明大前の話

 「突然のメイル、お許しください。明大前スマドレを懐かしく検索しましたら貴方の ESSEY「父親の話」に出会いました。今も葉書、栞などデザインしている私に、ずいぶん以前、この資料をお預けなさいました。たしか、かすれたコピーだったように記憶しています。当時、複写したものに細い筆で 加筆して復元したのがこれです。レトロでステキ、、でも、なんの意味や目的のためにそうしたのか全く思い出せません、、。きっと貴方にも懐かしく思っていただけると、画像を添付させていただきます。」とのメールを頂きました。昔はたまーにこういうメールを貰うことがありましたが、久しぶりに頂きました。とりあえず父に転送させて頂きました。私が明大前に住んでいたのは20年前です。気づけば明大前に住んでいた時間より、明大前に住んでいない時間の方が多くなりました。昨年の12月9日に父が働いている明大前での餅つき大会へ行きました。私が生まれ育ったのも明大前ですが、子供の頃から開催されていた餅つき大会です。商店街の息子としては、もちつき大会の度に、ついた餅を食べておりました。数年ぶりに来る明大前。岳くんと一緒に来るのは、もちろん初めてでした。さっそくピースメーカーで働く父と会って、餅2パックがタダになるというスタンプカードをもらいました。メガネ屋のおばさんと久しぶりに話します。「久しぶりにあったけど、面影あるねー。」と言われます。20歳まで住んでますから、そりゃあるでしょう。あんこときなこを注文しました。久しぶりにお餅を食べます。昔と同じ味でした。その後、定食屋のおじさんと久しぶりに話します。「面影ないなー、町であったら分からないな。」と言われます...。食後は、明大前をちい散歩します。すずらん通りはすっかり変わって、チェーン店ばっかりになっています。私の生まれた家の跡地もバーミアンが建って面影は無くなったのですが、ガストに変わっておりました。100坪はあったと思われる我が家は、面影ゼロです。昔はもっと距離があったように感じましたが、すっごく短い商店街です。松屋の近くに吉野家ができておりました。チェーン店の激戦区のようです。その後、不動産屋のおばさんと話て、蕎麦屋のおばさんにトン汁を貰います。商店街で育つのも良いものだなーと思います。岳くんは残念ながらサラリーマンの息子で、マンション育ち。ご近所の交流も少ないので、もっと交流を持たなければと感じる1日でした。最後に赤飯を買って帰りました。岳くんは餅つき中、ずっと寝てましたが、岳くんの父の生まれ故郷に行った記念すべき日となりました。今年の1月2日に実家に帰ったのですが、実家で御節を食べて、古いアルバムを見ました。私の赤ちゃんの頃の写真を見ます。岳に似てるところもあります。私の赤ちゃんの頃の写真は、私も見たことがなかったのですが、お食い初めをしていたり、ちょんと行事をやっているんだなーって感心しました。昔の写真には明大前の家が写っております。懐かしいです。明大前で生まれたので、昔は一生、明大前に住むものと思っておりました。当然のように明大に通うのだろうと思っておりましたが、偏差値という壁があることをその頃は知りませんでした。明大前は世田谷区です。世田谷区というとセレブな街のイメージですが、ほぼ杉並区であり、セレブな街ではないです。土地代はだんだんと高くなってきていますが、なんとなく垢抜けない街です。商店街生まれということもあり、どこか下町のような人情溢れる街です。父もこの街で生まれ育っております。松原小学校、梅丘中学校と父と2代で通っております。3代も行きたいところでしたが、川崎市にマンションを買ってしまいましたんで、実現はしないものと思われます。宝くじが当たって世田谷の一等地が買えたら、実現するかもしれませんが、可能性は少ないですね。兄も府中市で子供を育てており、弟も八王子市で子供を育てておりますので、松原小学校や梅丘中学校に通うことはないでしょう。残念なことですが。上述しておりますが、父は明大前ピースメーカーズとして現在、働いております。72歳という今でも職を持っているというのは凄いことです。ちなみに弟の娘は私の息子も辰年ですが、父も辰年なのです。2006年2月25日にアド街ック天国を見た方はご存知かもしれませんが、第二位の明大前ピースメーカーズの理事として勤めているのです。愛甲石田の自宅から明大前に毎日通っております。立派なものです。一人暮らしをしているので、孤独死のようなことがあるのではないかとちょっと心配しておりますが、職を持っている間は若干安心感はあります。明大前ピースメーカーズが何のこっちゃという方もいるかもしれませんが、犯罪件数は23区内でもトップクラスだった明大前で、「自分の街は自分で守る!」と商店街が立ち上がり、平成13年に全国初の民間交番を発足したのが明大前ピースメーカーズなのです。誇らしい仕事だと思います。そんなわけで、父にとっては明大前は切っても切り離せない場所なのです。私もそんな明大前を大切に思っているものの、愛甲石田、上大岡、武蔵小杉、蒲田、そして再び武蔵小杉と住んでいるうちに、明大前を忘れてかけてきております。武蔵小杉が自分の街という感じになってしまいました。ちなみに、アド街ック天国の第一は明治大学和泉キャンパスです。すずらん通りの息子としては、明大生の新歓コンパのゲロに悩まされること多数でした。第三位は日本学園&二階堂高校です。当時は男子校と女子高でしたが、今は共学になっているのですかね。私は井の頭線沿線の別の高校に通っていたので、縁もゆかりもないと思われますが、実は二階堂高校の付属幼稚園に通っておりました。みどり幼稚園です。3歳の学級がありましたが、私は4歳から通っており、当時3歳の学級はお金持ちが入るものと思っており、自分は貧乏な階級なのではないかという劣等感がありました。自分の家が貧乏かと言うと世田谷のセレブとは比べられませんが、何不自由なく暮らせておりました。第6位の学生街のランチで紹介されている「香港」は昭和40年創業の老舗とのことですが、この前、行った時には無くなっておりました。同級生が継いだと聞いておりましたが、今はどうしているのでしょうか。「おふくろ」は隣の家が経営しており、昔からいる人ではなく、引っ越してきた人という印象が残っているお隣さんです。第7位のハナムラ楽器店もすずらん通りで有名なお店でした。あまり行く機会はなかったですが、音楽関係の人たちには有名なお店です。ここの看板によく頭をぶつけて怪我をしておりました。第9位の宮古が明大生のゲロメーカーです。この前、行った時は店が広がっており、昔あった駄菓子&ゲーセン屋のスペースも宮古になっておりました。丁度12年前の2月のエッセイでアド街ック天国をネタにして、「甲州街道に続く商店街です。第三位「すずらん通り」。日大鶴ヶ丘の学生と明大生が行き来する商店街です。この通りに住んでいました。」「たたみピックあります。第二位「出村畳店」。私の友だちの実家です。中学時代はたむろしてました。今でも年末に鍋をします。」「風俗ではありません。第一位「スマドレ東京」。私の実家が経営していたエアートニック製造会社です。つまり僕は社長の息子。」「CM:『すずらんらんらん、明大前』」と書いております。すずらん通りは確かに、私の思い出の場所です。出村畳店も思い出の場所です。スマドレ東京ももちろん思い出の場所です。すずらん通りの商店街の息子としていろいろな経験をして育つことができました。商店街の夏のイベントもいろいろと思い出深いです。商店街の幼馴染と遊んだ日々も良い思い出です。広場があり、キックベースや高鬼、色鬼で遊んだ日々。喧嘩をした日々。そういう思い出が今の自分を作っているのだと思います。子供の頃の経験はとても大事です。隣の住人ともあまり交流の無いマンション生活を送っておりますが、息子のために本当に良いのか疑問に感じてしまいますね。出村畳店は所謂、悪友というやつでしょうか。小学校の頃はそれぼど仲良くなく、商店街のイベントにもあまり参加していなかった出村畳店の一人息子ですが、中学1年の時に同じクラスになって、一緒に学校に通うようになり、私が明大前から引っ越すまで良く遊びました。麻雀やTVゲームが主で、徹マンで泊り込んでました。明大前から引っ越してからは年末に会って鍋をするくらいの関係でしたが、就職してからは会うことも少なくなり、年賀状だけの関係となってしまっております。また、鍋をしたいものです。そして、スマドレ東京。不思議な名前です。エアートニックではなく、ヘアートニックですが、この工場とお店と広い家で育ち、この経験によって今の自分が作られているのだと思います。成人になる前のほぼ全ての時間を明大前で過ごしたわけですが、この場所で育つことができて良かったと思っております。ただし、このまま愛甲石田に引っ越さず、明大前にずっと住んでいたら、自分の成長はあまりなかったかもしれません。愛甲石田の田舎での暮らし、上大岡での集合寮での寮生活、武蔵小杉での独身寮(ワンルーム)での寮生活、蓮沼の賃貸マンションでの一人暮らし、武蔵小杉の賃貸マンションでの二人暮らし、武蔵小杉のマンションでの家族生活で、いろいろと経験を積むことができたと感じています。人生の半分が明大前生活でしたが、これから人生の3分の1、人生の4分の1と減ってきてしまいますが、幼少の頃を明大前で過ごせたことは、自分の誇りでもあります。そんな明大前の魅力ですが、やはり交通の便です。武蔵小杉もそういう意味では似ているところがあります。京王線のHUB駅となっており、新宿にも渋谷にもすぐに出られます。下北沢にも吉祥寺にも行けるし、高尾山にも行けます。そんな便利な明大前に徒歩3分の家に20年間過ごすと贅沢になってしまうのですが、今では徒歩15分のマンションに住んでいます。将来的には明大前に引っ越したいという野望もありますが、会社の関係もあり当分は武蔵小杉で過ごすと思います。横須賀線も出来て、来月には東横線が副都心線に直通します。横須賀線には成田エクスプレスなどの特急も止まります。残念ながらマリンエクスプレスは止まりませんが、先月、伊東へ行って来ました。そちらの伊東日記をお送りします。

 2013年1月19日(土) 伊東1日目
 岳くんと行く温泉シリーズ第3段です。 本日もマロンちゃんはVITAにお泊りです。歩いてくれないので、手提げにマロンを入れて運びます。 昼前にグリーン車で伊東へ向かいます。今回もランチはスーパーで買ったパンです。結構ヘビーなパン。 本日も小田原で乗り換えて熱海で更に乗り換えて伊東に到着。いつも通り電車ではしゃぎ、着いたら爆睡。本日は天気が良好。駅の裏にあるパレスホテルです。2時前にチェックインさせていただきました。 旅館は楽天で予約した露天風呂付きのお宿です。今回は温泉ではなくただのお風呂の露天風呂です。 少し休んでから松川遊歩道を歩いて、海へ行きます。昔、嫁さんと花火を見にきたことがある場所です。 テルマエ・ロマエにも乗っている東海舘を見ます。観光中、岳くんは爆睡で宿に戻って起き出します。お部屋は所々、古い感じもしますが、畳がとっても広いので、岳くんはハイテンションでハイハイします。 宿の大浴場に入ってから、部屋の夕飯です。松野明美のようなハイテンションの中居さんが運びます。 伊勢海老の刺身とあじろ牛のステーキが付きます。岳くんも離乳食します。とっても美味しい夕飯でした。 食後は岳くんとお部屋に着いている露天風呂に入りますが、狭すぎ。やっぱかけ流しの温泉の方がいいですね 。

 2013年1月20日(日) 伊東2日目
 岳くんが何度も何度も目を覚ますので嫁も私も寝不足です。日が昇り始めたころに岳は熟睡してきました。 お部屋の景色は最高です。初島が綺麗に見えます。眠いですが、もう6時なので露天風呂に入ります。 ここの露天風呂は夜間が女性専用、朝が男性専用となります。変わった分け方ですね。 お風呂から戻っても岳くんは、かわいい顔で爆睡しております。8時の朝食までゆっくり寝てください。8時にお部屋で朝食を食べます。朝食にごはんに合うものが沢山でるので、御飯を4杯食べて、満腹です。 10時までまったりして、お土産を買ってから、早めのランチで、海鮮丼でも食べようって、昨日は 企画していたのですが、朝食で満腹になってしまったので、10時17分の電車でちゃちゃっと帰ることに。 お部屋の露天風呂で記念写真を撮ってチェックアウトです。父似のセクシーなおへそがでてしまいましたね。帰りもグリーン車で帰ります。伊東の駅で買ったとり弁当を食べます。13時前に家に着きました。 天気が良いからマロンちゃんを皆で迎えに行って散歩へ行こうって電車の中で話しておりましたが、 岳くんが爆睡に入り、一人迎えに行くことに。夕飯はお昼に食べられなかった、海鮮丼を作りました。 そんな伊東珍道中でした。毎度、山に行かない山温増刊号。次回は山の旅館に行きたいものです。



以上('13/2/1)。


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