔が生まれるでしょう。結局、世の中は自分がいて自分を中心に動いていると考えるのが普通なのかもしれません。それは、自分勝手になれと言ってるのではありません。自分の中の他人を育てていくということです。ま、こっぱずかしくなってきたので、今日のところはこのへんにします。ボキャブラリーが少ないのがばれるから、ボキャ天見て寝よー。('97/9/1)


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