大惨事の話

 その日、僕はカナダの地を跡にして成田へ向かった。成田の天候は非常に悪く台風がまさに通過をするところであった。成田への着陸許可がでなかったため、エアーカナダ航空AC001は関西空港への着陸をするに至った。これに対する乗客の不満は一気に募り、エアーカナダの社員を責める人は多数にわたった。中には「あんたんとこの機長が腰抜けだったから、こんなことになったんだろう。どこまで責任とるんだ!」といった意見もあがった。果たしてこの機長は腰抜けなのであろうか。結果論。全ては結果論なんだ。このまま成田に行っていたら無事着陸できていなかったかもしれない。泥棒を捕まえた警察は評価されるが、未然に防いだ警察は評価されない。これが世の中の常というやつであろうか。乗員の安全を第一に考えて関西空港への着陸を判断した機長に「腰抜け」などということを言ってはいけない。確かに僕も「あと、1時間飛んでれば台風は通過しただろう!」と結果論をぼやいた。人は自分の都合を優先に考えるわけだ。「羽田行きで帰らせろ!」「JRで帰らせろ!」たくさんの「自分の都合の声」がとんだ。結局、僕らはエアーカナダの用意してくれたホテルに泊まり、エアーカナダの用意した翌日の便で成田へ帰った。結果的に仕事に間に合わず有給を1日追加してしまい、仕事上迷惑をかけてしまった。1日多く休めて、ホテルのバイキングまで食べられてラッキーといえばラッキーなのだが。そのホテルで僕らは衝撃な映像を目の当たりにした。ニュースで台風情報を調べていた。どうやらかなり規模の大きな台風だったようだ。臨時ニュースが入った。「ニューヨークのワールドトレードセンターに小型機が追突しました。」「くりかえします、ニューヨークのワールドトレードセンターに小型機が追突しました。」。はじめは、「へー、そんなこともあるんだなぁ。」と普通のニュースと思い見流していた。しかし、そのニュースは台風情報を消し、全チャンネルが取り上げ、臨時特番を開くような大きなニュースへと展開した。犠牲者は数千人規模の史上最悪のテロ。アメリカの繁栄と力の象徴を狙った乗っ取り旅客機による体当たり攻撃。「悪夢の9月11日」となったわけだ。次々に入る衝撃的なライブ中継映像。小型機は旅客機であることがわかり、2機目の旅客機の追突。続いてペンタゴンへの旅客機追突。そして、トレードセンター1棟の崩壊。続いてもう1棟の崩壊。その信じられない映像に目を疑った。「事実は小説より奇なり」というより、映画の1シーンを越える迫力は、まさに現実世界だとは思えない映像であった。翌日のホテル出発は5時と非常に早い時間であったが、TVに釘付けにされ眠れない夜が過ぎた。翌日まで平和なカナダの生活を過ごしていたので、その隣で起きた衝撃なニュースが気になっていた。デンバーに留学してる後輩に携帯でメールを打った。たまたま国内旅行をしていたなんてことのないことを祈った。旅行でお世話になったカナダの友達にもメールをした。「戦争」という言葉が頭をよぎった。アメリカの報道ではしきりに「パールハーバー」「カミカゼ」という言葉がでていたようだ。「真珠湾攻撃以来の惨事」という報道。ご存知のようにこれは日本人の仕掛けた攻撃。別に日本人をかばいたいというわけではないが、「真珠湾攻撃」と「市民へのテロ」を一緒にしないで欲しい。真珠湾攻撃はあくまでも「やらなければやられる」という思想の基に行われた軍への攻撃である。一般市民を狙った攻撃では無い。確かに「武力で解決する」という姿勢は賛成できるものではないが、あの時代の背景から見て「アジア軍でも米軍の言いなりになることはない」と立ち上がったものだと思う。あくまでも私見であり、その時代の人間ではないのでなんとも言えないが・・・。それでは、米軍の「報復」は正しいのであろうか。「報復」は言葉こそ格好いいが、いわゆる「仕返し」だ。米市民の80%強は「報復」に賛成しているらしい。また政府にいたっては反対は若干1名である。その1名は誰なのだろうか?非常に興味深い。こういった惨事が起きると人は国民性を発揮する。普段アメリカ人であるという誇りはそれほど無くても、こういったことがあると国民が一致団結する。良い意味でも悪い意味でも。日本人においてはそれはもっと著しい。普段日の丸反対などといってもオリンピックで高々と上げられる国旗には賛成する。国と国との競技には国民性を発揮するのだ。では、今回のテロは国と国との争いだろうか。宗教の争いなのだろうか。テロ側の言い分は「聖地メッカをアメリカ人が犯した」というものだ。ここで僕が疑問に思うのが「だから、アメリカ人を殺せ!」に繋がる思想である。電車の中で隣の人が話していた言葉が耳に入った。『私のバイト先の人に中国人がいるんだけど、その人が言ってたんだ。「ビン・ラディンよくやった、アメリカ人大嫌い。」って。』という会話。恐ろしい思想だ。アメリカ人が嫌い?君がアメリカ人に何をされたの?例えされたとしても、その人はアメリカ人だからやったの?日本人だって悪い人もいれば良い人もいる。「麻原彰晃はサリンをまいた。」「宮崎努は幼女を殺人した。」この危険思想をもった人たちが日本人の代表とされたら、僕らは悪魔の人種だ。日本人が悪いのではなく罪を犯した個人が悪いわけだ。もちろん、アメリカ人にもいい人もいれば悪い人もいる。それをひとくくりのアメリカ人として、アメリカ人は悪いという思想は危険だ。また、多くの人が勘違いしているようだが、決してイスラム教が悪いのではない。イスラム教は自殺を認めない宗教。今回の事件をイスラム教の宗教犯罪としたらそれは大きな間違え。ビン・ラディン氏はまだ容疑者に過ぎないので、この人が悪いとはいえないが、イスラム教が悪いのではなく、テロを起こしたものが悪いのである。イスラム教の人たちはもちろん、今回の事件をやってはいけないことと思っているはずだ。僕が思うに今回のテロのそもそもの原因は「教育」にあると思う。子供の頃から「アメリカ人は悪者」と教えられて生きてきたら、アメリカ人を同じ人種とは思わないであろう。そして「聖地を守るためなら死ぬことをおそれるな」「アメリカ人を殺せ」と教育されてきたら、例えアメリカ人に悪いことをされなくてもアメリカ人に敵対意識をもち、その憎悪は歳を取るごとに大きくなっていくのであろう。同じように戦前、日本人を人種の違う「猿」として教育されたアメリカ人は日本人を見下していた。そんな時代があったらしい。日本でもよくとりあげられる、いわゆる「教科書問題」。「教科書=真実」という思想を埋めつけられた子供たちは教科書を疑わない。教科書に嘘を並べてもそれを信じて教育されて育っていく。中国でも日本人を悪者として嘘の写真や記述を教科書に載せて国民性を募る教育をしているらしい。これらの情報はあくまでも僕の読んだ本、記述からのものであり、僕自身がそう洗脳されているのかもしれない。最近のニュースを見て疑問に思ったことがある。それはメディアの「映像」だ。アメリカのテロのニュースでワールドトレードセンターが崩壊した次のシーンにアラブ系の子供たちが笑顔で拍手しているシーンが流れた。これをはじめて見た時、悪寒がはしる思いだった。その映像だけ見た僕は「テロの成功に拍手をしている子供たち」ととらえたからだ。しかし、良く考えて1シーンだけ見れば、軍隊への憧れに拍手している純真な子供たちなわけだ。ここで僕が言いたいのは「編集」という恐ろしさである。「実像」と「実像」から「編集」で「虚像」を作り洗脳してしまうという恐ろしさだ。最近のニュースでも米軍の発言がある度に、次の映像はタリバン人員がアメリカの国旗や人形を燃やすシーン。同じ映像が何回も使われているわけだが、見ている人によっては毎日こういった儀式をしているようにも見えてしまう。また、NHKのTV番組で子供にアフガニスタンの状況を判りやすく説明するコーナーがあった。地理的条件など判りやすく説明していて、大人が見ても面白かったが、果たしてあそこで説明していることは全て真実なのだろうか。説明はもちろんアメリカよりの考えであり、アメリカ=正義を植え付けている。アメリカの批は全く無いのだろうか疑問にも思う。嘘と本当を見極めるのは自分自身であり、判断をする能力を持たなくてはいけない。とはいうものの子供の頃から疑うことを学ばず信じぬき、洗脳されきた人たちを、その洗脳から解くのは難しい。というより、洗脳されたその人じたいが個となってしまっているのだ。無宗教で育ってきた僕が正しいと言っているわけではないが、こんなことが言えるのは無宗教の許される日本ならではかもしれない。僕だってアフガニスタンに生まれタリバンの教育を受けたら、こんな文章は書けないだろう。こんな文書を書く日本人に殺意を覚えるのかもしれない。話は変わるがアメリカ人でも嘘に惑わされているらしい。ノストラダムスの予言に今回の事件が記されているという噂が噂をよび、ノストラダムスの本がバカ売れしており、ホームページの検索キーワードでもセックスを越えて一位に浮上しているらしい。しかし、この話はカナダの学生がノストラダムスのような抽象的な文章は誰でも書けるという例を示すために書いた文章らしい。このように危機的状況に陥ると何かにすがる気持ちが強くなり、嘘と本当が区別つかなくなるというのも事実ではないだろうか。話を戻して、それでは、アフガニスタンという国はどう思っているのだろうか。アフガニスタンの市民もパキスタンに逃げている。アフガニスタン市民が全員テロに賛成しているわけではないはずだ。例えば日本国内のある真理教が、米国にサリンを散布したとしよう。ここで悪いのは明らかにこの真理教なのだが、真理教がいるのは日本。米国が日本への報復を決定。そうなると日本人であるあなた方はどう思うだろうか。悪いのは真理教なのに国と国との戦争になってしまっている事実に感嘆するだろう。アフガニスタン市民もこんな気持ちなのではないだろうか。パキスタンでは大統領が米国への協力をすることについて必死に理解を求めていた。TVを見る限りでは市民がアメリカを嫌っているのは明らかであった。やっかいなのは、タリバン政権である。「ビンラーディンのような良いイスラム教徒を裏切ることはタリバンの滅亡につながる」とタリバン最高指導者オマル師は指摘している。アフガニスタンにはこのタリバン勢力が強く根付いている。私たち日本人や米人の考えでは「身の潔白を証明すべく場に出ろ!」ということになるが、「証拠が無いのに引き渡すことはできない」というのがタリバン側の考えで、引き渡しには多くの難しい条件を述べている。僕としては「証拠がない」と言ってる以上、早急に「証拠」をみつけて欲しいところであり、話し合いで解決をする方向で進めて欲しいが、米国は「報復」すなわち軍事勢力に力を入れてしまっているように見える。これから戦争が勃発するのかもしれない。「戦争」、嫌な響きである。第三次世界大戦となるのであろうか。そう、それは大惨事。あー、これが言いたかったのよん。長いシリアス文であった(笑)。平和が一番。みんな平和でいきましょう。人類みな兄弟。人の身分に上下はない。戦争反対。あー、早く平和に海外旅行行ける日々にしてくださいよぉ。といいつつ3日後にチュニジアに行くのでした。外務省のホームページを見たところ「危険度1」。注意勧告が出されている。イスラム教圏であり、今回のテロの容疑者にもチュニジア人はいたんだよねぇ。でもね、チュニジア人の一人がテロの容疑者だとしても、チュニジア人がテロをすると結びつけるのは間違え。という自分の信念を貫き、帰国しているチュニスの友達に会いに行ってきます。でも、電話で「観光案内できないかもしれない」って言われてるんだよなぁ。あー、マジ怖い。こんなに行くのが不安な海外旅行は初めてっすよ。ホテルも予約してないし。「なんとかなるさ」で行くのです。いや、人間悪い人ばかりじゃない!心をもって接すれば、たとえ言葉が通じなくても、ハートが通じるっちゅーものよ。と自分に言い聞かせるのでした。これが遺書にならないことを祈ります・・・('01/10/01)。


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