我輩の話

 我輩はサラリーマンである。名前はさとる。生まれは世田谷明大前。3人兄弟の次男である。生まれて32年強、流されるままに流されて生きてきた気がする。自分の決断を使ったことが、ほとんど無い。公立小学校から公立中学校に進み、何も考えずに中学3年生を迎えた。中学3年生の時に初めて、自分の決断が求められた。今に思えばここが人生の分岐点といえる1つであった。公立の共学と私立の男子校の2つの高校に合格した。どちらも偏差値の低い学校ではあった。何を思ったのかこの頃は男子とつるんだ方が面白いと思い男子校を選んだ。ここで共学を選んでいたら人生は変わっていたかもしれない。高校に入ってからは流されるように勉強をした。初めて受けた中間試験がクラス1位になったのが原因だった。小学校、中学校の学生時代は、できる子とはほど遠い存在だった。「鶏頭となろうとも牛尾となる無かれ」という言葉がある。まさに鶏頭になったわけだ。鶏頭を維持するために勉強を続けた。しかし、それは知識を上げるものではなく、テストでよい点数を取るための学習方法。いわゆる一夜漬けだ。一夜漬けはその名の通り、一夜が終われば全てが終わる。試験が終わってしまえば、知識も消えていく。そんな勉強を繰り返した。そんな勉強方法は大学受験には通用しなかった。流れるままに国立大学を推薦で受けることになった。難しい、物理の試験を受け、その内容を数名の面接官の前で説明をする。初めての経験。思えばこの失敗がトラウマになっているのかもしれない。今でも人前での説明では酷い緊張に襲われる。結果は当然、不合格。ここで合格していたら、牛尾の生活がまっていたかもしれないので、それはそれで辛い思いをしたかもしれない。その後、普通の推薦、一般と大学を受けたが不合格。鶏頭の実力は知られていたわけで。専門学校を考えた。ここで専門学校を選んでいたら、自分の人生は大きく変わっていたと思う。予備校に通うのであれば専門学校を選んでいただろう。最後のチャレンジとして、自分で見つけた大学を受験した。いわゆる夜間大学だ。夜間は5年制の大学が多いなか、4年で卒業できて、学位が取れる。簡単な論文に簡単な面接。恐らく履歴書の鶏頭が評価され、受かったものだと思う。ここも人生の分岐点であろう。夜間大学という選択枝を見つけ、選んだこと。もし、夜間大学を選んでいなければ人生はどうなっていたのか。考えても答えはでない永遠の謎であるが、人生とはそういうものだ。夜間大学に入り、鶏頭は続いた。また、試験の度に一夜漬けを続けた。そして学科1位となり、優秀賞をもらい4年間の学費のほとんど全てを賄った。大学1年目の半年は普通のアルバイトをして過ごした。夏休みが終わる頃に卒業した高校から理科の実験助手をやらないかというオファーがあった。これも鶏頭が評価されての出来事だった。3年半を実験助手をして過ごした。思えばこれは幸運な出来事だった。空いてる時間を大学の宿題やレポートに費やせた。そして、鶏頭を維持して4年間の夜間大学生活を終えた。たまったお金で全日制の大学院へ進むことを選択した。もし、表彰されてなかったら大学院へ進む選択枝はなかったかもしれない。もし、理科の実験助手をしていなかったら大学院へ進む選択枝はなかったかもしれない。なんとも不思議な運命である。運命に流されて大学院へ進んだ。大学院では鶏頭を続けることはできなかった。1位になることはなかったが、大学院生活を楽しんだ。夜間大学とは全く違うキャンパスがそこにはあった。2年間という短い期間であったが、4年間の学生生活を取り戻すかのように楽しむことが出来た。恋もした。収入は大学のTAという仕事や試験監督の給与だけだったが、大学時代に溜めたお金を使って大学院生活を送った。そして、1年が経ち推薦の就職先を選んだ。いわゆる大企業。大学院の修士が集まって、各々が受けたい就職先を決める。幸い希望者が被ることなく推薦を受けた。一般でも就職試験を受けた。1次面接、2次面接、3次面接と受けて、3次の社長面接では社長自ら、「内示」をくれた。その後、推薦試験があった。礼儀をわきまえるべきと脳裏に浮かび、推薦試験を受ける前に内示を断った。もし、ここで推薦試験が受かっていなかったら、いったいどこにいたのだろうか。想像しても答えのでないなんとも不思議な気持ちになる。これもまた、人生の分岐点と言えるだろう。会社に入ってからは流れるままに生きてきた。大企業の中、鶏頭ではなく牛尾として生きている。牛尾から抜けるために努力だけで毎日をこなしている。異動があっても希望の異動ではなく、流れるままの異動だ。入社数日後、部署の希望を聞かれた。3つまで希望を書かされて、書いてない部署に配属された。それでも逆らうことなく、流れるままに生きてきた。入社してから人生の選択枝は未だに無い。32年強、生きてきて人生の選択を4つしかしていないわけだ。流れるままに生きた受身の人生。能動的に何かをしようと動かない。会社生活9年目。主任2年目。2007年が早くも半年終わった。自分がやらなければいけないこと。自分にしかできないこと。そろそろ能動的に動いて、人生の分岐点を作らなければいけないと思う。サラリーマン生活の中の分岐点。その分岐点を迎えた時、今の我輩に欠けている何かが埋められるのではないかと思う('06/7/1)。


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