メール返信の話

 メール本文に「〜ですか?」「〜しました?」という文章が入っていたとき、あなたは無視することができますか?僕は無視することはできません。短くても必ずそれに対する返信はします。しかし、会社の2年目になる子は返信をしません。なぜ、返信をしないのか悩んでいます。面倒だから?返信する必要がない話だから?返信したくない相手だから?悩みます。そもそも、僕は「?」のついているメールをもらって、返信をしないと気持ち悪いって思っていますが、そんな感覚はもっていないのでしょうか?悩みます。強制的に返信させるのはパワハラかもしれませんが、無視するっていうのは、それなりの思いがあるからすることだと思います。やはり、返信したくない相手、返信したくない内容だという心の現われなのでしょうか。自分にとっても普通の内容の「?」だと思っているのですが、その人は何てとらえているのでしょうか。もう悩んでも悩んでも答えが出ません。最やはり、育ってきた環境や世代が違うと、感覚も違うのでしょうか。これがジェネレーションギャップなのでしょうか。こんな小さなことで悩んでも意味がないのでしょうか。その人が返事しないのは普通の感覚で、「?」のメールが来たところで、返信する必要性を感じないのでしょうか。一度、「メールには短くていいから返事しろ」と言った注意はしたのですが、全く通じてませんでした。その人にとっては、どうでもいい注意で、「?」に対する返信なんて、内容が自分にとってどうでもよければ、返信はしなくていいという考えがあって、それを貫くのでしょう。これがジェネレーションギャップですか。これが「良い」とかこれは「悪い」というのはその人の感覚であって、それを上司だからとか、先輩だからとかで、感覚を押し付けてはいけないと思います。先輩や上司は何を教えるべきなのでしょうか。悩みます。こんな『「?」の付いたメールに返信すること』なんて教えてる僕ってアホに見られているんですかね。それに逆らうことで、アホみたいなこと言うなって訴えているのか、それとも身に付いた感覚を直す気はサラサラ無いってことでしょうか。教えることは難しい。何か振り回されすぎなのでしょうか。最近、台湾の友人に買ってきてもらった「女王の教室」のDVDビデオを見ています。めちゃくちゃ酷い鬼教師の話ですが、「教える」ってことが何なのかを考えさせられるドラマではあります。阿久津真矢の言っていることも一理あるって思わされる台詞もあるんですよね。もっとも僕は教員ではないし、後輩に教える義務もない。後輩を育てる義務もない。昨年は新入社員のコーチに選ばれて1年間一生懸命になって、指導してきたけど、感謝されるわけでもなく、指導するのが当たり前だと思われているように感じる。育ってきた環境が違うと感謝するって気持ちを持たないんですかね。与えられるのが当たりまえだと思って、育ってきている人が多い会社だから仕方がないのかもしれないけど、「人の気持ちの分かる人」「人の嫌がることをしない人」「人へ素直に感謝できる人」になって欲しい。そういう人になれるようにコーチングをしていきたいって思っていたのですが、結果を出せないままコーチング期間が終わってしまいました。そして、新しい新入社員が入ってきました。今回はコーチングはしません。正直、リベンジしたかったのですが、コーチには選ばれませんでした。恐らく、所属していたグループが潰れなければ、再度コーチに選ばれていたとは思うのですが、異動となってしまったので、僕のコーチを頑張っていた姿なんて見ている人はいませんので、仕方のないことですが、ちょっと悔しい気持ちになりました。この1年はコーチとしての活動はありませんが、上司としての活動は残っています。部下には「?」のメールに返信できるような人になるよう育てたい。「?」のメールを無視したら、相手がどう思うかを感じられる人に育てたい。仕事の上司がそんなことを部下に望んではいけないんですかね。部下は仕事さえこなせればいいのかな。仕事の成果だけが出せればいいのかな。余計なお節介をやいている上司は望まれないのでしょうか。部下の気持ちを掴むのは難しい。この1年で何を教えられるか分からないけど、自分の出来る限りのことを教えていこうと思う。経過で嫌われても構わない。阿久津真矢のように嫌がられても構わない。最後に僕が上司で良かったと感じてくれたら幸せだと感じられると思う('06/6/11)。


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