緊急事態宣言の話

 2回目の緊急事態宣言中ですが、驚くほどに緩いですね。肌で感じられる宣言前と宣言後の違いは飲食店が午後8時に閉まっていることくらいです。通勤電車の混み具合もほとんど変わりません。通勤電車に乗っているやつが偉そうに言うなって思われるかもしれませんが、業務で人の現地でした仕事できない人たちの管理をしているので、どうしても通勤せざるをえません。できることなら、感染リスク抱えて通勤なんてしたくないし、毎日テレワークにしたいというのが本音です。前回の小学校も行けなくなるような厳しい緊急事態宣言の時も同じように通勤しておりましたので、私としては前回と変わってないわけです。前回は通勤電車もガラガラで座席も間隔開けて座っておりましたが、今回は完全に満員電車のままです。幸い満員の都会方面ではないので、コロナ禍前でも比較的空いている電車でしたが、反対側は普通に満員電車です。人がたくさん降りてくる駅なのですが、コロナ禍前と変わらないくらい人が降りてきます。前回の緊急事態宣言では人はまばらでした。こんな緊急事態宣言でどれくらい感染者が減るのか疑問に思います。午後8時以降の飲食で感染者が増えているとかいうエビデンスがあるのであれば、みんな納得すると思いますが、そんなものは無く何となく8時に決めて、なんとなく飲んだくれが減れば、感染者減るんだろくらいの宣言なのではないかと思ってしまいます。そもそも午後8時以降にコロナ感染者が回遊しているわけでもないし、何時に感染している人がやってくるかなんて分かるものじゃないと思います。結局は疑わしきは罰するではないですが、人に接触しないことしかないのですが、それでは経済が回らないので、その駆け引きに政治家は苦労しているって話というのは分かります。それなら、「我が国は経済を優先します」と宣言すればよいですが、そんなことを言えば非難を浴びて次の選挙が心配になるので、できないので、今のような曖昧な緊急事態宣言が発動されたものと思います。実際、文句言うのは簡単ですが、お前が舵取りしろって言われたらできるわけないので、政治家の大変さは分かってはいますが、「緊急事態」という言葉がどうしても引っかかるんですよね。これ緊急事態じゃないだろーって、みんな思っちゃってるわけですよ。前回の緊急事態宣言から学んでいるということなので、必ずしも悪いことではないのですが、普通に8時までマスクしないで飲み歩いている人たちを見ると、「人に感染させる可能性」というものがだいぶ緩くなってしまっているように感じます。「自分は大丈夫だ」という気持ちが萬栄しているのではないかと思います。そんなこと言っている自分もマスク・うがい・手洗いで感染予防はできているので大丈夫だという甘い気持ちが膨らみ、GoToトラベルもさんざん活用しており、GoToイートでくら寿司を食べまくったけで、感染してないので、どこかで大丈夫だろうという気持ちになっています。しかし、自分の予防ができていても、予防ができていない人から感染する可能性はいくらでもあります。エレベーターのボタン、自動販売機のボタン、買い物籠の取っ手、硬貨や紙幣、いくらでも感染源を触る機会はあり、その指で頭をかいたり、目をこすったりして感染する可能性はいくらでもあります。家に引きこもっていても宅配便から感染する可能性もあります。可能性を言ったら切りがないですが、とにかくもう少し感染予防を施すような内容にできないものでしょうか。「緊急事態宣言」を宣言するのではなく、マスク着用など、もっと罰則を強化すればよいのではないかと思います。それができないのであれば、「緊急事態宣言」ではなくて、「飲食店午後8時閉店宣言」と言ってくれれば、政治家は感染予防する気ないなって明確にわかるメッセージになりますので良いのではなないかと思います。完全に感染予防するには、もっと上の「ロックダウン」、「首都閉鎖」しないと無理なんでしょうね。そこに至らせるには、もっと重いコロナが出ないとできないんでしょうね。イギリスの変異型が騒ぎになっておりますが、国内にはすでに来ているわけですし、イギリスのことばかり言ってますが、日本で変異型が生まれる可能性だってあるわけです。前にも書きましたが、映画の「感染列島」のように人が血を吐いて即死するようなウィルスが出なければ、この緩みは止まらないでしょうね。志村けんさんが亡くなって、人々に恐ろしさを伝えた新型コロナウィルスですが、その熱も冷めてしまい、「若い人なら大丈夫」という何の根拠もない認識が固定化されてしまいました。五十代の政治家も亡くなっているのですが、時すでに遅しで、人々には「持病もってたからでしょ」という認識となってしまい、死に至る怖いウィルスというメッセージは残せていないように思います。まー、経済が回らなくなることも死活問題ということで、死に至る話というのも理解できます。飲食店や観光業の仕事じゃなくてよかったなーなんて不謹慎にも思ってしまいます。午後8時閉店とされることが死活問題となっている飲食店の皆さまがいるのも事実です。「命か経済か」なんてことを簡単に言いますが、この判断をさせられる側になったら、辛いと思います。文字だけ見れば、もちろん「命」ですが、経済が回らないことが命取りになる人たちもたくさんいるわけですから。個人的には今回の緊急事態宣言は、もう少し「緊急事態」感をアピールできれば、良かったのにと残念に思います。裏では経済を回すにしても、感染予防を施す意識改革させるような宣言にならなかったことが非常に残念です。終わりの見えないコロナ禍です。昨年の春節から1年が経ちました。今年の春節は2月12日です。狙ったかのように緊急事態宣言期間の後です。これでまた感染拡大に拍車をかけるような事態にならなければよいのですが。「何事も始めが肝心」とは良く言ったものですが、去年の春節で規制を強化できていたら、島国日本はこんな事態にはなっていなかったのかもしれませんね。とりあえず3月7日まで緊急事態宣言は延びる見込みなので、春節の規制も厳しくなるとは思いますが、このままダラダラの緊急事態宣言をしても結局、季節性で減ってるのを待っているだけのように感じてしまいます。我が家も外食は控えてチェーン店のテイクアウトを利用しておりますが、それがどこまで対策になっているのか分かりませんし、毎週、公園に出向いているのが大丈夫なのかも分かりません。緊急事態宣言解除は結婚記念日です。昨年はコロナ禍での自粛モードはあったものの個室のかに道楽で食事ができました。今年の結婚記念日は家にいることになるのか、この先がどうなるかは分かりませんが、アマビエ様の効果によって悪病退散してくれることを祈ります。そして、宮内家の緊急事態が訪れております。2月2日に80歳になる父の手術があります。我が家の子供たちにとっては、たった一人のじいじなので、長生きしていただけないと困ります。緊急事態宣言下ですので、面会はできないということで、大阪から駆けつけて、そばにいることもできません。一昨年の12月の大晦日以来、顔を会わせることができてなく、TV電話の画面越しでしか会えてないので、入院前に会いたかったのですが、新幹線でコロナを運ぶ可能性を考えたら出来ません。大阪転勤でただでさえ会いたい時に会えない環境ですが、コロナ禍により、本当に制限だらけの嫌な世の中になってしまいました。最初の緊急事態宣言と少し終息した期間で、次の波に備えた対策ができていればこんなことにはなっていなかったのかもしれませんが、終息を感じるとどうしても楽観的になってしまうのが人間なのでしょう。コロナ対策を考えるより、経済対策を考えることが優先されてしまったのでしょう。そんな緊急事態宣言中の高齢の父の手術であり、心配は募りますが入院前のTV電話では、いつもと変わらない父を見ることができました。手術の不安があるとは思いますが、いつも通り、普通に話せました。強い父だなと思いました。今年の節分は124年ぶりに2月2日となりましたが、この節分の日に手術が行われます。2月2日の節分は私はもちろんですが、世界最高齢で118歳田中力子さんですら始めての節分ですので、人類で2度経験した人はいません。父も生まれて初めての2月2日の節分に手術をすることになり、お医者さんに鬼退治を託しました。遠く離れた大阪からですが、鬼退治が終わり、無事に退院することを祈りっております。そして、緊急事態宣言が終わり、じいじと再び孫たちが、TV電話ごしではなく、顔を会わせることができる日が来ることを願っております。

以上('21/2/1)。


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