人穴の話

 人穴は、富士講の開祖長谷川角行が十六世紀の末に修行を重ね、富士講を始めた場所であると伝えられる。富士講の信者達にとっては、富士参拝の前後に訪れる巡礼の聖地であった。こうした歴史的背景のもと、洞内洞前並びにその周辺は聖地巡礼を記念した二三三基の碑塔が建立されている(富士宮市 歩く博物館より抜粋)。僕らが「人穴」に向かったのはほんの軽い気持ちからだった。その日は3連休の丁度真ん中であり、よく晴れた日曜日だった。その時の僕らに10月13日が『仏滅』であることなど知るよしもなかった。。。前日、デジタルカメラを購入した後輩が記録メディアを購入するとのこなので秋葉原へ付き合うことにした。二人とも翌日の予定がなかったので、「試写会へ行こう」ということになった。少し風邪気味だったが、その日は後輩の家に泊まることにした。突然のことで、どこへ行こうといった予定もたてていないのでインターネットで調べた。秋も始まってきており、僕らは紅葉を見て温泉に入るプランをたてた。早朝に出かけるつもりだったが、睡魔には勝てず正午過ぎにでかけることになった。順調に高速道路に乗り、目的地である沼津に向かった。その2つ前のインターである大井松田ICあたりから不思議な光景が続いた。路肩に車が長い列をなしており出口を完全に塞いでいた。この光景が御殿場IC、裾野ICと続き、ついには目的地である沼津ICにまで及んだ。後で調べたことだが御殿場ファミリーランド跡地にできたショッピングモールの列だったらしい。しかしながら、今に思えばこれは僕らを「人穴」に導く前兆だったのかもしれない。沼津ICで降りられなかった僕らは仕方なく目的地を変更した。もともと念をいれてスケジュール立てていたわけではないので、変更は容易だった。富士ICを降りて、富士山を見た。まだ雪をかぶっていな富士山は優雅とはかけはなれた感じで寂しく思った。もっていたガイドブックにとりあえず載っている「白糸の滝」を目指して車を進めた。白糸の滝の底にいる黄色い魚がやや不気味ではあったが、思っていたよりずっとよい風景だった。近くの「音止の滝」も迫力があった。後輩は動画デジカメを使って楽しんでいる様子だった。滝を見終えた僕らは蕎麦とブルーベリーのソフトクリームを食べながら階段を下りた。次に向かったのは狸湖だ。ここは富士山が湖に映り、逆さ富士が見えるというところらしいが、船が出ていて波うっていたためくっきりとは見えなかった。湖に移っていた富士は何か寂しいものを感じた。ガイドブックのネタも尽いたところで、後輩がカーナビを使い近くの観光名所を検索した。そして僕らは人知れず「人穴」へ導かれていくのだった。カーナビが導くままに、薄くらい細い道を通って行った。カーナビは目的地に着いていることを示していた。「鳥居」を過ぎて入り口を探すが判らない。「鳥居」が入り口であることに気づいた。そのときの僕らに、この「鳥居」の意味することなど知る余地もなかった。鳥居をくぐり、車を止めた。石段を登ると改築したての様な社が見えた。そのニスとも思われる臭いは鼻にツンときた。陽も陰り始めたその空間は独特なものを感じた。「人穴」はその社のすぐ近くにあった。出入り禁止の紙が貼ってあった為、覗きこんでみたが、それ以上先に進むことはできなかった。霊感とは無縁な僕だったが、そこの穴は何かを感じさせるものがあった。「魂の巣」とでも言うのだろうか、この穴から魂がいっきに出てくるそんな想像をしていた。社の奥に行くとそこにはボロボロになった墓石が無造作に並んでいた。墓石の脇に赤い色をした実があった。なぜか僕はその実にひかれた。今、思うとこの実が何かを物語っていたのかも知れない。そんな中、後輩は楽しそうにデジカメの動画撮影をしている。「ミステリースポット人穴です。」と言って、はしゃいでいる様子だ。その楽しそうな後輩の気分を壊してはいけないと思い、僕がその赤い実から感じた「なにか」を伝えることは無かった。後輩の動画撮影を再生してみるとそこには「ミステリースポット人穴で〜す…カラカラカラ…」という音が入っていた。他の動画にはその音は入っていなかった。無論、その周囲にこのような音は流れていなかった。僕はその音が気になっていたが、後輩はあまり気にしていないようにみえたので、あまり深い話はしなかった。その場を後にした僕らは、「鳥居」をくぐって帰路へ向かった。後日、後輩からカラカラという音は、AF(オートフォーカス)の動作音と言う事が判明したと聞いた。滝を撮った時などは遠い被写体だった為AFがあまり動作しないからカラカラ音は鳴らなかったとのこと。はたして本当にそうなのだろうか。人は現実という世界から離れることを嫌う生き物だ。この音にしても現実世界にあるものを録ったのだと思い込ましているに過ぎないのでは無いだろうか。実際、「人穴」に入った人が撮影した映像も光が浮遊している写真が撮れているが、蝋燭の炎が手ぶれで残像しただけと思い込んでいる。現実にありえないことを認めず、現実にありえることをすぐ認める。科学で証明したことだけが全てなのだろうか。ふと、疑問に思った。そして、今もあの「人穴」と「赤い実」から感じ取った感覚は時々現れている。あとから知ったことだが「人穴」はいわゆる心霊スポットと呼ばれる場所で、鳥居を車でくぐると、その車は事故に遭うという謂われがあると言うらしい。僕らの車は鳥居をくぐった。帰り道は無事に帰ることができた。話によると行きは「鳥居」をくぐらずに通り、帰りは鳥居をくぐって帰るようにしなければならないらしい。僕らは鳥居を通ることで心霊を呼び起こしたが、鳥居を通ることで悪霊を取り払ったのかもしれない。しかしながら、風邪をひいた僕は気持ちも弱っていたのかもしれない。その気持ちの隙間に赤い実の霊が潜んできているそんなことを感じる瞬間がある。それは、左肩の肩こりと毎日のように起きる頭痛。原因不明の頭痛が今も続いている。。。もしかして、ぼくの左肩には赤い実の女性の霊が取り付いているのかもしれない。。。つづく('02/11/01)。


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