死という選択の話

 想像してください。この世の中に自分一人しかいない世界を。何からも刺激を与えられず、刺激を与えることもできない。そんな世界を。人は人が作ったものを使い、人が話したことに共感し、時には人に傷つけられる。人を思い、人に思われ、人から感動を与えられて生きている。今、自分の周りを見てみると、自分が作ったものはあるだろうか。携帯電話、パソコン、服、鉛筆、消しゴム、布団、家。全て他の人が造ったものを買っただけだろう。そんな世界から他の人を全て無くした時、自分は何をするだろうか。何かを作っても使うのは自分だけ、何かに感動しても誰にも伝えられない。そんな世界で何をするだろうか。おそらく何もしなくなるのではないだろうか。何もしたくないと思う結果、死という選択を選ぶ。死という選択は自分が追いつめられた時の逃げ道として用意されている。例えば倒産間際の社長がその選択をしたりする。これは全てを自分の責任と思い追い込まれた時に選択された結果。この先の生活を考えて考えて追い込まれて選んだものだろう。人は追い込まれたとき勝手に想像を膨らましてしまう。悪い方向、悪い方向へと。想像が膨らみ破裂したとき、そこには死がまっていたという人もいるのではないだろうか。しかし、この先というのは本当にその人の考えた通りになるのだろうか。本当はこの先に何が起きるのかは誰も判らない。人は「今」という経験している時間以外に存在しないのだから。追い込まれた社長も明日はお金が入り込んでいたかもしれない。もっとも追い込まれた人はこういった楽観的な考えかたができなくなるのはしかたがないことだが。「ありえない」と思うことが起こりえるからこの世の中は楽しい。未来は自分が想像する世界と違うものだ。想像した未来が「今」になった時、全く同じ世界になったという人はいないだろう。未来を確かめる意味でも死という選択に至らないで欲しい。また死というものを感じた時、自分の周りには人がいるということを再認識して欲しい。もし先ほど言った世界の結末を言い換えることができたら死という選択を選ばなくなるのかもしれない。「人がいるから生きる」と。自分が作ったものを人が使ってくれるから、何かの感動を人に伝えられるから、人が作ったものに感動できるから、死を選択しない。ホントに身近なことを考えて欲しい、もし死んでしまったら映画の続きは観られない。もし死んでしまったらマンガの続きは読めない。人は人の想像したもの、創造したものに感銘を受ける。自分は他人の考えている世界を創ることはできない。しかし、人がその世界を公開したとき、人が創った世界を覗くことができる。そこに自分が生きる目標があるのではないだろうか。例えば、ハリーポッターにしてもスターウォーズにしても、自分でその先を想像することはできるが、その想像は実際にできあがったものとは違う。違うからこそ感銘を受けることができる。人の創造を感じる喜びを噛みしめて欲しい。死の先に何があるのかは判らない。死の先は自分一人の世界なのかもしれない。自分一人になったら死を選ぶ。死んだ者は死を選べない。その世界は非常に恐ろしく永遠に続く。これはあくまでも創造でしかないが、死を選ぶ前に自分のいる世界で人を感じて、生きる道を選んで欲しい。自分の知らない、他の人の世界が日々広がっている。もちろん生きていけば自分の世界も日々広がっていく。自分の世界を他の人に伝えることもできる。自分が感じたこと、自分が感銘をうけたことを周りの人に伝えることができる。インターネット全盛のこの世界では「周りの人=世界中の人」ということが言える。世界中の人に自分を感じてもらえる。世界中の人から感じることができる。こんな世界を捨てるなんてもったいない。いろんな人がいて、いろんな人の考えがあって、いろんな刺激を受けることができる。死を選択したその先に何があるかは判らないが、逃げ道として死を選ぶのならば、それは正しい選択ではない。人から与えられた命は、天命に従う生き方こそが正しい。自分の意志で死を選ぶのは悲しいことだ。死の理想は「一点の迷いもない老衰」だと思う。いつかあなたも死という選択に追い込まれることがあるかもしれない。その時は自分が人から生まれとということを思い出して欲しい。人から生まれて、人に出会い、人に影響を受けてきたことを。そんな世界で自分がやり残したことはないか。どんなささいなことでもよい。人に影響を与えること、与えられること。例えば「ドラクエ8をやらずに死ぬのはもったいないな。」とか「MATRIX2はどうなるんだろう。」とか、そんな小さなことでいい。それが生きる目標をよんでくれるかもしれないのだから。それらは自分では創ることのできない世界。他人が作り出す世界だ。その世界を覗くことができる日まで死ぬのはもったいない。そう思って生きる道を選んで欲しい。もちろん、自分は世界を作りだす側の人間でもある。何かを作り出し、誰かに感動を与えるまでは死なない。そう思えば死の選択はしないだろう。選択肢の中に「死」が含まれた「今」を経験した時、その「今」には「死」以外にも無数の選択肢があるはずだ。「はい」「いいえ」の世界ではない。「未来」に結ぶ選択が沢山あるはずだ。「今」が幸せなら過去に選択した全てのことは正しかったことになる。ただし、「未来」を結べない選択をした時は、その時点で終わりだ。「未来」を幸せな「今」にするために、死という選択だけはしないで欲しいと切に願う('02/1/15)。


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